「A級戦犯は合祀される資格なし」小沢発言で再燃した靖国問題小泉純一郎首相の度重なる靖国神社参拝に対して中国、韓国が猛反発が続いている。アジアだけでなく、米国はじめ東南アジア、欧州からもアジアの安定への影響を懸念、危惧する声が上がっている。そんな中で、小沢一郎民主党新代表の第一声が「A級戦犯は合祀される資格なし」の小泉首相靖国参拝批判だった。9月の自民党総裁選、来年の参議院選挙での争点としての狼煙ともいえる。が、この小沢発言にも抜けているものがあった。それは、わが国の戦争責任への認識について米欧諸国が指摘する「靖国神社遊就館(ゆうしゅうかん)」の存在だ。 遊就館の歴史認識遊就館は、明治15年、靖国神社内に開館。4年前の2002年(平成14年)7月、本館改修、新館新築でリニューアルした。同館図録の冒頭挨拶で「近代国家成立の為、わが国の自存自衛の為(中略)避け得なかった戦いがございました。その国難に尊い命を捧げられたのが靖国神社に鎮まります英霊であり、その顕彰と英霊が歩まれた時代である近代史の真実をあきらかにするのが遊就館の使命」と、謳いあげている。 (2階建ての同館の展示物は戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦いでの兵器、遺品、パネルなど3千点。22の展示室、2つの映像ホールからなり、見学には少なくとも4、5時間はかかる、といわれる。私の場合は2日間に及んだ) 諸外国の政治家、外交官の遊就館についての発言この“戦争博物館”は、リニューアル後の展示見直しで「第二次大戦を美化する場所」が強調された。そのため、日本を訪れる欧米諸国の政治家、外交官らが見学する場所になり、遊就館を知らない知日派外交官はまずいない、と言われるほど、という。 それらのいくつかを紹介する。 ●ハワード・ベーカー前駐日米大使(昨年2月、離任前に自民党有力議員に、1/30、毎日新聞) 「あれ(遊就館の展示)は日本が戦争に勝ったみたいだ」 ●ポール・ジュラ元米国防総省日本部長(1/30、毎日新聞) 「第二次大戦が他国の過失によるという印象を受けるどころか、日本の戦争が正しいとさえ思わせる高慢な内容だ。(その靖国神社への小泉首相の参拝は)常軌を逸している」 ●盧武鉉・韓国大統領(1/16、中曽根康弘・元首相、福田康雄・元官房長官らとの会談で、毎日新聞) 「(遊就館について)行きたいと言ったら周囲に止められた。日本が承知するなら、実際に見てみたい」と述べた。同大統領は『遊就館には戦争を賛美する内容がある』との報告を受けており、訪日シグナルではなく、小泉首相の靖国参拝を牽制したものとみられる。 ●ヒュー・コータッツイ・元駐日英大使(3/27、読売新聞) 「(中韓両国で靖国参拝が挑発的と受取られているのは)A級戦犯の合祀だけが問題ではない。靖国神社の博物館(遊就館)が戦争での日本の行動を美化しているかのように見えるからである。これらのことは日本政府が戦争責任あるいは東京裁判の合法性を認めていない、という印象を内外に与えている」。 ※これらの批判的発言には説得力がある。「日本は第二次世界大戦について正当防衛、美化さえしている」と映っているのだ。そのような思想(靖国史観とも呼ばれる)で成りたっている靖国神社に参拝する小泉首相を問題視していることにほかならない。 サンフランシスコ講和条約に署名、歴代政府が侵略戦争を謝罪していることとの関係はどうなっているのか。 外国からの「A級戦犯合祀と遊就館のあり方」への指摘を「内政干渉」で片付けられるのか。このことこそ、解決(是正)に向けて取組まなければならない急務の課題と思うのだが...。 (園木 宏志) ※このコラムは、ヤフーセカンドライフサイトとの提携企画です。
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2006年05月01日
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永田町の関心は、メール騒動から「小泉・小沢怨念の対決」に移っているが、「小沢民主」登場で見逃せないことは、政策や政治手法の違いが比較できるようになり、小泉流政治改革の「負」についても批判がしやすくなったことではないか。 「唇寒し」だった与野党の議員が口をそろえて言うことがある。それは「小泉政治は批判しにくかった」という点である。一時は自民党内にも「いくら支持率が高くなっても百%を超えることはないんだから」という半ばあきらめの空気すらあったほどだ。森派の幹部は「次々に話題を提供して追いついていくのがやっとで、批判するいとまを与えないように心掛けた」という。ことのほかマスコミ対策を重視していたのである。そして高い支持率が続き、郵政選挙の大勝などをへて、小泉政治の批判はしにくいという雰囲気が生まれていった。 例えば、自民党のある中堅議員は「部会で改革の問題点をただそうと質問をはじめたら、チルドレンから『抵抗勢力は出て行け』と一斉にやられた。一時は大政翼賛会みたいな嫌な雰囲気だった」という。 自民党は、これまでなら党内から不満や批判が出ると「振り子の理論」で巧みに調整をしてきた。この調整が一種のチェック機能として、長期政権につながったといわれる。 ところが、小泉改革批判の立場にいたベテラン議員たちは「郵政選挙」で落選したり、自民党から去る。野党はというと、民主党の前執行部は政権交代を意識してか、高支持率に後押しされていた小泉改革への批判は避けるきらいがあった。 それならば、トップ自身が改革の「負」の部分に気がつかなければいけないのだが、強気の小泉首相自身はもちろん、周辺からもその気配は見られなかった。小泉流は気心の知れたメンバーが軸になって「官邸主導型」でことが進められてきている。しかも小泉流については、小泉首相が属していた森派の幹部ですら「いったん決めるとてこでも動かない。忠告すると反対のことをやると言い出すので言いにくかった」と述懐する。 例えば、靖国神社参拝のように一度言ったことを変えないということは、「ぶれない政治」かも知れない。が、強弁と強気の小泉政治についていって、間違えましたではついていった国民はたまったものではない。ワンフレーズではない十分な説明が大事なのである。 大事なのは複眼思考だ小沢氏は、靖国参拝について「戦争を指導した人たちは本来靖国に祀られるべきではない」と、A級戦犯合祀に剛球を投げてきた。「アジア外交は今一番大事な時だ。小沢さんはよく言ってくれた」と、自民党内からも賞賛の声が出ている。小沢氏の百戦錬磨のキャリアが発言の重みとなっているのであろう。「権力は必ず腐敗する」というのが政治学の名言の一つにある。民主主義に欠点が出たら、それを直すのはやはり民主主義で直さなければいけないとも言われる。昨年秋に亡くなった後藤田正晴・元副総理にお会いする機会があったが、よく言われたことは「権力の自制」であった。簡単に言えば、ポストにあぐらをかいていないで、国民の声や批判によく耳を傾けるということではないか。「君子の過ちは日月の食の如し」と言う。トップリーダーも過ちを犯すことがあるが、過ちと分かったら日食や月食のようにすぐ改めるという意味である。 どんな立派な人でも権力の座に長く座っていると居心地がよくなったり、人事や人脈が固定化されて批判が出にくくなる。周辺も気を遣うから自然と耳障りなことが入らなくなり、裸の王様になってしまう。だから、後藤田氏は「自民党内はもとより野党、マスコミも絶えず権力をチェックする機能を働かせないといけないよ」と言っていたのだろう。 「小沢民主」の登場で、比較してものがみられる複眼思考が復活して、小泉流マインドコントロールから解き放たれつつある意味は決して小さくないと思われる。(栗原 猛) ※このコラムは、ヤフーセカンドライフサイトとの提携企画です。
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