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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 番外編「幻のロッキード再現ドラマ」 ロッキード事件をテーマにした再現ドラマは、03年12月29日午後9時から約2時間半にわたって、日本テレビのスーパーテレビ特別版として放映されるはずだった。広報資料に基づき、11月半ばのスポーツ紙には「ロッキード事件 初ドラマ化」などと大々的に報じられた。配役は、田中角栄元首相役に津川雅彦さん、小佐野賢治国際興業社主には長門裕之さんなどと紹介され、社会部記者役として長嶋一茂さんも登場すると伝えられた。 ところが、この放映は直前になって延期された。一方で、同じ時期にフジテレビが制作を発表していたビートたけしさん主演のドラマ「田中角栄〜異形の将軍〜」も12月8日、中止が発表された。こちらは、フジテレビの担当者が「田中家側の理解が得られなかった」と事情を説明し、撮影に入る前に中止となった。 すでに作品がほぼ出来上がっていた日本テレビでは、翌04年2月3日に改めて放送を予告し、記者発表の設定までしていた。担当者は「今度はきちんと放映します」と約束してくれていたのだが、やはり直前になって、「中止」の決定となり、その理由は今日に至るも公式には明らかにされていない。 このドラマの制作にあたって筆者は、熱心に番組作りに取り組んでいた担当プロデューサーやプロダクションの依頼で、当時の取材の様子や記者クラブの見取り図などを説明し、協力してきた時期がある。求められるままに、プライベートな写真なども提供し、壮大なドラマの完成を楽しみにしていた。 制作側は、ロッキード取材に駆け回った毎日新聞記者の活動を記録した「毎日新聞ロッキード取材全行動」(講談社、77年刊)に興味を持ち、台本を仕上げていった。「調査報道」重視の記者たちの活動を通じて事件を描くストーリーで、筆者も台本に手を入れさせてもらった。「読売新聞と関係の深い日本テレビで、毎日新聞のPRをしてくれるとは」と、内心、戸惑いも感じつつ、一緒に作業を進めた訳だが、それが甘い見通しだったのかもしれない。 「中止」決定後、何度か手紙やメールで理由の説明を求めたが、回答はなかった。今回、この問題を取り上げるため改めて当時の担当者に質問したが、組織としての判断という以外に、答えはなかった。テレビ局で計画したドラマがなんらかの理由で中止されることは、あっても不思議ではないかもしれないし、その是非を問う立場にはない。ただ、同じメディアに働く人間として、説明責任は果たしてほしいと願うのは酷なことだろうか。 ロッキード事件は、社会部記者として遭遇した最大の事件である。そればかりか、個人的理由を超えて、権力の頂点に立ったことのある元首相であっても、その職務を汚すことがあれば、罪を問われるという民主主義の原点のような事件だったと思っている。その意義を広く知ってもらえる企画の狙いに共感し、共同作業の一端を担っていたと考えていただけに、いまも残念でならない。 この「番外編」でひとまず筆を置かせていただきます。 「ロッキード事件30年報告」をご愛読いただき、有難うございました。 30年前の出来事なのに、関心の高さに驚かされています。特に、「20代会社員」「私もロッキードを知らない世代」などのコメントをいただき、若い世代の人たちに読んでいただいたことが分かり、嬉しく受け止めています。 毎日新聞の2月8日夕刊社会面コラム「憂楽帳」(東京紙面)で、後輩の小野博宣社会部デスクが「こだわり」と題して取り上げてくれ、より一層、多くの方々の目に触れたことは幸いでした。 「現場に神宿る」「自分の眼で見、足で稼いだ記事」といったコメントもいただき、新聞記者のありかたを改めて考えさせられました。今年の年賀状に「文字の力、言葉の力に対する信頼を回復したい」と記しましたが、この報告がその一助になればと願っています。 ジャーナリストとしての意志を持続して、また、どこかで皆様の目に触れる機会があることを希望して、「続編」のリクエストをいただいたご好意に対する御礼といたします。 高尾 義彦 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
ロッキード30年報告
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第10回 「新聞が果たした役割」 「灰色高官」は、ロッキード資金受領が判明しながら、職務権限や時効のため刑事責任を問えなかった政治家を指す。二階堂進、佐々木秀世、福永一臣、加藤六月の4議員が2−500万円を受け取ったと東京地検特捜部は認定し、事情聴取必至の時期だった。 問題の記事は、「『灰色高官』4人から聴取」の大きな見出しをつけ、8月26日朝刊1面トップで報道された。前夜11時ごろに、社会部記者だった筆者が都内の公衆電話から、下書きを用意する暇もなく、いわゆる「勧進帳」で送った原稿だった。朝刊で各社一斉に足並みをそろえた「誤報」だった。 前夜は、政治家逮捕が山を越えて少し緊張が緩んだせいか、夜回り取材を一部省略した。ところが、こちらが手抜きをした検察幹部宅で「すでに聴取した」という話が出たとの情報を、遅れてキャッチする羽目になった。電話で送稿中にNHKが「灰色高官聴取」のニュースを流し始め、社内のデスクから「何をやってるんだ」と怒鳴られた。 原稿を送り終わってホッとしたものの、どうも腑に落ちない。午前0時過ぎに主任検事の自宅に上がりこんで確認すると、「やってないよ」とそっけない。愕然として、電話を借りて情報の発信源である検察幹部に確かめると、否定も肯定もしない。主任検事に改めて話を聞き、心証としては「まだだ」と感じたが、全メディアが「聴取」で走り出している。締切時間ぎりぎりで、回り始めた輪転機は止めようもなかった。 翌日、自民党田中派の代表が東京地検検事正に抗議に訪れた。検事正は夜になって聴取を否定する談話を発表し、毎日新聞も翌日の朝刊に「お詫び」を掲載した。4人はその後に聴取を受け、事件の骨格にゆるぎはなかったが、早とちりに冷や汗を流した。 「誤報事件」はマイナスの教訓だが、ロッキード報道で毎日新聞は、事件発覚当初から捜査当局の発表に依拠せず、自力でさまざまなニュースを発掘し、その成果は「調査報道」の走りとなった。捜査に積極的だった三木武夫首相の退陣を迫る自民党内の「三木降ろし」に対抗するキャンペーンを張って、真相解明を求める国民の立場で紙面展開した。 最近、田中元首相の弁護団の一人から、ライブドア事件に関して「何故、新聞は検察の捜査以前に、問題点を読者に伝えられなかったか」との意見を聞いた。元首相を「今太閤」と持ち上げたマスコミが、その後に徹底的に元首相をたたいた構図とライブドア事件が重なって見えるようだ。 その批判を自戒の糧として受け止めつつ、新聞に対する読者の期待を裏切らない紙面を、と痛感する。それが、新聞作りに新しい地平を開いたロッキード報道の財産を生かす道だ、と付言したい。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第9回 「問われた運輸行政」 この事件では、元首相はじめ16人が起訴された。全日空関係は元社長、元副社長ら幹部6人が被告となり、1企業としては最も多い。加えて、橋本登美三郎元運輸相、佐藤孝行元運輸政務次官も、受託収賄罪で被告の座に据えられ、運輸行政のあり方が問われた。 東京地検特捜部が最初に全日空関係者を逮捕したのは、76年6月22日だった。捜査は夏にかけて急展開し、政界関係ではまずトップの田中元首相らを逮捕(7月27日)、橋本元運輸相は8月21日、佐藤元次官はその前日に逮捕された。 当時の全日空は国際線進出を悲願とし、日航に追いつけ追い越せと拡大路線に向かっていた時代だった。元運輸相は、日航が先行していた大型ジェット機導入の時期を遅らせるよう若狭社長から依頼され500万円を受領し、元政務次官は航空行政に関して大臣通達原案を作る際に同様の依頼を受けて200万円を受領した、と判決は認定した。 若狭社長は最高裁まで争ったが、副社長以下5人は一審で有罪が確定した。橋本元運輸相も上告中に死亡し、最も特異な軌跡をたどったのが、佐藤元政務次官だった。 起訴後も政界での活動を続けた元次官は、86年7月、突然、最高裁への上告を取り下げた。一、二審とも有罪だったが、3年の執行猶予期間を早く終えて政治活動に支障がないよう環境を整えるためだったのか。「真実とかけ離れた判決を維持しようとする裁判所に、これ以上期待するのは無駄」と司法を批判し、取り下げの理由を明らかにした。 その元次官を97年9月に総務庁長官に任命したのが、橋本龍太郎首相だった。裁判進行中も「田中元首相は恋人」と言ってはばからなかった田中派の一人である。しかし、元次官は世論やメディアの批判を受け、在任12日間で辞任することになる。 確かに、執行猶予期間が過ぎれば、その罪を問うことは出来ないが、倫理的責任をどのように考えるか、政治家の良識が問われる。「田中支配」が続いたころも、法務大臣に就任しながら、「青天白日の身に」と元首相擁護の発言をして追及され、国会で陳謝した倉石忠雄氏のような政治家がいた。 目を現在の政治に転じても、自分の責任を棚にあげて開き直り発言を重ねる閣僚の姿が目につく。こうした言動が国民に与える影響を、「選良」たちはどのように考えているのだろうか。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第8回 「小佐野賢治社主の暑い部屋」 しかし、小佐野ルート捜査の結末は、「記憶にございません」と繰り返した国会答弁がすべてを物語っていた。20万ドル受領を否定した議院証言法違反による訴追にとどまり、その向こう側にあったはずの闇の政界工作は、明らかにされなかった。 小佐野元社主の取材で印象的だったことがいくつかある。公判開始後に、八重洲の国際興業本社に通っていたころの話である。心臓に持病を抱えた元社主は、部屋の暖房を異常なほど強くしていた。「いつ、どこで発作が起きるかもしれないので、ポケットにニトログリセリンと100万円をいつも用意している」と語る言葉が、精力的な風貌にそぐわない。 社内の一部屋を公判対策の資料室にして、ロッカーには裁判関係の資料がびっしり揃えてあった。ロサンゼルス空港で20万ドルを受領、という起訴事実を否認するため、弁護士を米国に送り込み、徹底して争った。 その公判対策室で何度か日本語に訳した嘱託尋問調書を見た。当事者には開示されているものの、法廷での証拠調べ前で、未公開の段階だった。その場で、田中元首相などに関するロッキード社元副会長らの証言をメモしたいのだが、小佐野元社主は目の前に座ったまま席を立たず、「メモは認めない」と譲らない。 調書の重要個所を頭の中にたたき込み、「もう、いいだろう」と促されるまで、自分の記憶力との戦いが続いた。調書の閲覧と引き換えに、元社主は裁判の見通しや検察の方針などに関する情報を求めてきた。 ある年の暮れ、国際興業の名前で筆者の自宅に歳暮が届いた。開けてみると、仕立券付きの背広の生地だった。儀礼の範囲を大きく超えるため、慌てて元社主の暑い部屋に返しに行ったが、受け取らない。大きな身体でこちらの肩を抱きかかえるようにして、親密さを強調する仕草に、今後の取材のことも頭をかすめ、やむなく引き下がった。 日を置いて、誕生日に黄色いランの花を届けて、せめてもの辻褄を合わせたが、その後は次第に足が遠のくことになった。「政商」と呼ばれた人物の懐柔策の中では、ちっぽけなものかもしれないが、この人物の怖さの一端を垣間見た気がした。 児玉・小佐野ルートでは、中曽根康弘元首相との接点なども取りざたされたが、具体的な事実は法廷に出なかった。暑い部屋があった旧本社あたりにはホテルが建設され、小佐野元社主は、最高裁上告中の86年に亡くなるまで実業界で勢力を誇示した。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第7回 「車椅子の田中元首相」 元首相は前年2月に脳梗塞で倒れ、自宅でリハビリ中だった。広大な田中邸にガードされて、その姿を外部に見せることはなく、かつてのキングメーカーがどのような病状にあるのか、政界でも正確には知られていなかった。「田中曽根内閣」といわれた中曽根政権の時代だった。 倒れてもなお、自民党内に影響力を持つ元首相だが、回復の度合いによって、影響力に陰りが出てくる可能性も否定できない。その意味で、長女の真紀子さんとみられる女性が押す車椅子に座った元首相の写真が政界に与えた衝撃は大きかった。 写真からは、予想以上に重い病状を読み取ることが出来た。車椅子からはみ出したような右足の写真などを見た ヘリコプターから撮影したこの写真をめぐって、私邸での撮影でありプライバシーの侵害に当たるのではないか、との批判もあった。しかし、「公人」として、その存在が日本の政治に影響力を持ち、現に「田中曽根内閣」などと言われている政治状況下での取材であり、掲載の社会的意義は大きい、と判断した。 実は、この取材のきっかけは、筆者も含めロッキード取材を担当した社会部記者3人が、本社地下の飲食店で、ロッキード10周年企画を話し合っている時に、思いついたものだった。「すぐ写真部に頼もう」と店を出たところで、当の写真部のデスクとばったり顔を合わせた。「よしっ、やろう」と双方の息がぴったり合って、翌日には取材班を立ち上げ、決定的なシーンの撮影まで約1週間のスピードだった。 その経過は、山本祐司元社会部長の著書「毎日新聞社会部」(河出書房新社、近刊)に詳しい。山本部長の持論は「いい企画は、しかつめらしい会議ではなく、酒の席で柔らかくなった頭脳から生まれる」というものだった。 元首相の病状はその後回復することはなく、89年10月に引退を表明した。車椅子の写真は日本新聞協会賞を受け、「田中時代」にピリオドを打つ重要な契機となったと、改めて思う。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |


