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侵略したのは支那
何かというと「中国への侵略戦争」だったといいつのり、懺悔したがる(させたがる)日本人。
サワリだけご紹介しますが、反論ある方はじっくりと「正論」8月号をお読みください。
まあ、「宣戦布告しなかった」とか、日本が戦争の仕方が下手だったということは間違いありません。
1937年の真実
日支戦争は日本の侵略ではない
日本人自身が歴史を知らないという怠惰
これではツケ込まれるのは当たり前
軍学者 兵頭二十八 歴史家 宮部暖朗 異色対談
(前文略)
宮部
繰り返しておきますが、盧溝橋事件が日支戦争の始まりだと説いたのは、昔のマルクス主義歴史学者のプロパガンダです。
(中略)
兵頭 いいかげんに「日本はシナを侵略した」というマインドコントロールは払拭されないといけないでしょう。その誤解が21世紀の今日までも「自虐」や「靖国攻撃」に燃料を供給している。1937年はも日本の方がシナから侵略されて大戦争に巻き込まれた年です。
日本の手抜き名歴史家はオミットする形で話を進めますが、当時、シナの軍閥といっても蒋介石のバックには揚子江沿岸の財閥があったので、潜在的には300万の兵力動員が可能とみられていたのでしたね。これは、朝満国境の匪賊あたりとは同日の談ではありませんでした。
別宮 第29軍だけで総勢18万人と号していました。なんと、いまの陸上自衛隊よりも大軍だったんです。対して天津にいた北京議定書に基づく支那派遣軍は五千人前後でした。五千人ごときなら第29軍だけで確実に殲滅できると狙いを定め、隷下の中央軍全軍に動員令を下した。上海〜南京線に集中させ、攻撃作戦を発令したわけです。
れぞまさしくケロッグ=ブリアン条約(1929年)から今日までの国際法でいう「侵略」行為にあたります。
兵頭 たとえば1950年(昭和25年)の北朝鮮軍による南侵のようなものを予防戦争と言い、侵略と呼べるわけですね。シナ国民党政府も、ケロッグ=ブリアン条約の調印国だったのですから、いかなる言い逃れもできません。
日本側について見れば、中央、つまり東京三宅坂(参謀本部)と皇居の意志、国家意識が八月の上海戦争以前の時点では、敵野戦軍を全滅させるような作戦を企図も決心もしていなかった。
それに対してり七月以前のシナ側には「あわよくば在支日本軍と日本人を全滅させてやりたい」という歴史的願望が露骨にあり、そして、八月の蒋介石軍の上海攻撃は、国家指導者の「駐留日本兵数千人を殲滅し、それまでの条約をなかったことにする」との立派な戦争意志に基づいている。計画して大々的に準備して一斉に始めさせたものです。
(中略)
兵頭 日本としては、蒋介石の八月の上海攻撃の直後、自衛戦争を公式に宣言して、国際法で保障された「交戦国としての権利」を手にすべきでした・・・
宣戦布告がなされていない状態においては、日支双方に対する各国の武器輸出は原則自由にのですから、支那事変の泥沼化は、日本政府内に「正義の自覚」が足りなかったのも一因でしょう。
今や真相の整理はついているのですから、大東亜戦争では、シナ側こそが侵略者だと教科書に明記しなければなりません。この正しい歴史が学校で教えられずに、どうして今後の日本の真っ当な外交やサバイバルがあり得るでしょうか。
(後略)
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