話せば解る「話して解る人ならば話さなくても解るし、話さなければ解らない人には話しても解らない」などというと、井上達夫いうところの熟議民主主義を真っ向から否定することになるのみならず、およそ知的なコミュニケーションというものに価値を認めない暴論にも聞こえよう。しかし、ここでいう「人」が、先入観と独断に凝り固まっていて、ほとんど人の話に耳を傾けようとしない呈の「人」ということになるといささか趣が異なってくる。読者の中にはそのテの「人」に遭遇された方もあるいはいらっしゃるのではないか、と思ってこんなことを書いているのだが、それでも議を尽くさねばならぬのが、まさに民主主義の民主主義たる所以なのだろう。とはいえ、意思決定のハイラーキーの上位者、権力者(英語で言うとことの powers that be)にこれを試みようとするのは至難の業ともいうべきであって、「なんで中央アジアやトルコにのこのこ出かけてゆく必要があるんだ。日本はアメリカと仲良くしてればいいんだ。」みたいな上司に、トルコ出張を認めさせる苦労を想像してみてほしい。「気取ったフランス料理なんてでえきらいだ。しゃぶしゃぶがいい」と駄々をこねるどら息子の跡取りを、有望取引先のしゃれたビストロに連れてゆこうというのもこれに類するか。思い込みとはいえ、この種「思い込み」は頑迷な上司や愚鈍な跡取りに限ったことではなく、我々自身が時にこれに陥って、気づかないことがあるから要注意だろう。(蛇足を加えれば、気づかないから問題なのであって、気づいているのならそもそも問題にならない。)その一例が、上のエピソードではないがトルコである。前に(「トルコ総選挙」2007.8.2)も触れたが、われわれのトルコ観は多分に西欧メディアの影響を受けている所為もあって。かなり詳しい人のそれもとかく一面的なものになりやすい。つまり、イスラム諸国の中では唯一「世俗化」(secularization)に成功した国で、文字のローマ字化にみられるように、かなり思い切った西欧化政策を施行した。だが、近代トルコの改革の成果は、経済をはじめとして今ひとつパッとせず、ためにイスラム諸国が世俗化・西欧化の身近なお手本として、憧憬の対称となるには至らなかった。それどころか、ソ連崩壊後中央アジア諸国に訪れた海外留学ブームの中で、トルコを選ぶのはよほどくじ運の悪かった人だけだ。逆に、イスラム教国でかつ豊富な労働力輸出国(人口7千万人のうち34歳以下が65%)であるために、なんのかんのとEU加盟を延期され、西欧の一員となるのを認められない。中欧諸国がいち早く一員として迎えられたのと好対照である。それかあらぬか、反西欧的イスラム主義者が台頭し、大衆の支持を得て政権を奪取するに至った。近代世俗主義の守護神をもって自認する軍部は、その歯止めをしたいものの、西欧世論を視野に入れると、いまひとつ踏み切れないでいる。非民主主義的なイスラム国トルコのイメージをキプロス問題以来引きずっているからである。EUの準加盟国トルコのイスラム原理主義化は、その与える影響が少なくないことから憂慮されている。 国内論調ところが、同じ状況をトルコ論壇はどう見ているか。イスタンブール在住のファラ・コンサルタンツのコリンスワースに言わせるとこういうことになる(EWIレポート2007.9.20)。トルコはいまやグローバルなアクターとしての地位を固めつつある。欧州とアジアの中間に位置するという立地上の利点を生かして、双方の地域機構のメンバーであり、これは世界に類を見ない。NATO(北大西洋条約機構)とCICA(アジア信頼醸成措置会議)をはじめOIC(イスラム会議機構)BSEC(黒海経済協力機構)などなど参加している機構は枚挙にいとまがない。コーカサス、中央アジア、南東ヨーロッパには文化的親近性を生かして良好な経済関係を築きつつあり、カザフスタンの新首都アスタナの建設はほとんどがトルコ企業の手になっている。開発正義党(AK)が政権についてからはインフレを終熄させるとともに、年率7.5%の経済成長を遂げている。周辺の資源大国からの投資も流入し、前途は明るい。経済的のみならず、トルコはヨーロッパ最大の軍事力を擁する。ただ単に戦力を保持するだけではなく、アフガニスタン、コソボ、レバノンなどで実際に戦闘に参加しており、その実力を疑うものは少ない。世界の最大課題である西側とイスラムの関係構築に当たって、その仲介者としてトルコほど適した国はないだろう。トルコはエネルギー資源に乏しく、年間290億ドルのエネルギーを近隣諸国から購入している。その事実を弱点としてではなく、したたかに交渉力の一部とする能力も備えている。その一例が、中東から欧州その他の地域向けの石油・ガスパイプラインの立地候補として最右翼だという事実だろう。と、底抜けに明るいのだ。 食い違いそのどちらの見方が正鵠を得ているか、ということより、思い込みは目を狂わせる、というのが今回の解題なのだが、トルコについてはもう一つ触れておきたい「思い入れ」の食い違いがある。1985年サダム・フセイン健在なりし頃のイラ・イラ戦争のさなか、日本人215人がテヘランに取り残された。フセインはミサイル攻撃を予告、さらにはイラン上空を飛行するものは無差別に撃墜するという。日本政府は(例によって)なす術をもたず、日本航空も安全が保障されていないんでは、というさなか、トルコ航空の旅客機が敢然救出してくれた、という事件があった。日本のODAが効いたんだろう、と世にも馬鹿げた報道をした日本の新聞社があったりしたが、その背景にはコリンスワースの述べるような経緯があったかどうかは解らない。しかし、関連して想起される歴史上の出来事があったのは事実だ。そしてこの事件はトルコの親日感情に預かって力ある、という人も多い。事件というのは1890年(明治23年)、日本への親善航海の岐路、熊野灘で台風によって遭難したオスマン・トルコ(当時)のエルトゥール号生存者を、村人たちが献身的に救出・介抱したというもので、串本町にはいまも日本側が建立した慰霊碑と、ケマル・アタチュルクが送った碑が残っているという。 歴史的な親日感情というのは、ロシアをやっつけた時から、というのが結構多い。フィンランドでトーゴービールというのはそれだし、トルコもそうではないか、という人もいるがこの事件はそれより十年以上早い。今となっては日本で知る人もいないに等しい事件だが、善行は思わぬ副産物を生む。(入山 映) |
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2007年10月09日
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