「公務員制度改革」とは何なのか公務員制度改革をめぐって、どうやら自民党内では意見一致をみたようだが、その過程においては、担当大臣と党の間に不協和音が聞かれたり、官僚の側からの「巻き返し」の文書が発表されたり、様々な報道がなされた。ただ、ことの真相は「公務員」制度改革といいながら、実は一握りの高級公務員の早期退職の慣行と、それと抱き合わせになった再就職先斡旋の話が中心で、それ以上でも以下でもない、というのが真相だというのは意外に報じられていない。これまで退職後の高級公務員の処遇をめぐっては、その早期退職という人事慣行を前提として、「早く辞めるのだから」「早くや辞めさせるためには」再就職の斡旋が必須だとする論調が、多少の力点の置き方の差異はともかくとして、一貫したものであったし、あたかもこの前提条件は自明であるかのごとく扱われてきたと言ってよい。 若くして責任ある地位に就くことは悪いことではない。そしてその事実が優秀な人材を吸引するのに役立つということはあるだろう。しかし、(1)早く偉くなって階段を昇り詰めることが、必然的に早期退職を余儀なくするかどうか。(2)仮に早期退職が発生するとして、再就職というアフターケヤーまでする必要があるかどうか、(3)再就職なるものの中身に問題はないのか、という3点は今少し吟味が必要なように思われる。 早期退職は必須の前提ではない少子高齢化社会を迎えて、定年延長、さらには高齢者企業内再雇用の旗を振っていたのは他でもないお役所ではなかったか。役職定年制を敷いて、昨日まで偉かった人でも一定年齢以上の雇用継続後にはラインのヒエラルヒーから切り離すべく様々な工夫をする、というのが民間企業の知恵ではなかったか。それに学ばず、あるいは学ぼうとせず、巷間伝えられる生涯稼得賃金保証(一説によれば8億円とも)を念頭に置いた再就職斡旋を後生大事に守り通そうとする、というのであれば、それは官のむき出しの特権意識と甘え以外の何者でもない。「早く偉くなる」のは確かに旧・高等文官試験、あるいは上級公務員試験以来の人事運用ではあろう。しかし、それとても、副作用の害の方が多いのならば当然見直されてしかるべきならばなおさらのことである。隠れ蓑としての公益法人利権を巡っての官民癒着を防止すべく、公務員は退職後2年間はさかのぼって5年前までに在職していた部署と関係ある組織への就職が禁止されている。逆に言えば、2年間ほとぼりが冷めるのを待てば、お好きなように、ということであり、その途中のクッションとして活用されるのがいわゆる「外郭団体」としての公益法人であることはこれまでにも再度指摘されている。この公益法人の運営財源の大半は官庁からの委託費・助成金、あるいは名前をなんと変えようとも税金であることには変わりない。「渡り」と揶揄されて、数年の勤務で法外な退職金を得て次のポストに嬉々として就任する高級官僚の数は、毎年メディアをにぎわしている。しかも、今回の公益法人制度の改悪によって、これは一層易しくなる。かくして10兆円のオカネをつかう20万人の隠れ公務員は依然健在であり、これにメスを入れるどころか、ますます隆盛を極めることになっている。人材バンクの虚構こうした構造的な問題を放置したまま、省庁と再就職先の直取引を禁じるために設立されるという人材バンクなるものは、目くらまし、いわゆる“赤いニシン”の域を出るものではない。まして、規制の対象となる就職先から「公益法人」を除こうと執拗にくりかえされているというお役所の「根回し」は、あさましいというほかはあるまい。これをしも改革の目玉商品であるかのごとく言いつのるとすれば、それこそ国民を愚弄するものであると言ってよい。問題の所在かといって、お定まりの役人バッシングをしていればよいというものでもない。日本の官僚はおおむね清潔で、かつ有能である。小細工を弄することによて彼(女)たちの労働人生の最後を保障しようなどとせず、思い切って定年延長をするなり、暖衣飽食で禄だけを食む、というのではなく、在職中に培ったパブリック・マインドを生かせるような「しかけ」をもっと真剣に考えてもよいのではないか。わが国のお粗末きわまりない高等教育、特に大学院教育、さらにはプロフェッショナリズムについてさらに多くを望まれる市民社会組織、荒廃すること久しく、新たな人材を渇望している地方都市、有能な人材に対する需要は数限りないのだから。(入山 映) |
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2007年04月15日
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