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「歴史の真実 日本の教訓」から
中国へのODAが数年以内に廃止される見込みだ。ところが、新幹線の売り込みに絡んでまたぞろODAの延期を謀ろうとする動きがある。
しかし、それ以上に、われわれの税金を中国に無限に流すルートができていた。
それが「遺棄化学兵器処理事業」だ。
村山富市、野中広務、加藤紘一、河野洋一らは謝罪外交を進め、北朝鮮に米を送るという愚行をしただけでなく、遺棄化学兵器処理でも一枚噛んでいた。
戦時賠償 -中国の遺棄化学兵器処理問題の禍根(要約)
平成15年8月4日中国黒竜江省チチハル市で旧日本軍が遺棄したという毒ガスが漏れ出し、一人が死亡、約40人が負傷する事故が起こった。
早速、中国が日本に抗議、損害賠償を要求してきた。
しかし、昭和47年の日中共同声明で戦時賠償は解決済みだ。そこで、賠償補償ではなくて、「遺棄化学兵器処理事業にかかわる費用」という名目で日本は中国に1億円を提示したが、中国が拒否したため3億円で合意した。日本が中国に3億円を支払い、中国が被害者に分配することで合意した。
しかしながら、ボツダム宣言の「完全なる武装解除」条項に従って日本軍はすべての武器をソ連と蒋介石軍に引き渡した。武器を引き渡した時点で、その所有権や管理権は相手に移ったのである。
大戦中、ソ連もアメリカも化学兵器を作り、対抗上日本も作った。ソ連は引き渡された化学兵器を持て余し、ソ連製の化学兵器と一緒にかなりの量を放棄したという。また毛沢東の共産軍に渡したという話もある。
昭和43年、米軍がベトナム戦争で枯葉剤を使ったとしてハンガリーが国連に提訴、各国の利害がぶっつかって23年後の平成5年にしい化学兵器禁止条約が成立。中国の強い主張で遺棄化学兵器の条項が盛り込まれた。
一方、江沢民が総書記なったのは平成元年、翌年中国は「旧日本軍が残した化学兵器で国民が被害を受けている」と初めて言い出した。中国はこの頃から中国内に埋まっている化学兵器を日本に揺さぶりをかける材料にしたのだ。
日本は平成7年に何かあわてたようにこの条約を批准してしまった。
この年は野中広務や加藤紘一の根回しで社会党の村山富市が首相になり、村山首相はいわゆる村山談話を発表した年だ。
この村山談話には自民党内でも反発の声が多かったが野中広務が力で押さえ込んだと言われる。そして早々と化学兵器禁止条約を批准したのである。官房長官として署名し、外務大臣として批准したのが現衆議院議長の河野洋平であった。
「中国大陸に遺棄されている化学兵器について、日本側が責任をもって処理する」
何をトチ狂ったのか、といわなければならない。
終戦時に、日本軍は完全に武装解除し、すべての武器を引き渡して所有権も管理権も放棄したという根本的な認識がきれいに抜け落ちている。
それだけではない、中国大陸に遺棄されているという化学兵器がどれだけあるのか、それがすべて日本製なのか外国製が混じっていないのかも詳しく調べることなくこの談話が発表されたのだ。
急いだ理由は、実は村山首相の訪中が予定されていたからだ。
谷野前中国大使、阿南現中国大使、槇田現シンガポール大使ら外務省のチャイナスクールが暗躍、下工作した。
日本が処理に協力することはやぶさかではないが、ほとんど事前調査もしないで国家意思として約束してしまう軽率さはあきれるほかはない。
ちなみに中国は遺棄化学兵器は200万発と主張、日本は一応の調査と資料に基づいて70万発としている。
条約の条項によれば、日本は10年後の2007年までに中国に遺棄された化学兵器を処理しなければならないが、とても10年などで処理できるものではない。
現在、「遺棄化学兵器処理事業」を通して毎年300億円の税金が中国に流れている。
しかこれはまだ序の口で、中国のいう200万発を処理するには処理工場、道路などのインフラ整備、専門の技術を持った自衛隊OBなどの人材など難問山積である。
遺棄化学兵器の実態を把握していないのだから、何年かかるのか見通しも立たない。つまりわれわれの税金はエンドレスに中国に流し続けなればならないということだ。
総額は何兆円、何十兆円になるか見当もつかない。
逆に言えば、中国にとって遺棄化学兵器処理は日本から無限に金を引き出す打ち出の小槌ということだ。そして、この事業を具体的に担うのは外務省の外郭団体である。
そこには利権の発生も十分に予想できる。
これを禍根といわなくて、何を禍根と言うか、である。
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