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日米の両方のシンクタンクで勤務しながら、大きな格差を感じる。そのギャップの本質は、個人に力点を置くか組織を重んずるかに起因するように思われる。本当に日本人は組織を好むのだろうか。ふと単純な疑問が湧いてきた。
日米のスポーツの特徴それは、日本の古来から伝わるスポーツに組織を重んじるスポーツがほとんど存在しないのに、欧米のスポーツは団体や組織が主流であるということである。剣道、柔道、空手、相撲など日本の伝統的なスポーツは、個人を中心とするスポーツである。一方、欧米のラグビー、サッカー、野球などは団体・組織のスポーツである。ラグビーを例に取ると「One for All,All for One」という標語を思い出す。日本では組織のために個人があるという考えだが、欧米では個人のために組織がある。という後者のAll for Oneに力点を置いていると考えられる。 イチロー、松井、ダイスケなどが大リーグで生き生きと侍のようにプレーしている姿に接し、明らかに大リーグは、個人の能力を自由に伸び伸びと発揮できる環境を提供しているように感じる。しかし、日本のプロ野球は、勝利のために組織やチームプレーが重んじられ、個人が萎縮しているように思われてならない。 日本人のDNAに反する日本の会社組織スポーツから日本の社会に目を向けてみると、日本の会社組織は、世界に稀なる組織を重んじる社会だと思う。終身雇用や年功序列などは、組織の一員として、One for Allとして勤務するのには良いが、組織やチームワークを乱す、革新的、創造的な行動や新構想は排除される傾向にある。日本の社会は、農耕社会や村社会に見られるような組織社会だと考えられている。しかし、日本の伝統的スポーツが個人中心であるとの例からも必ずしも組織社会に満足するとは考えられない。農耕社会が始まり数千年であるが、それ以前の何万年という時代は狩猟時代であり、また、日本人には蒙古斑が存在することから、我々の先祖は、ユーラシア大陸を遥か太平洋の彼方まで移動してきた民族であり、狩猟遊牧民族的なDNAを備えていると考えられる。 そのように考えると、現在のとりわけ戦後の日本の会社組織の特徴である組織を中心とし、個人を生かさぬ構図は、本来の日本のあるべき姿でないように思われてならない。もし仮に、敗戦国日本の宿命として、明治維新から20世紀初頭にかけて観られた大きな構想と共に行動する傑出した人物を生み出さぬとのアメリカの対日政策が存在すると考察すると、見事にそれが今日も機能しているように思われる。 鉄のトライアングルとペンタゴンワシントンのシンクタンクに接しながら、ふと興味深いことに気がついた。それは、シンクタンクの役割である。日本の社会構造は、政界、財界、官僚機構の鉄の三角形(トライアングル)で成り立っている。そして新聞、テレビ、書籍、インターネットのメディアの勢力が増し、4角形(スクエア)になり、また、アカデミズム、市民団体、NPO,NGO,宗教団体、医者、弁護士などのプロフェッショナルな集団を入れると、5角形(ペンタゴン)や6角形になるとも考察される。そのような形態の中で、シンクタンクはどのような機能を果たしているのだろうか。日本ではシンクタンクは機能していないようだが、アメリカのシンクタンクは、独特な役割を演じている。例えば、ワシントンの著名なシンクタンクの研究員は、政治、官僚、財界、メディア、大学、弁護士、宗教団体、国際NGOのすべてを経験し、それらに精通している人物が多い。日本の社会では、これらすべてを経験するのは、余程のチャンスに恵まれた異端児でなければ不可能である。 ペンタゴンを動かすシンクタンク政・官・財・メディア・学・市民などのペンタゴンの構図の中心に入り、その調整機能を果すのがシンクタンクの醍醐味であるように思う。メディアは真実・うわさ・嘘の3つしか伝えない。真実をうわさや嘘に変貌させさり、うわさや嘘を真実に変えたりするのもシンクタンクであるように思う。そのようなシンクタンクの機能が、新しい国際秩序の構築が想像以上の速度で進展している地政学的情勢の中で、日本も本格的なシンクタンク機能を備える必要があるように思う。しかし、それが組織に力点を置くならば、シンクタンクは機能しないように思う。理想は、日本の古来からのスポーツである剣道や柔道などの個人技を重んじながら、大リーグのような個人の能力を十分発揮できる「All for One」のシンクタンクであろう。(中野 有) |
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