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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第4回 「5億円授受否認」 暑い夏の日の取調べはもとより、77年1月27日の初公判における涙の陳述でも、元首相は授受の否認に多くの言葉を費やした。弁護方針決定では元首相自身が実質的な「弁護団長」を務めたといわれる裁判だったが、この法廷戦術は妥当だったのだろうか。 「受託収賄」という総理大臣の犯罪を立証するには、現金の授受、職務権限、請託の3つの要素が揃わなければならない。無罪を求めるなら、現金の受領は認めたうえで、その趣旨を争う選択もあり得たが、元首相は全面否認で押し通した。 その結果、1、2審とも懲役4年、追徴金5億円の実刑判決となった。最高裁上告後、死亡により公訴棄却となったが、贈賄側の檜山廣・元丸紅会長と榎本敏夫・元首相秘書官の有罪が最高裁で確定し、司法は総理大臣の犯罪を認定した。 事件の骨格は、ロッキード社・丸紅側が全日空へのトライスター売り込みに対する尽力を請託し、元首相は目白の私邸で「よしゃ、よしゃ」と応じて、その謝礼として段ボール箱に入った5億円が4回に分けて田中邸に運び込まれた、というものだった。問題は民間航空会社の機種選定と首相の職務権限の関係だが、大型機導入をめぐる閣議決定などから職務権限は民間機にも及ぶとの論理を検察側は構築し、ニクソン米大統領との間で日本の輸入拡大に合意したハワイ会談などが背景事実として指摘された。 法廷に出された証拠などを見る限り、元首相にとって致命的だったのは、捜査の早い段階で田中邸運転手が現金授受の状況を証言し、自殺後にも、本人が書いた現場の見取り図などが残されていたことだった。同時に、授受にタッチした元首相秘書官は、事件発覚直後に、丸紅側の窓口だった伊藤宏元専務に証拠隠滅を依頼していたことを検察に握られていた。 こうした状況を知らずに元首相が現金授受否認の方針を選んだとは考えにくい。だとすれば、なぜ否認したのか。外国企業からの資金受領は政治家としての命運を断たれる不祥事となる。この前提に立って、自らの「名誉」だけではなく、田中派の総帥として政治的影響力を保持するためには、検察と全面対決して「無罪」の主張を強くアピールする以外に選択の道はなかった、と、いまは推測するしかない。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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「児玉ルート」が解明されなかったことと、戦時下の「児玉機関」が解明されなかったこととが妙にダブる事件です。航空機をめぐるいかにもいかにもな舞台背景。背後には児玉氏と密接に関係していたもっと大物がいたはず。戦後政治史のくくりでは解決しきれない深い闇があったと思います。結局一番の「ワル」が逃げきってしまうというのがこの手の事件の常のようですね。悪は滅びない・・・。
2006/2/4(土) 午前 11:58 [ ピーナッツ ]
じれったい。みえみえのワル、みんな知ってるワル、知らないはずの無い警察、検察、新聞記者。なのに30年前も今も現に存在しその力を保てている。なんてことだ。その力に守られたもの、利用できたものがのさばるのが日本?本当になんてことだ。
2006/2/5(日) 午前 10:46 [ 普通人 ]
民主主義は時間がかかるものです。イライラしますが、高尾記者は今年も田中邸を訪問されたとの事。小市民も「物事の本質」を見極め、あきらめずに「悪を正す」姿勢を持ち続けることの大切さを痛感しました。
2006/2/6(月) 午前 10:16 [ 小市民 ]
なるほど、5億円否認の背景がよくわかりました。
2006/2/7(火) 午前 7:31 [ 犬吠埼 ]