公益法人制度改革で何が起きているか北朝鮮拉致被害者の救出やその家族に対する支援活動は「公益」のためのものとはいえない。だからそんな活動を奨励したり、特別に優遇したりする必要はない。別な表現でいえば、そんな活動で利益を受けるのはたかだか被害者とその家族にすぎないから「私益」も同然であって、「公益」とはいえない。などという人がいたら、われわれはどんな反応を示すだろうか。発言者の感覚を疑わないまでも、それでは「公益」って何なの? 誰が決めるの? という疑問は当然に発生するだろう。架空の話でもなければ、ホラーストーリーでもない。これが現在進行中の「公益法人制度改革」における「公益」の定義なのだ。今回成立した法律によれば「公益」とは「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する」ことだとされる。だから、どう考えても特定少数者である拉致被害者やその家族の「利益の増進」にしか寄与しないものは「公益」とは呼べない、ということになる。それならば問いたい。そんな「公益」という概念にいったいどんな意味があるのだろうかと。ある組織の活動目的がこの定義による「公益」に該当するかどうかを判定するための「公益認定等委員会」の人選も終わった。素晴らしいラインアップである。しかし法律の規定を委員会が変える訳にも。無視する訳にもいかない。 公益法人制度改革については、これまでに二度(昨年1月21日・11月17日)このブログ上に紹介した。民にできることは民に、官でしかできないことに官は特化する、という小泉改革以来の政府スローガンにも関わらず、今回の改革がいかに制度を歪曲し、改悪になりつつあるかを指摘した。しかし、公益法人の存在が日本における市民社会の可能性と密接に関わる、という問題意識それ自体が希薄なせいだろうか、読者からの反応もほとんど皆無だった。しかし、この一事を持ってしても解るように、どう考えてもわれわれの常識に反するような事態が着々と進行している。 まだ出来ることはあるさいわいこの不適切な「公益」規定を骨抜きにしうる装置が存在している。余り専門的にわたるから詳論は避けるが、非営利、つまり利益分配を目的としない組織(例えば拉致被害者家族の支援組織。これが営利目的だという人はいないだろう)の行う活動には全て「公益」性の推定を与え、いくらなんでもこんなものは公益とはいえないよ、せいぜいでお仲間内の利益のためとしかいえないでしょう、という「目に余る」ものに対してだけ先の「不特定うんぬん」の要件を(排除要件として)適用すればよい。理不尽な制度改悪に対してまだ出来ることはある。(入山 映) |

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