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長井さんの「誰かが撮らねば・・・」という取材姿勢に敬意を表するものです。 「どうせは入れっこない」とビザの申請もしないまま、在留邦人への取材でお茶を濁す報道機関の多い中、カメラ片手に単身乗り込んだ長井さんの行動は特筆ものです。長井さんの射殺に関わる各種の映像、また長井さん自身が撮影した映像(10月10日APF公表)が無かったら、ミャンマー軍事政権に対する抗議の輪はこれほどの国際的な広がりを見せなかったでしょう。 消されたテープ1982年末、年の瀬の取材でヤンゴン(当時ネ・ウィン軍事政権下ラングーン)に入りました。シュウェダゴン・パゴダを中心に祈る僧侶、市民、町の雑感を撮影するだけの季節ネタで、当時の政権にとって何の痛痒もないと思われる平凡な取材でした。数日の取材後、撮影した10数本のビデオは一旦、当局に召し上げられ、「すばらしい取材です」とほめ言葉で帰ってきたのですが、帰任先のバンコクでチェックしたところ、うち3分の2が消去されていました。托鉢の僧侶、バスの市民、マーケット、消去の基準はまったく見当がつきませんでした。滞在中「検閲室」を覗く機会がありましたが、豪華な革張りの椅子がスクリーンに向かって5脚あり、閣僚級がチェックするのだと聞かされました。 翌年10月、訪問中の韓国政府要人を狙ったアウンサン廟の爆破事件が起きましたが、一旦ジャーナリストとして入国した記録は各国のミャンマー大使館に残り、再度の入国はなりませんでした。この時、観光を装って入国した同僚は、撮影済みのビデオ(アウンサン廟を車内から隠し撮りしたもの)を石鹸箱に入れて持ち出しました。 ジョージ オーウェルと闇エンマ・ラーキン(Emma Larkin)というアメリカの女性作家の書いた「ビルマでジョージ オーウェルを見つける(Finding George Owell in Burma)」に触発されて読んだオーウェルの小説「ビルマの日々」「動物農場」「1984年」のビルマ関連三部作に共通して描かれるのは得体の知れぬ権力の恐ろしさです。現代のミャンマーを取材中ラーキン嬢は「オーウェル、知ってる?」と市民に語りかけます。ある市民は「ああ、あの預言者ね!」と応えます。オーウェルがこれら三つの作品を通して、全てが直接的にではありませんが、密告者が横行し、市民が口を閉ざす現代のミャンマーをまさに予言しているのに驚かされます。若き頃5年間滞在したこの地で、ミャンマー特有の「闇」を感じていたのでしょう。私自身、滞在中のちょっとした朝の散歩まで行動は全て把握されていました。取材環境の差異?長井さんの死で思い起こされるのは、イラクで取材中に死亡した橋田信介さんです。彼は湾岸戦争をきっかけに取材の中心を中東に移す前、東南アジアの専門家でした。「首長(くびなが)族の生活を撮ったけど・・・」と、当時首長族の取材はほぼ不可能だったフィルムを、持ち込んできたことがあった。彼はとりわけミャンマー取材ではほかのジャーナリストの追随を許しませんでした。彼は中東でも数々の特種映像をものにしていますが、彼の訃報に接したとき真っ先に頭に浮かんだのは「アジアでは起こりえない・・・」との思いでした。「イラクでは勝手が違ったのか」と。長井さんにとってミャンマー取材は初めてだったと聞きます。彼の所属していたAPFが、長井さん自身が射殺される前の日に撮影したとして10日公表した映像の中で、長井さんは「Never mind, 私はアフガニスタンにも、イラクにも行っている」と市民に語りかけています。残念ながら中東のベテラン戦場記者にとってもミャンマーは勝手が違ったのかも知れません。 今のミャンマーには、ベトナム戦争前後のベトナム、ラオス、カンボジアでも一時感じられた、東南アジア特有の捉えどころの無い深い闇が消えぬままに残っているようです。 (入澤 邦雄) |
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