涼を求めて 湿原街道(上)
日本列島の上空はどうなっているのだろうか。
今年の夏は尋常な暑さでないようだ。
岐阜と埼玉で最高気温40度9分の日本新記録。
空気がお風呂なみの温度に達した地域では、汗をぬぐうと垢がぼろぼろ落ちてきたのだろうか。
心から残暑お見舞い申し上げます。
札幌でも連日真夏日となり、今夏に限って札幌も南国の仲間入りだ。
札幌よりはるかに涼しいはずの釧路根室地方に夏の花を求めて、お盆の時期に出かけてきた。
湿原と人間
湿原と言うとどういうイメージを持つだろう。
荒地、ぬかるみ、虫がいっぱい、人が住めない所だろうか。
実は人間と湿原のかかわりは大変深く、多くの大都市は湿原の上に作られているそうだ。
テムズ川のロンドン、ネヴァ川のサンクトペテルブルグ、カナルのベネチェアなどは、いずれも川のデルタ地帯などから発達した。
水の都と言われているところは、都市形成がなされる前はみな湿地帯だった。
(写真:ベネチェア 07年7月)
実例を海外に求めるまでもない。
江戸川の東京、淀川の大阪、信濃川の新潟、
豊平川の札幌など、都市と湿地の関係は枚挙にいとまがない。
「あなたの住んでいる立派な大都会は、昔は湿原や湿地だったんですよ」
というとなんとなく楽しい。
つまり人間の生活には水が必要だった。
人類の歴史は洪水に怯えながらも水のそばに住み、湿地帯を克服して徐々に埋め立て、今日の大都会を作り上げたと言うことだろうか。
湿原博士
辻井達一という植物学者がいる。
国際湿地保全連合の理事で日本委員会の会長、平たく言えば日本の湿原学会のボスだ。
むかし北大植物園の園長を務めて、現在は北海道環境財団の 理事長、知床の世界自然遺産登録の学術的分野で貢献する。
一方、乾燥化が進む日本一の湿原、釧路湿原の川を直線から曲線に戻す前例のない大手術を進める外科部長だ。 (写真:小清水原生花園での辻井先生 05.7月)
辻井先生の話を聞くと、日本列島は湿原の島だったいうから
話は大きく興味も尽きない。
この先生、一介の植物学者でなく、シャーロック・ホームズの研究家として知られている。
「シャーロック・ホームズにおける樹木学的研究」を世に出しており、名探偵ホームズも真っ青だ。
それによると日本国の古来の呼び名は「 豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」とか「 秋津島」と言われていた。
秋津(蜻蛉)はトンボの古名だから、トンボが多いというのは湿原が存在していた証拠であるという。
また豊葦原は葦の原で、葦(ヨシ)がたくさん生えているように瑞穂、すなわち稲が育つ国を意味するという。
本州以南の葦の多かった湿原は、弥生時代から営々と水田に変えられてきて今日に至る。
最近では、土壌が泥炭地という厄介者だった石狩大原地帯が、世界でも例のない客土による土壌改良で、日本一の水田地帯に見事に化けた。
*余談だが葦はむかし「アシ」といわれていたが
「悪し」につながるとして学会で「ヨシ」に統一したという。
うそのような話、これホント。
「いずれもよしあし」なんて言わないで。
植物図鑑ではヨシとなっており、小さく別名アシと書かれている。(写真:ヨシ・日高新冠 07.5月)
湿原野外博物館
昔湿原で覆われていたは日本列島は住宅地になり農業地となり、湿原はどんどん小さくなってしまった。
そうした中で現時点で湿原が最も残されているのが北海道で、日本の湿原の80%が北海道にある。
そのまた80%が今回自然観察で訪れた北海道東部に集中している。
つまり釧路根室地方は湿原街道、日本の湿原の宝庫とも言える。
大きい湿原ならシベリアやカナダにもいくらでも見られるが、
北海道の湿原の面白いところは、地形・発達様式・動植物などの多様性がきわめて高いのが特徴で、北海道は湿原の「野博物館」だという。
ますます楽しくなる。(つづく) (寄稿=望田 武司)
(写真:霧多布湿原 07.8月)
望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
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