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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第6回 「判決と雪の新潟」 原則として毎週水曜日に開廷された法廷は、結審までに190回を重ね、83年10月12日、岡田光了裁判長は元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。その瞬間、元首相はこのうえなく不機嫌な表情を見せ、2時間余りの判決理由朗読中も、配られた理由書に目を通そうともせず、不機嫌な表情のままだった。 国会は、元首相辞職勧告決議案などの審議をめぐって空転し、11月28日に解散、12月18日の総選挙に向かって、政界は走り出した。まさにロッキード選挙だった。有罪判決を受けた元首相に対して有権者がどのような判断を示すのか、新潟3区(当時)は全国区のように注目され、作家、野坂昭如さんが一方の世論を代表する形で立候補した。 長靴をはいて、元首相を追いかける日々。この選挙戦を通じて実感したのは、新潟の「雪の重さ」だった。元首相らの力で、長岡市内などの道路は融雪パイプが張り巡らされ、選挙期間中、車での移動に不便を感じることはほとんどなかった。元首相は昨年の地震で大きな被害を受けて村民が避難した山古志村にも出かけて、雪の中の演説をこなしたが、その道路も元首相のおかげ、と住民は受け止めていた。 地元住民が元首相にかけた期待と、それに応えて中央で政治的実力を養ってきた元首相。「有罪」が示す倫理は、ここでは通用しなかった。元首相の得票は前代未聞の22万761票に達した。日本酒がふるまわれた「越山会」の祝勝会場で、「マスコミが王者でも、裁判官が王者でもないんだぞ」と、酔った初老の男性に罵声を浴びせられた。 しかし、全国に目を転じると自民党は大敗を喫した。踏みしめられた雪のように固まった新潟の田中信者だが、その反動で、中曽根政権の土台は不安定なものとなった。この結果をどのように評価すればよいのか。地元に密着した自分としては、田中批判が新潟3区には通じなかった無力感が残った。 いままた、昨年総選挙の圧倒的な小泉勝利などを見ながら、日本人はどこまで民主主義を自分のものとしているのか、と主権者の危うい感覚を懸念する気持ちが強い。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
ロッキード30年報告
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第5回 「元日の田中邸」 筆者にとっては、元日にここを訪れる政財官界の人脈観察が、政治倫理確立などの「理想」と、権力闘争に明け暮れる「現実」との、埋めがたい落差を測る格好の手法の一つとなっていた時期がある。 元日に初めて門前に立って取材したのは、81年だった。田中角栄元首相逮捕から5年目のことで、社会部記者としての持ち場は、その前年に「司法」から「遊軍」に変わっていた。大平正芳首相の急死で、鈴木善幸首相に政権は交代していた。元首相はその背後にあって、「闇将軍」「キングメーカー」と呼ばれていた時代だった。 それから14年間、元首相死去直後の94年まで、元日には必ず早朝からここに立って、出入りする年始客たちの取材を重ねた(詳しくは拙著「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」)。 逮捕翌年の正月、田中邸を訪れる客は少なく、元首相は将棋を指したりしながら時を過ごしていたという。しかし、次の年から次第に年始の客は増え、「刑事被告人」であることなどお構いなしに、ご機嫌をうかがう客たちが増えていった。 近所の区会議員グループや就職、進学、結婚などで世話になった人たちはともかく、政財官のリーダーたちが、壮大な疑獄への反省もなく、元首相の「無罪」主張に寄りかかって、現実的な利益を優先させようとしている。こんな思いが胸にわだかまって、一人一人の名前を確認し、公人であれば理由を聞き、門前の風景を読者に伝えることがメディアの責務、と毎年、自分に言い聞かせてきた。 訪問客は、元首相が病気で倒れて以降、次第に減ってゆくのだが、かなり長い期間にわたって、日本の政治は「刑事被告人」とそれをかつぐ人脈によって左右されてきた。こうした政治が、現実的な利益を第一に考える風潮を生み出した責任は軽くない。元首相の魅力的な人間性を否定するものではないが、ことあるたびにささやかれる「角さん待望論」には組みしたくない。 鯉が泳ぐ池などで知られた豪邸は、一部が国税当局に物納されるなど昔日の面影はない。もうここに立つことはないだろうと思ってからでも10数年が過ぎた。その間にも、さまざまな事件が手を変え品を変えて社会を騒がせている現実は、見るに忍びない。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第4回 「5億円授受否認」 暑い夏の日の取調べはもとより、77年1月27日の初公判における涙の陳述でも、元首相は授受の否認に多くの言葉を費やした。弁護方針決定では元首相自身が実質的な「弁護団長」を務めたといわれる裁判だったが、この法廷戦術は妥当だったのだろうか。 「受託収賄」という総理大臣の犯罪を立証するには、現金の授受、職務権限、請託の3つの要素が揃わなければならない。無罪を求めるなら、現金の受領は認めたうえで、その趣旨を争う選択もあり得たが、元首相は全面否認で押し通した。 その結果、1、2審とも懲役4年、追徴金5億円の実刑判決となった。最高裁上告後、死亡により公訴棄却となったが、贈賄側の檜山廣・元丸紅会長と榎本敏夫・元首相秘書官の有罪が最高裁で確定し、司法は総理大臣の犯罪を認定した。 事件の骨格は、ロッキード社・丸紅側が全日空へのトライスター売り込みに対する尽力を請託し、元首相は目白の私邸で「よしゃ、よしゃ」と応じて、その謝礼として段ボール箱に入った5億円が4回に分けて田中邸に運び込まれた、というものだった。問題は民間航空会社の機種選定と首相の職務権限の関係だが、大型機導入をめぐる閣議決定などから職務権限は民間機にも及ぶとの論理を検察側は構築し、ニクソン米大統領との間で日本の輸入拡大に合意したハワイ会談などが背景事実として指摘された。 法廷に出された証拠などを見る限り、元首相にとって致命的だったのは、捜査の早い段階で田中邸運転手が現金授受の状況を証言し、自殺後にも、本人が書いた現場の見取り図などが残されていたことだった。同時に、授受にタッチした元首相秘書官は、事件発覚直後に、丸紅側の窓口だった伊藤宏元専務に証拠隠滅を依頼していたことを検察に握られていた。 こうした状況を知らずに元首相が現金授受否認の方針を選んだとは考えにくい。だとすれば、なぜ否認したのか。外国企業からの資金受領は政治家としての命運を断たれる不祥事となる。この前提に立って、自らの「名誉」だけではなく、田中派の総帥として政治的影響力を保持するためには、検察と全面対決して「無罪」の主張を強くアピールする以外に選択の道はなかった、と、いまは推測するしかない。(高尾 義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾 義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第3回 「ピーナツ領収証」 事件は1976年2月、米国から日本に投げ込まれた。米国側の真意をめぐって、独自の資源外交や日中国交回復政策を展開した元首相を狙い撃ちにした陰謀、と取りざたされた。「虎の尾を踏んだ」とコメントした評論家もいたが、いまもって、その憶測を裏付ける証拠は明らかになっていない。疑惑解明を委ねられた検察は、米国の真意を憶測するより、ひたすら証拠を追うしかなかった。米国発の事件であるがゆえに障害も大きかった。 最大の難関は、ロッキード社で全日空へのトライスター売り込み工作を進めたコーチャン元副会長らが米国にいて、日本の捜査の手が及ばなかったことである。東京地検特捜部は、前例のない嘱託証人尋問によって米国の裁判所でコーチャン元副会長らの供述を得る努力を重ねると同時に、丸紅、全日空など日本側関係者の供述で、証拠固めを急いだ。 セミの鳴く暑い夏が近づき、特捜部は嘱託尋問手続きを横目に、見切り発車せざるを得なかった。最初の「ピーナツ領収証」に相当する1億円授受の時効が8月半ばに迫っていた。7月2日に伊藤元専務を逮捕し、松尾検事が5億円授受を裏付ける決定的な供述を引き出して、捜査は核心に迫った。その後に、イミュニティー(刑事免責)を米側証人に与え、ようやく証言調書を入手する運びとなったが、元首相逮捕を標的とした捜査は、調書の到着を待っていられなかった。 最高裁は元首相の死後に言い渡した丸紅ルート判決で、1、2審が採用した嘱託尋問調書の証拠能力を認めなかった。国内捜査による証拠で「総理大臣の犯罪」は立証できている、との判断で、松尾検事らの地道な証拠集めが実を結んだことになる。 検事総長として松尾さんは、刑事裁判に09年から導入される裁判員制度に国民の理解を得るため、模擬裁判や企業訪問などを通じてPR活動に務める。ボンの日本大使館アタッシェも経験し、国際的な観点も踏まえて日本の司法を改革する役割を担う。 日本記者クラブで昨年暮にこのテーマで講演した際、松尾さんは「行くに径(こみち)に由らず」と論語の言葉を揮毫した。これは、主任検事だった吉永祐介さんが掲げる信条と同じで、常に大道を歩む心構えは、ロッキード捜査が原点かもしれない。(高尾義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |
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戦後最大の疑獄といわれたロッキード事件とは、何だったのか。元首相逮捕が、その後の政治に与えた影響、特捜検察の存在意義、事件に関わった人物たちの人間模様、30年の歳月を経て、いま問われるべきものは何か、などの視点から、取材を担当した記者が、個人的感想も含めて「ロッキード体験」を伝える。連日、掲載する全10回のシリーズです。 第2回 「負の国策捜査」 個人的な話だが、90年代後半の数年間、住専の不良債権回収を担当した弁護士、中坊公平さんに密着して取材した時期があった。預金保険機構は、中坊さんが社長を務めた整理回収機構(RCC)の上部機関であり、国民的課題解決のため、いわば二人三脚の関係だった。当時、この取材に関連して、松田さんにロッキード捜査当時の話を再確認した。 7月27日朝。検察合同庁舎に向かう車の中で、横に座った元首相が煙草に火を着けようとしてマッチを擦った際、火が大型のマッチ箱に燃え移り、危うくやけどをするところだった。庁舎に入って調べが一段落しトイレで一緒になった時、ハンカチを持っていなかった元首相に、用意していたハンカチを貸した。8月17日に釈放された後、元首相はハンカチ2枚を返してきたが、松田さんは洗濯された1枚だけを受け取った――。 よく知られたエピソードだが、実際に体験した松田さんから聞いた話の記憶は生々しい。だが、松田さんが「ミスター検察」と呼ばれた背景には、初期の重要な捜査過程がある。それは、米上院多国籍企業小委員会で事件の構図が明るみに出た時、疑惑の人物として最初に名前があがった右翼の大物、児玉誉士夫氏(故人)の取調べを任されたからだった。 事件は、日本時間で1976年2月5日に始まった。米議会の証言で明らかにされた事実を受けて、第一報は「児玉がロッキード社から708万5千ドル(約21億円)を受け取った」という衝撃的な内容だった。メディアの取材はこの「秘密代理人」を追うことから始まり、脳血栓の後遺症で自宅にいた焦点の人物を、松田検事が本格的に取り調べたのは、3月4日が最初だった。 そのころ、最も重大な疑惑として指摘されていたのは、全日空が購入したトライスターをめぐる贈収賄容疑ではなく、防衛庁の次期対潜哨戒機(PXL)などの選定経過だった。「秘密代理人」の過去には、FXなど戦闘機売込み商戦で暗躍した疑惑が色濃くつきまとっていた。松田さんが臨床取調べを進めていた児玉邸に、主任検事の吉永祐介さんもひそかに訪れたという。 しかし、「児玉ルート」捜査は、本人の病気などが壁になり、脱税などによる起訴にとどまった。結局、国家政策の中枢には切り込まず、民間機売込みを主な対象として切り取られた事件の構図。元首相逮捕の成果は高く評価されるが、最近流行の「国策捜査」の用語を借りれば、「児玉ルート」解明の不完全燃焼は、ある意味で「負の国策捜査」だったかもしれない。30年が経って、この謎はいまも拭えない。(高尾義彦=寄稿) 【司法ジャーナリスト・高尾義彦】1945年徳島県生まれ。東大文学部卒。毎日新聞司法キャップ、編集局次長、紙面審査委員長など歴任。著書に「陽気なピエロたち 田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)「巨悪に挑戦 東京地検特捜部」(エール出版)「中坊公平の 追いつめる」(毎日新聞社)など。 |


