メディア・レボリューション

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 五月に発刊された学士会会報864号に教育評論家の中井浩一氏が“「いじめ自殺」の連鎖と「未履修」問題から見えたこと”というタイトルで、それら問題の本質とそれを見誤らせるマスコミの報道姿勢に関して興味深い論考を執筆されている。特に「未履修」問題をめぐっては筆者自身「目から鱗」のような内容もあっただけに、これをご紹介して、若干の印象を付記したいと思う。

マスコミは「未履修」問題をどう報じたか
 「未履修」問題とは、大学の入試科目になっていない高校の必修科目を、学校で教えていない、あるいは教えないまま卒業させる、という事態を問題にするもので、履修漏れの高校は全国で663校(全体の11.3%)に及んだ。氏によれば、この問題をめぐっての「マスコミのはしゃぎ方」は異様であるのみならず、論点が誤っているという。すなわち「未履修問題を『悪』として報じ」る。なぜなら「それが学習指導要領に『違反』するからだ」と。さらには、「違反した理由が」「受験指導のためだ」から「けしからん」「進学校は、進学実績を上げるために奔走し、教員と生徒が一丸となって受験対策に邁進している。そのために健全な教育がゆがめられている」とする。

 前段の論理は、ゆくりなくもマスコミの事大主義、お上べったり主義を表している。これは未履修問題に限ったことではなく、例えばこれまでの公益法人不祥事報道についても全く同じ論調だった。つまり、ある公益法人がけしからんのは、その法人のやったこと、していることの内容の是非ではなく、ただ単にお上の定めた「指導監督要項」に違反しているからけしからん、とするものが圧倒的だった。学習指導要領なり、指導監督基準なりに対する違反を、あたかも刑法違反の罪でもおかしたかのごとき報道である。(ちなみに同じことは「推定無罪」についても言いうる。容疑者として逮捕されただけで断罪の扱いが多い。が、これについて詳論はしない)教科書検定や、国旗掲揚に関してはいっぱしの反権力姿勢のようなものをのぞかせるマスコミが、ことこのテの話になると、それこそテもなく中身や実態の検証抜きに、お上の指導に逆らったのがけしからん、という論調になる。

 だから後段のようなことになる。「大学はすでに全入であり、難関校を対象とする進学校は一部でしかない」「大学受験が簡単になりすぎており、それがかえって高校教育の細分化、断片化をもたらしている」「教員と生徒が一丸となって受験対策に邁進するような高校はいまや日本のどこにも存在しないだろう」「マスコミはいまだに『受験勉強』か『健全な教育』か、『詰め込み』か『ゆとり』か、といった対立軸でしか語れないでいる」つまり、「こうした偏見のために、肝心の点を見ることができない」というのだ。

問題の所在はどこにあるのか
 中井氏は言う。「未履修は『進学校』だけの問題ではなく、高校全体で起きている問題なのだ。もっとハッキリ言えば、高校に100パーセント近くの青年たちが在籍することが、そもそも不自然なのである」「しんどい思いを早く終わりにしたい、そうした高校生に手を焼いているのが実状なのだ」理由はなんであれ、知的訓練が苦役でしかないのなら、それを減少させ、楽にしたいと切実に考えている現場のことをご存知なのでしょうか、と言うに等しい。

 さらに、「対応策協議の際に、マスコミも、文科省や教育委員会などの行政側も、政治家達も、『不公平』を口にした」のは笑うべきではないか。「甘い措置をしたら」受験科目にない「世界史を履修した生徒が『損をする』」。不心得者が「得をする」。そうしたことがないようにすべきだ。それが「公平・公正」だ。「しかし、こうした『損』『得』で考える思考こそ」「『ゆがんだ』学習をしてきた人間の発想」ではないか。「本来は『得』をしたのは世界史を学習できた高校生ではないのか」「みんなが高校に進学することを『公平』だと単純に信じ」ているような「古い図式や考え方」で教育問題を論じるべきではない。なぜならば教育とは「未来の立場」を論じることだからだ。

 まことに間然とするところがない。特に受験にあたって「損」をしたといわれている世界史履修者が本当は「得」をしているのではないか、というあたりは、蒙を啓かれた思いであった。

 特に、単純化された議論、犯人探しの議論からは「決まって強い国家統制を求める声が上がり、他方では市場原理の導入を支持する声が大きくなる。極論が支持され、現場の複雑な実態をふまえた議論は」「敬遠される」というのはわれわれが何度も目にしてきた事態だ。青少年非行から消費者金融に至るまで、何か問題が起こると「政治は何をしている」になるのを思い起こそう。ことは教育問題だけではない。(入山 映)

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教育は、何のために必要なのか。それは、広く物事を知ることが、”良い生き方”に近づくからだと思います。物事を知っていれば、杞憂や疑心その他の不安から開放されることが多いですね。一方、確かに学校の教育は多くの学生にとって苦痛なものです。しかし、多くの学生が進学しています。そして、勉学に励むかと言えば、遊びに励む学生が多い。誠に、おかしな国ですね。

2007/5/23(水) 午前 10:17 xxr*t9*5

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こんにちは。
私のブログにも遊びに来てください。

2009/8/9(日) 午後 8:30 [ 悲歌慷慨 ]


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