メディア・レボリューション

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 日中関係が政治的に芳しくない時期、市民レベルの交流が何よりも大切です。そんな時、中国の名門、清華大学で日本語を学ぶ女子大生、劉纉さんと縁ができ、中国レポートをお願いしました。今回は中国の最大の行事「春節の準備風景」=第1回=に続いて第2回「春節本番」です。

『春節本番』


<除夜の晩餐&「団欒」>
 春節本番は、除夜の晩餐から始まります。
 一家団欒でお喋りをし、料理を楽しみながら春節特別番組(日本の紅白歌合戦と似たようなもの)を見て、12時のカウントダウンを待って新年を祝う。これが中国春節の一般的な風景です。
 私の家の場合、毎年この晩餐を祖父の家で食べる。父側の4人のおばさんも家族連れで集まってくるので、全部で18人。トランプゲーム、お喋り、料理の支度、酒を勧める声、テレビの音…祖父の小さな家は 週末の小型市場みたいに賑やか。食事中、H君はこっそりと私に
「ちょっとうるさくない?」と言った。
 確かに少しうるさいかもしれないが、中国人にとって、このうるささこそが春節なのです。みんなで集まって楽しく騒ぐことに、春節の主題となる「団欒」の意味が、一つの世代から次の世代に伝わるのではないかと、私は思う。

<拝年(年始回り)&1234567>
イメージ 1 旧正月の初日から、一連の「拝年」(年始回り)が始まる。「拝年」とは、親族や友だち、お世話になった人の家を尋ね、新年の挨拶をすることです。
 1日は父側の祖父家。2日は母側の祖父家。3日は自分の家でみんなを待つ。4日に一番上のおばさんの家。5日に二番目のおばさんの家…今年の春節はいつもと同じぐらいに忙しい。家に入ったらまずお祝いの言葉を言い、子供はこの時、お年玉をもらう。そして一緒に食事をし、楽しく一日を過ごす。春節の前に各家が用意していた1週間分の料理は、実際にこの年始回りのためです。
 実は、何日にどこの家に行くかは、昔から決まりがあるらしい。中国語で「一子二婿」、つまり、一日に息子が自分の両親家に行き、2日に婿が妻の両親家を訪ねる、という言い方があります。
 祖父の話では、昔、春節の時、1日から15日まで、毎日何をするかが決まっていて、15日間で、一つの完全な春節の儀式になるらしい。それは今、面倒くさくて、みんなやっていないが、「1234567」という数字に、たくさんの謂(いわれ)があります。
 例えば、春節には、街のお店が殆ど休む。新年が明けて店を再開する時、みんな5日を避ける。5日に店を開けると、この一年間、儲けられないといわれているから。それに対し、6日や7日が人気。「6=順(調)」、「7=上(昇)」だからです。
 時間の決まりだけでなく、言葉や行動にもいろいろな決まりがあります。例えば、新年にお皿やコップなどを壊してしまったら、「歳歳平安」と言わなければならない。中国語では「歳」と「砕ける」の「砕」と発音が同じで、こう言うと元々良くない兆しがいい縁起になると言われています。

<爆竹の重要さ>
 春節の時の爆竹の重要さは、私も今年になって初めてわかった。
 除夜の晩餐が始まる前に、爆竹で食事の始まりを宣告する。大晦日夜11時半頃になると、外から爆竹の音が聞こえてくる。零時に近づけば近づくほど、その音が大きくなり、零時ごろに最大値になる。それは夜空を響かせ、天地がひっくり返るような音。その音以外何も聞こえなくなる。この騒ぎは12時半頃まで続く。
 年始回りの時も、客1組が訪れると、爆竹1本を鳴らして歓迎します。客が帰る時も、爆竹で見送りをします。
 新年にお店が再開する時も、最初に爆竹でみんなに知らせ、新年に運が向いてくることを祈る。
 爆竹と同じように、花火も一つの伝統行事。夜になると、子供が花火を楽しむ姿が、春節の伝統的なシーンです。日本の花火と違って、中国の花火は多彩で豊かな生活を意味するもので、中国人の希望や新年への期待が寄せられています。
イメージ 2 1日の午前零時半、爆竹の音がようやく静まってきた頃、H君と私が外に散歩に出かけた。地面は爆竹を包む赤い紙だらけで、耳にはまだ爆竹の音がしてくる。私はH君に言った。
 「中国の春節はうるさいね。日本の新年とぜんぜん違って。ごめんね。」
 しかし彼はこう答えた。
 「最初にうるさいと思ったけど、この天地がひっくり返るような爆竹の音を聞いて、みんなの喜ぶ様子を見て、どうして中国人が春節にならないと新年の感じがしないか、わかったような気がする。この気迫に比べて、日本の新年が静か過ぎるかもしれないね。」
 各民族によって新年の祝い方が違う。中国の祝い方では、爆竹が一番重要な位置を占めているかもしれない。

<春節を守る?>
 今、民俗学界では、「春節を守るべき」という声があります。春節は西洋化している、昔の風習が失われている、春節の真意がなくなっている。だから、春節を守らなければならない、という説である。
 確かに、今の春節は昔と比べて、簡単になっている。でも、変化というものも重要ではないでしょうか。
 守るべきものは、春節の形ではなく、その裏にあるもの――団欒、家族、一つの民族としての共同精神と、私は思う。
 そして、どんなに変わっても、春節は春節ということに変わりはない。春節の思い出も、世代から世代へ、ずっと伝わるでしょう。(原稿は2月5日着)


※劉纉さんは湖南省出身。現在、清華大学日本語学科の3年生(21歳)。2004年10月から1年間岩手大学教育学部に交換留学。2005年10月に清華大学日本語学科に戻りました。「日中の相互理解のためになりたい」が希望なだけに、日本語の文章も、お読みになってお分かりのように抜群です。写真もすべて劉さん撮影です。若い中国の大学生の目線による「中国レポート」をシリーズで送ってもらうことになりました。


過去の記事を読む
第1回 『春節風景』

「劉纉の中国レポート」書庫の記事一覧

閉じる コメント(3)

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中国の春節は日本の正月の原形だということが良くわかった。爆竹以外は今でも地方では残っているはずですネ。春節を喜ぶ劉纉さんの姿が浮かびます。次回は何でしょう。楽しみです。

2006/2/6(月) 午後 3:49 [ Mr.北京人 ]

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一昔前の日本の地方でも、親戚縁者の絆が強固だったことを思い出しました。失われ行く伝統に対する愛惜の気持はどの民族でも同じでしょう。ただ、そうした絆の陰には反面犠牲になっていることがらも多く、束縛からの解放がどこでも共通のトレンドです。劉さんが書いているように、守るべきは形よりも精神(連体の心)ですね。どうしたらそれが実現できるか、日本人にとっても同じテーマが突きつけられていると思います。

2006/2/7(火) 午前 11:39 [ npo_ajikaze_ue ]

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僕の田舎は、今でも、正月は一族が集まります。親戚に限らず近所の人にも年始に行って・・・。帰省すると、血縁・地縁を大事にして昔の人(田舎の人?)はみなで支えあって生きていたんだなと改めて感じます。 僕は田舎者なので、こういうの好きなんですが、都会では、地縁なんてないし、一人でも生きていけちゃうから、薄れていっちゃうんですかね。 国が違っても同じ文化がある・・・。政治とかかたっくるしいことはぬきにして、うれしい気持ちになるお便りでした。次回作を読むのが楽しみです。

2006/2/7(火) 午後 0:47 [ 日中不分家 ]


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