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邂逅 誌ほか、また、先に、吉野関係、備中松山関係(山田方谷 他)ありがとうございました。ご連絡が遅れましてすみません。
戦後60年史を把握したいと思っています。源平・奥州藤原の合戦、南北朝の動乱、戦国・天正時代、幕末維新は、すでに外圧がらみですが、大きな国内戦争があり、経験がないわけですが、大戦と戦後を生きて来た人は多いですね。
(外圧といえば、隋唐の脅威、元寇、”南蛮渡来”での危機もあった。)
(以下、近頃の関心です。)
関東藤原から奥州藤原4代へ:秀郷流。
近世初期の松山城主が、秀郷流の水谷勝隆・勝宗・勝美で、福島県いわきのほうから常陸下館を経て、そちらに行ったのだったか、
ともかく、一族は、幕末には城下にいたか移動していたかですね、
関東藤原:秀郷流から、平泉で、奥州藤原になり、義経が・・
佐藤兄弟が、福島市に・・
河越太郎は、頼朝に討たれ、一族は、会津に逃れた節がある。
:結構、新説。
ところが、徳川が源氏で、平家とは言いにくかったのでないか、源氏と詐称して、
もしくは、ユーモアを言って、二瓶と名乗り、源氏を家系に書いていた。
明治に河越に戻した家もある。
そう、裏づけられるものであるかどうかです。
天正、伊達が攻めたので、芦名家臣から、奥会津浪人となり、近世、肝煎になりました。
そこに官軍が新潟県五十嵐村→福島県只見町の80里越峠を進軍、それより先新潟港に官軍上陸となり
そっちに、動いて行ってしまう前に、守備の宮下藤太には、鉄砲の不足のやり取りか、手紙が、
梶原平馬から来ていた。では、官軍が来たとき、奥会津の展開は、どうなったか、その前に、
長岡城の河井継之助を筆頭に難民・背走兵は、どんどん来たので物資も高騰した。
何より食料です。
方谷は、明治にも教育者として栃木県でも師範学校校長を勤めた。
元武士の学者は、学校教師になったのですね。山川健次郎東大総長、秋月悌次郎五高教授。
河井は、遊学の時に、高梁の方谷の学舎に滞在したのですね。司馬遼太郎「峠」にも
出てるかどうか、見てみます。
司馬さんのエッセイが、あらためて、いろいろと勉強になるようです。
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