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トルコの総選挙が行われた7月22日にたまたまイスタンブールに滞在していた。それまでトルコについては、日本や欧米の報道しか耳目に触れることはなかったから、エルドハンの率いる正義開発党(AKP)というのは、イスラム原理主義の色彩の濃い政党で、ケマル・アタチュルク以来の国是である政教分離に反抗する「危ない」存在だ。もしかしてAKP支配下の政権でも成立したら、世俗主義(secularism)の擁護者である軍部が介入しかねないのではないか、といった程度の認識しかなかった。事実今回選挙の引き金になった、AKPの推薦した大統領候補者がかなりの保守的イスラム主義者だと目され(候補夫人は例のヴェールを常に頭にまとっている)、それに軍部が反発を示した事件にしても、フランスの公立学校におけるヴェール着用禁止とのコンテクストで報道されるケースが多く、AKPイコール反世俗主義、世界的イスラム原理主義的傾向の一端、とでもいう理解が一般的だったように思う。 現地に見るAKP選挙結果はAKPの圧勝に終わった訳だが、現地の英字紙 TURKISH DAILY NEWS(これがややAKP寄りな新聞であるのを割り引いても)の論調や、現地の人々と話をすると、どうもこの認識はあまりに一方的に過ぎると思われるようになった。というより、ケマリズム、あるいは世俗主義を標榜する人民共和党(CHP)あるいは国民運動党(MHP)が一種のエリーティズムに陥って、一部のインテリ層しか念頭に置かない議論と運動論に走ったことの反動だという見方が余りにも外部には知られていない、といって良いかもしれない。周知のようにトルコは依然として農業国であり、人口の1割以上が居住するイスタンブール、あるいは首都アンカラの都市住民というのは圧倒的小数派である。誤解を恐れず比喩的表現を用いるならば、都市住民を無視して、農村部住民を重視した政策によって自民党が永く政権政党であり得た(そのバックラッシュが最近見られるのは皮肉という他はない。ただそれは本稿の趣旨ではないから詳論しない。)というのと逆の現象がトルコには存在していた、ということのようだ。つまり、おどろおどろしいイスラム原理主義などというのとは無縁に、ただ習俗としてヴェール(あるいはブルカ)を身にまとい、日に何度か(定められた回数ではないにしても)の祈祷を欠かさない多数の人々を無視したところでケマリスト達の議論は展開していた、という見方もあろう。インテリと庶民・そして民族問題それは何のためかといえば、大きな理由の一つはEU加盟である。わが国の鹿鳴館ではないが、野蛮な習俗は廃棄しなければ西欧に仲間として認められない、といったメンタリティが存在しなかったとは言えないように思う。(事実アタチュルク改革の前に、あのトプカピ宮殿を棄てて、あまり趣味が良いとは言い難いドルマパフチェを建てた歴史がある)。聖俗は分離だ、ヴェールは公の場所でまとうべきではない、ということになるのは見やすいだろう。インテリにとっては一大事のEU加盟も庶民にとってはさしたる大事ではない、というよりそれが大事であることをケマリスト達は大衆に訴えていない。さらに問題を複雑にしているのがクルド人だ。先にも触れたが、ケマリズム擁護者として自他ともに認めるトルコ軍部だが、これが永きにわたるクルド人問題に就いては断固討つべし、という(軍人特有の)レトリックを奉じている。ここでは詳細に触れるスペースがないが、簡単に言えば、アングロサクソンを中心とする世界列強によって、昨日まで一緒に暮らしていた仲間が、いくつかの「クニ」に分断され、「おいおい、そりゃないよ、おれたちは一緒のはずだ」という訴えが、ことごとく無視され、抑圧された不幸な民族の一つである。まあそれが過激になったり、テロ化したりというのはおなじみの話だから割愛するにしても、ここで問題なのはクルドの利益を代弁すると見られている民主社会党(DTP)が議席を伸ばしたのみならず、クルド人居住地区においてAKPが圧倒的に票をのばした、という現象である。その意味するところ敢えて牽強付会(無理なこじつけ)の一般化をするつもりはないが、(西欧)メディアに過度に依存している世界観は歪みがちだ、という点はもっと指摘されてよい。われわれが学んだ「世界」史が、実は「西欧」史に限りなく近いのと同じように、ニューヨークタイムス、あるいはフィナンシアルタイムスしか読まないという政治家が首相だったり、「ゴミ」のような小さな国々はどうでも良い。欧米だけ見ていれば良い、といった近視眼的、というより愚劣とも言える議論が幅を利かせているようでは、日本は全く存在意義と比較優位を喪って「二流」の西欧国家に成り果てるのではないかという思いなしとしない。世界には二百を超える国々が存在する。その世論、その動向のすべてを把握する必要もなければ可能性も少ない。しかし嫌な言い方だが「戦略的」に重要なクニを弁別する「めきき」の能力と意欲がなければ、このクニは緩慢な知的自殺の途をたどるように思う。世界で類のない親日国であるミャンマーとトルコについてのわが国の対応を思うといっそうその観は強い。(入山 映) |
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