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京都の上賀茂神社の近くで生まれ、海外の色々な所で生活をしてきた。日本に帰った翌朝には、山紫水明の加茂川の空気を思いっきり吸いながらジョギングし、上賀茂神社の古の空間に浸るのが何とも表現できぬ最高のひと時である。
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2007年08月21日
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政局報道と政治報道以前(2006.10.27)にも書いたことだが、政権の人気・不人気や人事観測、いわゆる「政局」記事に比べて、何が論点でどう問題なのかという「政治」記事が(多少ましになったものの依然として)少ないのは相変わらずである。安倍内閣の不人気、それにも関らずの継投、27日と予想される内閣改造、はては防衛省の人事問題などなど。その種のタネには事欠かない。本当に問題なのは、「美しい」日本とは何を意味するのか、ということの筈なのだが。その内容としては、憲法改正と教育の見直し、あるいは「再チャレンジが可能な社会」(それは具体的にどういうことなのか?)が重点政策らしい、という以上のメッセージがとんと伝わらない。参院で第一党になった民主党にしても、三つの公約を履行したらいったいいくらかかるのか、その財源をどこに求めるのかについても、必ずしも明確にしている、あるいはしようとしているとも思われない。参院選惨敗の遠因(以下敬称略)敢えて乱暴に総括すれば、郵政解散で信を問うた小泉政権を、国民は三分の二という圧倒的多数で支持した。余りの高支持率の結果に、少しやり過ぎだったかな、小泉支持という意味でそれほどでもない候補者に投票してみたものの、次の機会には少し考えてみてもよいかな、と考えた有権者も少なくなかったはずだ。その後「小泉改革」の後継者を標榜した安倍政権が誕生する。そしてその直後に「造反」当選議員の復党劇。これも前(2006.12.1)に書いたが、ここで国民は「あれ?」と思う。自民党流のオトナの解決。これは小泉流とは(小泉本人のこの措置に対する支持声明にも関わらず)明らかに差があるな、と。なるほど安倍内閣の組閣・党役員人事は派閥均衡を重視しない点で小泉路線を継承したかに見えた。しかし、決定的な違いが二つあった。一つはメッセージ性の欠如であり、二つ目は個々の人材の資質である。この両者は別な問題ではなく表裏一体というべきなのだが、これについて詳論はしない。当たり前の話だが、安倍は小泉ではない、という認識はこのあたりで多くの人々に共有されたと思う。安倍には残念ながら小泉のカリスマはない。そしてそれゆえに官僚に対する影響力もない。とすると、と人は疑う。何のことはない昔に逆戻りか、と。公共事業抑制、公務員制度改革、公益法人制度改革、すべてコスメティックワークに過ぎないのではないか?政権コミュニケーションの要諦ならば、すべきであったのは、そして今からでもすべきなのは、丁寧に、自分の言葉で自分のしたいことを国民に訴え、その時点でもっとも重要だと考えていることを諄々と説くことだろう。小泉ワンフレーズは彼ならではの技である。それが可能であったのは、挙措動作が「ぶれない」という信頼感が国民の間に定着していたことによる。少なくとも右顧左眄したあげく、骨抜きにされることだけはない。それくらいだったらあの人は解散(事実した)なり、総辞職をするだろうという、そんな彼の手法に対する認識と表裏一体になっていたのが、飯島秘書官の発案になるといわれる例のマスコミとの短い一問一答だった様に思う。現首相にはそれらの前提が全て欠落している。だから短答は月並みな、内容のないものと受け取られることになる。単なるテレビ目線の問題などではないように思う。むしろルーズヴェルトがやったような「炉辺談話」形式の方がはるかに向いているのではないか。山積する諸問題についての首相のじっくりと考え抜いた上での発言は、必ずや国民の支持を受けるであろう。(もちろん内容があればの話だが)国際問題特に、小泉政権に対する比較優位を外交問題において見い出そうとするのならば(そしてそれは決して悪い選択ではない)、一層しっかりしたフレームワークが必要とされよう。特に「民」の力を十二分に活用した外交のあり方を追求すれば、これまでの官のみがプレーヤーであった時代からの決別という意味で、安倍首相は史上永く記憶されることになろう。絵空事ではない。小渕首相の時代に日本の提唱した「人間の安全保障」、福田元官房長官のとりまとめた「外交方針」、麻生外相の発案になる「寺子屋」、アイディアは既に存在している。誤解のないように付言すれば、外交が民だけでできる訳がない。官民の補完関係こそが重要なので、その意味では世界でただひとつのODA成功事例である日本のインフラ中心のそれは誇るべきものだし、堅持していけばよい。ただ、インフラだけでは開発はうまく行かず、社会資本(social capital)という車の両輪が必要で、後者については官の関与は百害あって一利ない、その認識に立った首相の哲学が必要だということを指摘しておきたかったに過ぎない。(入山 映) |
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