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設計は、建築家の安藤忠雄と森ビル。 地上6階地下6階建ての店舗や住居などの複合施設。 表参道のランドマークとして親しまれてきた同潤会青山アパートのイメージを引き継ぐべく、施設の高さを表参道のケヤキ並木にあわせるなど調和をはかり、景観や環境に配慮した。 表参道ヒルズのコンセプトは「MEDIA SHIP (メディアシップ)」。 ファッション・文化の発信を行ってきた表参道を引き継ぎ、ファッションや雑貨、飲食店など93店舗が入居。世界から注目されるブティックやブランドを集めるとともに、初出店・新業態店舗48店舗を配置した。それぞれの施設がメディアとなり、新しい文化が発信されることを目指している。 2日のオープニングセレモニーに出席した小泉首相は、「表参道ヒルズが世界に誇れるファッションストリートになってくれることを願っている」と、お祝いのスピーチをした。 現在も多くの高級ブランド店が出店を進める青山・表参道。そして、若者のファション文化を発信してきた原宿。その中間に位置する表参道ヒルズが、今後どのような文化を発信していくのか興味深い。 (坂本健一=事務局スタッフ) ※ 同潤会青山アパートとは
同潤会青山アパートは、関東大震災を契機に世界各国から集まった義援金を元に設立された、公的住宅供給機関「同潤会」によって1927年に完成したアパート。 震災を契機にしていることだけあり、当時として最新の耐震技術である鉄筋コンクリート造りにした。 歴史的にも史料価値が高かった青山アパートをどうにか残せないか、との思いから表参道ヒルズの東側、青山通りよりに、同潤会青山アパートを再現した同潤館を建設した。 |
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日中関係が政治的に芳しくない時期、市民レベルの交流が何よりも大切です。そんな時、中国の名門、清華大学で日本語を学ぶ女子大生、劉纉さんと縁ができ、中国レポートをお願いしました。今回は中国の最大の行事「春節の準備風景」=第1回=に続いて第2回「春節本番」です。 <除夜の晩餐&「団欒」> 春節本番は、除夜の晩餐から始まります。 一家団欒でお喋りをし、料理を楽しみながら春節特別番組(日本の紅白歌合戦と似たようなもの)を見て、12時のカウントダウンを待って新年を祝う。これが中国春節の一般的な風景です。 私の家の場合、毎年この晩餐を祖父の家で食べる。父側の4人のおばさんも家族連れで集まってくるので、全部で18人。トランプゲーム、お喋り、料理の支度、酒を勧める声、テレビの音…祖父の小さな家は 週末の小型市場みたいに賑やか。食事中、H君はこっそりと私に 「ちょっとうるさくない?」と言った。 確かに少しうるさいかもしれないが、中国人にとって、このうるささこそが春節なのです。みんなで集まって楽しく騒ぐことに、春節の主題となる「団欒」の意味が、一つの世代から次の世代に伝わるのではないかと、私は思う。 <拝年(年始回り)&1234567> 1日は父側の祖父家。2日は母側の祖父家。3日は自分の家でみんなを待つ。4日に一番上のおばさんの家。5日に二番目のおばさんの家…今年の春節はいつもと同じぐらいに忙しい。家に入ったらまずお祝いの言葉を言い、子供はこの時、お年玉をもらう。そして一緒に食事をし、楽しく一日を過ごす。春節の前に各家が用意していた1週間分の料理は、実際にこの年始回りのためです。 実は、何日にどこの家に行くかは、昔から決まりがあるらしい。中国語で「一子二婿」、つまり、一日に息子が自分の両親家に行き、2日に婿が妻の両親家を訪ねる、という言い方があります。 祖父の話では、昔、春節の時、1日から15日まで、毎日何をするかが決まっていて、15日間で、一つの完全な春節の儀式になるらしい。それは今、面倒くさくて、みんなやっていないが、「1234567」という数字に、たくさんの謂(いわれ)があります。 例えば、春節には、街のお店が殆ど休む。新年が明けて店を再開する時、みんな5日を避ける。5日に店を開けると、この一年間、儲けられないといわれているから。それに対し、6日や7日が人気。「6=順(調)」、「7=上(昇)」だからです。 時間の決まりだけでなく、言葉や行動にもいろいろな決まりがあります。例えば、新年にお皿やコップなどを壊してしまったら、「歳歳平安」と言わなければならない。中国語では「歳」と「砕ける」の「砕」と発音が同じで、こう言うと元々良くない兆しがいい縁起になると言われています。 <爆竹の重要さ> 春節の時の爆竹の重要さは、私も今年になって初めてわかった。 除夜の晩餐が始まる前に、爆竹で食事の始まりを宣告する。大晦日夜11時半頃になると、外から爆竹の音が聞こえてくる。零時に近づけば近づくほど、その音が大きくなり、零時ごろに最大値になる。それは夜空を響かせ、天地がひっくり返るような音。その音以外何も聞こえなくなる。この騒ぎは12時半頃まで続く。 年始回りの時も、客1組が訪れると、爆竹1本を鳴らして歓迎します。客が帰る時も、爆竹で見送りをします。 新年にお店が再開する時も、最初に爆竹でみんなに知らせ、新年に運が向いてくることを祈る。 爆竹と同じように、花火も一つの伝統行事。夜になると、子供が花火を楽しむ姿が、春節の伝統的なシーンです。日本の花火と違って、中国の花火は多彩で豊かな生活を意味するもので、中国人の希望や新年への期待が寄せられています。 「中国の春節はうるさいね。日本の新年とぜんぜん違って。ごめんね。」 しかし彼はこう答えた。 「最初にうるさいと思ったけど、この天地がひっくり返るような爆竹の音を聞いて、みんなの喜ぶ様子を見て、どうして中国人が春節にならないと新年の感じがしないか、わかったような気がする。この気迫に比べて、日本の新年が静か過ぎるかもしれないね。」 各民族によって新年の祝い方が違う。中国の祝い方では、爆竹が一番重要な位置を占めているかもしれない。 <春節を守る?> 今、民俗学界では、「春節を守るべき」という声があります。春節は西洋化している、昔の風習が失われている、春節の真意がなくなっている。だから、春節を守らなければならない、という説である。 確かに、今の春節は昔と比べて、簡単になっている。でも、変化というものも重要ではないでしょうか。 守るべきものは、春節の形ではなく、その裏にあるもの――団欒、家族、一つの民族としての共同精神と、私は思う。 そして、どんなに変わっても、春節は春節ということに変わりはない。春節の思い出も、世代から世代へ、ずっと伝わるでしょう。(原稿は2月5日着) ※劉纉さんは湖南省出身。現在、清華大学日本語学科の3年生(21歳)。2004年10月から1年間岩手大学教育学部に交換留学。2005年10月に清華大学日本語学科に戻りました。「日中の相互理解のためになりたい」が希望なだけに、日本語の文章も、お読みになってお分かりのように抜群です。写真もすべて劉さん撮影です。若い中国の大学生の目線による「中国レポート」をシリーズで送ってもらうことになりました。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第6回 「判決と雪の新潟」 原則として毎週水曜日に開廷された法廷は、結審までに190回を重ね、83年10月12日、岡田光了裁判長は元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。その瞬間、元首相はこのうえなく不機嫌な表情を見せ、2時間余りの判決理由朗読中も、配られた理由書に目を通そうともせず、不機嫌な表情のままだった。 国会は、元首相辞職勧告決議案などの審議をめぐって空転し、11月28日に解散、12月18日の総選挙に向かって、政界は走り出した。まさにロッキード選挙だった。有罪判決を受けた元首相に対して有権者がどのような判断を示すのか、新潟3区(当時)は全国区のように注目され、作家、野坂昭如さんが一方の世論を代表する形で立候補した。 長靴をはいて、元首相を追いかける日々。この選挙戦を通じて実感したのは、新潟の「雪の重さ」だった。元首相らの力で、長岡市内などの道路は融雪パイプが張り巡らされ、選挙期間中、車での移動に不便を感じることはほとんどなかった。元首相は昨年の地震で大きな被害を受けて村民が避難した山古志村にも出かけて、雪の中の演説をこなしたが、その道路も元首相のおかげ、と住民は受け止めていた。 地元住民が元首相にかけた期待と、それに応えて中央で政治的実力を養ってきた元首相。「有罪」が示す倫理は、ここでは通用しなかった。元首相の得票は前代未聞の22万761票に達した。日本酒がふるまわれた「越山会」の祝勝会場で、「マスコミが王者でも、裁判官が王者でもないんだぞ」と、酔った初老の男性に罵声を浴びせられた。 しかし、全国に目を転じると自民党は大敗を喫した。踏みしめられた雪のように固まった新潟の田中信者だが、その反動で、中曽根政権の土台は不安定なものとなった。この結果をどのように評価すればよいのか。地元に密着した自分としては、田中批判が新潟3区には通じなかった無力感が残った。 いままた、昨年総選挙の圧倒的な小泉勝利などを見ながら、日本人はどこまで民主主義を自分のものとしているのか、と主権者の危うい感覚を懸念する気持ちが強い。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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タイトル:「ヒマな人たち『この思いやりがうれしいではありませんか。こっちから読めるように本をむけてくれてある』」
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※画像はひとコマ漫画の"一部分"ですタイトルをクリックすると、漫画の全体像を見ることができます 今日のひとコト電車などで、自分の見ている新聞や雑誌を、わきから覗かれたりされると、困ったことに直面したものだと思ってしまう。「覗かれていることを完全に無視してよいのか、わるいのか。」まして、美しい御婦人に覗かれたりすると、わるい気はしないしうれしいものでもあるが、こっちは読み終えたからめくって次のページを見たいのに、まだ読んでいるようでもある。「そーいう場合、どーしたらよいでしょうか。」なんてことで悩んでみたいものであるが、大概は顔の大きいオヤジであったりする。そんな時は、相手のことなど考えない。読み終えていようがいまいが関係ないことだ。「手にして広げている新聞はオレのものだ。金を出してオレが買ったものだ。遠慮してたまものか。」ところが、覗き見しているのが自分であったりして。こっちがまだ読み終えないのに、パと紙面をめくられるほど不愉快なことはない。「もっと、ゆっくり読め」と言いたい。「そんな早く読めるか」と言いたいのである。 それから、同じ新聞を並んで見ていたりしますが、どーかと思う。そー思いませんか?(竜山) |
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