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マスコミ各紙各局のOBや、現役の解説者などからなるニュースブログです。TVや新聞には出てこない「新しい」情報を発信します。

北の国からのエッセイ

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大雪山のお花畑


 7月も半ばを過ぎると夏本番です。
 全国的に真夏日が当たり前となり、日本列島は灼熱の季節となりました。
 北の国からとっておきの涼風をお送りしましょう。


雲海?が歓迎
イメージ 1 台風崩れの低気圧が北海道を通過した先週、北海道の最高峰、 大雪山系旭岳 (2290m)を訪れました。
 ロープウェイで10分、麓の山麓駅から一気に5合目まであがりますと海抜は1600m前後、ちょうど500m上がりました。
 駅の看板に書き込まれている気象状況は「気温10度、視界不良、雨」です。
 雨具をバッチリ着込み、外に出たとたん目に飛び込んできたのが真っ白な雲海?です。(写真)
 こんなガスの中では何も見えないなと思って目を凝らすと白いのは雲ではありません。
 雪でした。
 残雪があるのは承知していましたが、まさか出発地点にこんなに雪が残っているとは思いもよりませんでした。
 晴れていると一面のお花畑のはずですが、見えるのは足元の周囲だけです。

山のお花畑
イメージ 2 それでも歩き始めてすぐ歓声が上がるほどの別世界です。
 雪が消えた所から、高山植物が次々に顔を出しています。
 
 チングルマ (白=写真)、 コエゾツガザクラ (ピンク=写真)、 メアカンキンバイ (黄色)、 エゾコザクラ (ピンク)・・・。

 日本一の高山植物群です。
 海抜は1600mですが、緯度の高い北海道では本州の3000m級に匹敵し、すでに森林限界に達しています。
 樹木であるのは ハイマツ と、わずかばかりの ウラジロナナカマド だけです。

生き抜く高山植物
イメージ 3 高山植物はこの森林限界から万年雪の間に生える植物の総称です。
 岩場を這うようにして生きているのは、強い風に耐えるだけではありません。
 短い夏の間により多くの日光を得るためには、縦に伸びるよりは横のほうがいいからだそうです。
 また植物が小さい割には花が大きめで原色なのは、虫に注目してほしいためです。
 環境に応じて生き、子孫を残していく術を本能的に感じとっている高山植物の姿は、人間の目から見るととても美しく可憐に見えます。

 右の写真は ジムカデ (地百足)です。
 葉が地面を這う“むかで”のように見えます。

イメージ 4 圧巻は エゾイソツツジ の群落でした。(写真左)
 穢れのない真っ白なエゾイソツツジが雨に打たれていました。
 谷間に残る雪渓を気をつけて渡った直後に出会いました。
 一つ一つの花は小さいですが、小枝の先に数個ずつまとまって咲くので、群落となると見ごたえがあります。
 強い香気を放つエゾイソツツジは、山で遭難した人の遺体によく供えられると聞きます。
 今がちょうど満開です。

大雪山の桧舞台
 歩き始めてほぼ40分、 姿見の池 (すがたみ)に到着です。
 晴れていれば旭岳頂上を水面に逆さに映す大雪山系の鏡でもあり、一番の桧舞台です。
 けど周囲は何も見えず、池もまだ半分雪に覆われていました。
 私は毎年旭岳を訪れていますが、7月前半は初めてです。
 左の写真は今回、右は去年8月10日の姿見の池です。わずか1ヶ月でこうも違います。

イメージ 5

カムイミンタラ
 わずか2時間のお花畑の徘徊でした。
 条件の悪い中でしたが、それでも21種類の高山植物を観察することがきました。
 カムイミンタラ
 アイヌの人が大雪山を「神々が舞い踊るところ」とはよく言ったものです。
 9月、日本一早く紅葉になるところです。山肌は錦絵の絨毯になります。
 萌芽・開花・受精・果実・種・・・。自分の生活史をわずか1〜2ヶ月でやり遂げる高山植物は、1週間も過ぎると次のステップを踏んでいます。
 冷気に押されるように再びロープウェイの人となりました。
 来年もまた7月に訪れようと思いました。(望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

「最果ての地」のお花畑(下)


肌で感じる国境の厳しさ
イメージ 1 日本最北の地は稚内です。北緯45度に位置します。天気の良い日は肉眼でサハリンが見えます。

 稚内はちょうどカタツムリの角のように岬を二つもっています。
 一方のノシャップ岬に近い公園には 氷雪の門 、他方の宗谷岬には大韓航空機撃墜事件の慰霊碑 平和の祈り が立っています。
 いずれも国境の厳しさをひしひしと感じさせる歴史の塔です。

 稚内を案内してくれた、カニ食べ放題のお店の経営者曰く「日本最北端の稚内は人間でいえば頭の最頂点、もっとも大切なところです。(髪の毛が)抜けてる方もいるかと思いますが、私たちはこの大切な所に住んでいることに誇りを持って
                                抜けないようがんばってます」。


            イメージ 2


周氷河地形・宗谷丘陵
イメージ 3 
 稚内市の背後にどこまでも広がる丘陵があります。 宗谷丘陵 です。
 宗谷海峡の強風をまともに受ける丘陵には高木はほとんどなくて、人を寄せ付けず、笹が生い茂っています。
 今回の旅の最大の目的は当地です。
 ほとんどの人が訪れたことのない宗谷丘陵は、北海道の宝として大切に保存していこうという 北海道遺産 に指定されました。
 それはこの丘陵が氷河期の姿を残しているからです。
 宗谷丘陵は稜線も谷も丸みを帯びています。
 このなだらかな地形は氷河時代の末期に、凍結と氷解を繰り返しできた地形で 「周氷河地形」 といわれています。
 国内でこのように明瞭な周氷河地形が観察できる所は他になく、貴重な遺産として残されることになりました。

 もっとも、丸みを帯びた地形が明瞭に観察できるようになったのも大正時代に起きた度重なる大規模な山火事のおかげです。
 このときの山火事で、住処を追われたヒグマがなんと53km離れた日本海の利尻島まで泳いで逃げたということです。
 突然のヒグマの出現に島の人はびっくり仰天、たたき殺したそうです。
 必死に泳いで逃げ延びたヒグマも哀れです。
 利尻島に後にも先にもない初の足跡を残したヒグマ君の末路に合掌です。
 それほどの大規模な山火事の結果、森林は消失して地表が明瞭に現れ、学問的に貴重な地形ということが判明したそうです。



新日本百景
 宗谷丘陵は一年を通じて強い風が吹き、特に冬は吹雪の連続です。
 自衛隊のレーダー基地があるだけで他に利用されることのなかった宗谷丘陵に新しい景観が生まれました。
 強い風を利用した日本最大の風力発電所 「宗谷岬ウインドファーム」 です。
 地球温暖化など環境問題への関心が高まる中でのクリーンエネルギーの登場です。

        イメージ 4
 年間総発電量1億6500万kw/h、稚内市の消費電力の6割、一般家庭4万2000戸分の使用電力にあたり、これによる石油削減効果はドラム缶にして20万本だそうです。
 57基が林立している高さ7mほどのタワーに先端についた3枚のプロペラが動いているさまは壮観で、新しい時代を象徴する 「新日本百景」 の一つになるかもしれません。
 風力発電のプロペラが野鳥の行き来を阻むという指摘がなされています。
 宗谷海峡はシベリアから日本に往来する渡り鳥の大動脈です。

 同行した北海道遺産選考委員長で北海道環境財団理事長は「現状より北の海に近い岬の先端部には、風力発電機を建てさせないことにしている」と話していました。



肉牛大牧場
 この宗谷丘陵に大規模な肉牛牧場があります。
 日の出と日の入り両方が水平線に見られる日本で唯一の牧場です。

 多くの黒牛がのんびり草を食んでいます。
 この牧場は無農薬、無化学肥料の牧草栽培、非遺伝子組み換え原料だけの飼料で牛肉生産を始めた日本で最初の牧場です。
 また出荷牛全頭の個体や飼料などの生産情報を消費者に公開するトレサビリティシステムを日本で最初に導入した牧場でも知られています。

イメージ 5 経営者の案内で、車で牧場を見て回ります。
 経営者が突然「カモン、カモン」と大声で叫びました。
 牛は英語を理解するのでしょうか。あちこちにいた牛は経営者の周りに集まり始めました。
 経営者曰く「ここで飼育されている牛にはまったくストレスはありませんのでとても素直です」。
 とたんに見学者の中から「うちの女房もここで飼育してもらおうかしら」。
 「牛は自分の運命を知るときはあるのでしょうか」と尋ねると「ここの牛は出荷するためのトラックがきても喜んで乗っています」。
 どこまでも素直な牛です。
 黒光りした1トン近い出荷間際の肉牛の将来を、これ以上考えないことにしました。



ビーナスの絵筆
イメージ 6 広大な宗谷丘陵ののり面に、赤い コウリンタンポポ と黄色い ブタナ (タンポポモドキ)が咲き乱れていました。(写真)
 エゾタンポポ (ニホンタンポポ)は明治時代に入ってきた繁殖力の強い セイヨウタンポポ に住処を追われました。
 日本を制覇して全土に見られるセイヨウタンポポは、ここではより繁殖力の強い コーリンタンポポ の前では影が薄くなっています。
 ロシアからわたって北海道を制覇しようとしているコウリンタンポポを地元の口の悪い人はロスケタンポポといいます。
 しかし今回の旅で、コウリンタンポポはヨーロッパではその美しさから 「ビーナスの絵筆」 と呼ばれていることを知りました。
 改めてじっくりみると本当に美しいタンポポです。
 ビーナスの絵筆は、宗谷丘陵を吹き抜ける風で揺れていました。
(望田 武司=寄稿)









望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

「最果ての地」のお花畑(上)

 イメージ 1

 北海道で「最果ての地」というと知床を連想しますが、世界自然遺産に登録されたこともあって、連日押すな押すなの大賑わいのようです。
 こんなに大勢の人が押しかけては、もはや最果ての地のイメージには程遠いといえましょう。
 代わってまだ観光化されてない北海道北部の サロベツ原野 から 宗谷丘陵 が最果ての地にふさわしい地域となりました。
 その最果ての地の自然を求めて7月の上旬でかけてきました。





チョウザメの棲む川
 イメージ 2

 札幌から日本海を北上すること5時間余、日本で4番目の大河 天塩川 を通りました。
 水平線には利尻富士がうっすらと見えます。
 江戸時代の探険家、松浦武四郎は丸木舟で天塩川を渡ると「三角の頭をした魚があちこちから顔を出して気味悪かった」と日誌に書いています。
 天塩川には昔は世界三大珍味のひとつキャビアがとれる チョウザメ が生息していたことを示しています。
 冬は凍結する天塩川ですが、夏はカヌーなどのアウトドアで賑わっています。
茫洋とした大湿原
 イメージ 3

 天塩川の氾濫によってできた湿原が サロベツ原野 です。
 標高差がほとんどなく見渡す限りの大湿原です。
 木道が湿原を縫うように続いており、強い日差しにも拘らず、さわやかな風が足取りを軽くさせます。
 この時期 エゾカンゾウ (本州で言うニッコウキスゲ)が満開です。
 サロベツに暮らす人々にとってエゾカンゾウは誇りだそうです。
 自然環境の厳しい当地に入植し、開拓の年輪を重ねてきた人々にはエゾカンゾウは1年に1度、大地がまとう晴れ着に見えるそうです。

 水があふれると牛を担いで二階に避難したということもあったそうです。
 エゾカンゾウは北海道各地の湿地帯で見られますが、茫洋とした湿原一面に咲くサロベツのエゾカンゾウの群生は第一級品です。

 湿原にはこの他、紫色の ノハナショウブ(写真) 、ピンクの トキソウ 、白い コバイケイソウ 、沼の中から黄色い ネムロコウホネ などの湿生植物の花が顔を出して疲れを忘れさせてくれます。
 この大湿原も乾燥化が進んでいるということです。
 イメージ 4
北海道命名の地
 人口がわずか1000人余の日本一の小さな村、音威子府(おといねっぷ)に近い天塩川中流域に「北海道命名の地」がありました。
 北海道は江戸時代まで蝦夷と呼ばれていました。

 この地を探検した 松浦武四郎 はもてなしを受けたアイヌの古老からアイヌの通称である「カイナ」の「カイ」はこの地に生まれたものという意味であることを聞きました。(「ナ」は尊称)
 武四郎は明治2年、地名に関する意見書を明治新政府に提出しますが、この古老の話をヒントに「北加伊道」など6つの案を提示しました。
 この中で「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」が当てられて「北海道」が誕生したということです。
 北海道がアイヌ語から来ているとは知りませんでした。

 イメージ 5

 ちなみに北海道の地名の8割はアイヌ語から来ているといわれています。
 和人の役人が地名をつける際に、アイヌの人から聞いた言葉をそのまま漢字に当てはめました。
 ちなみにこれらの地名が読めるでしょうか。
 15のうち3つ読めたらあなたは相当の北海道通、1つ読めたら一度は北海道を訪れたことでしょう。
 1つも読めなかったらこれから北海道の旅をぜひ楽しんでください。


 1.忍路  2.花畔  3.濃昼  4.晩生内  5.一已  6.比布  7.安足間  8.咲来  9.興部 
 10.止別 11.音調津  12.旅来  13.分遣瀬  14.火散布  15.穂香 (解答は最後尾)


畑のバウムクーヘン
 イメージ 6

 身長145センチ、足の長さ24センチの小柄な松浦武四郎(写真)が苦労して何年もかかって探検した未開の地・蝦夷地を、150年後の私たちは車でわずか数時間で走り抜けます。
 車窓からみえる広大な原野にロール状に巻かれた牧草があちこちに点在しています。
 まるで畑のバウムクーヘンです。 ロールベール というんだそうです。

 近づくと直径は1.5mほどあり、人間の手では動かないほどの重量級です。
 むきだしになったロール状の牧草もありますが、ビニールでまかれた牧草がよく見られます。
 これは牧草を乾燥させないまま外気と遮断し、中の牧草を発酵させて保存しています。
 ちょうどビニールカバーがサイロの役割を果たしており、 ラップサイロ といわれています。
 牧草の保存はいまではこれが主流となり、タワーサイロは最近めっきり見られなくなりました。
 白、青、黒・・・。 色とりどりのラップサイロが転がっている原野は北海道の新しい風物詩です。
(望田 武司=寄稿)


地名呼び名解答 

1.おしょろ  2.ばんなぐろ  3.ごきびる(ゴキブリではありません)  4.おそきない  5.いちやん  6.ぴっぷ(ヒップではありません)  7.あんたろま  8.さっくる  9.おこっぺ  10.やむべつ  
11.おしらべつ  12.たびこらい  13.わかちゃらせ(わからないなんて言わないで)  
14.ひちりっぷ  15.ほにおい

頭をひねる地名もあれば、語感のいい当地にぴったりの地名もあるのも面白いところです。




望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

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彫刻家・本郷新を偲ぶ

 本郷新(ほんごうしん)といえば札幌出身で、日本の野外彫刻家の第一人者として知られています。
 代表作は、立命館大学国際平和ミュージアムにある 「聞けわだつみの声」 (写真右:札幌彫刻美術館にある複製)です。
 札幌大通公園の顔 「泉の像」 (写真左)も彼の作品です。
 全国あちこちに本郷新の作品が、公園や公共施設の入口に建てられています。
 生誕100年だった去年は、本郷新を偲ぶさまざまな催しが開かれ、テレビの日曜美術館でも特集が組まれて、彼の作品が改めて全国の美術愛好者に紹介されました。

イメージ 1

慰霊祭
イメージ 2 6月末、本郷新の慰霊祭がありました。
 本郷新の息子の本郷淳(故人・俳優)の奥さんで、俳優の柳川慶子さんと、その息子のこれまた俳優で孫にあたる本郷弦さん(仲代達矢主宰の無名塾所属)が東京から駆けつけました。
 本郷新の遺骨が分骨されている石狩浜に立てた代表作のひとつ 「無辜の民(むこのたみ)」 に花束が捧げられました。
 札幌近郊の石狩浜は、日本で初めて総天然色映画(カラー映画)を撮影した高峰秀子・佐田啓司主演の「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となったところです。

雪は下から降ってくる
 実は本郷新が亡くなったのは6月ではなく、2月13日です。
 従って慰霊祭は毎年命日にあたる2月13日に行われていました。
 ところが石狩浜の2月というのは地吹雪で、冬は人を寄せ付けないところです。
 命日の前日、石狩市の教育委員会の人たちが苦労して道をつけるのですが、翌日の式の時には道が跡形もないという状態でした。
 当時を振り返って慶子さんは、「雪というのは空から降ってくるものと思っていましたが、石狩浜にきて雪は下から降るということを初めて知りました」と思い出を振り返っていました。
 また、慰霊に参加する人も次第に高齢化したこともあって、数年前から寒さの厳しい2月の命日のときの慰霊祭をやめ、代わって本郷新の作品が収められている札幌彫刻美術館の開館記念日である6月末に「石狩の像を訪ねる旅」として行われることになりました。

咲き乱れるハマナス
イメージ 3 仕事で忙しく全国を駆け回っている柳川慶子さんは、4年ぶりに慰霊祭に参加しました。
 晴れ上がった空を見て慶子さん、挨拶の中で曰く「これまで出席した中でこんな天気が良かったのは初めてです。東京を出るとき雨の予報でしたので傘をもってきましたが、雨傘が日傘になりました」

 石狩浜には真っ赤なハマナスが風に吹かれて咲き誇っていました。
 本郷新の彫刻「無辜の民」は夏の海水浴の時期しか人の姿を見ることがない石狩浜の小高い砂丘にひっそりと横たわっています。
 本郷新の彫刻が、なぜ人を寄せ付けない石狩浜にあるのでしょう。

無辜の民
 無辜の民は自然の猛威や人間社会の矛盾によって縛り付けられた「罪なき人々」を意味します。
 本郷新が中近東を旅行して目のあたりにした多くの罪なき生活者の犠牲と、辛苦を重ねた北海道開拓者たちの魂をオーバーラップさせ、布で全身を巻きつけてもだえ苦しむ姿で表現したものと言われています。
 本郷新は開拓時代を思わせる荒涼とした石狩浜こそ、この作品にふさわしいとこの地の建立を強く望み寄贈しました。
 そして1周忌のとき、本郷新の遺骨は分骨され、無辜の民の台座に本郷新が眠っています。
 台座は北海道開拓の入り口でもある石狩川を上る船を模して作られています。

珍しい彫刻
イメージ 4 本郷新の足跡をしのぼうと、参加者は彼のアトリエで今は美術館になっている札幌彫刻美術館で彼の作品を鑑賞しました。
 ここの学芸員は優秀な女性で、一人で2000点の作品を数ヶ月ごとに入れ替えて展示しています。
 私は年数回この美術館に訪れて相当数の彫刻を見ていますが、この日あっと驚く作品を見ることができました。
 この写真をご覧ください。
 彫刻の題名は 「打つ」 です。題材は手です。
 指の先を良くご覧ください。碁石をつかんでいます。
 この作品は1976年の作品で、本郷新がこの年天元位を獲得した棋士にトロフィーがわりの記念品として贈呈したものだそうです。
 この作品は誰にわたったのかな、さっそく調べてみました。
 1976年のタイトルホルダーは、藤沢秀行9段でした。
 今からちょうど30年前、この年はビッグタイトル・天元戦がスタートした年でもあります。
 初代天元ということでこの珍しい彫刻が贈られたのでしょうが、迫力あるトロフィーというか、記念品をもらって、初物食いの豪傑、藤沢9段もさぞびっくりしたことでしょう。
 彼に彫刻の関心があったかどうかわかりませんが、この記念品は、いまどうなっているのでしょうか。
 おそらく日本でもこの種の彫刻、記念品は他にはないでしょう。
 制作者は本郷新、相当値打ちのある希少美術品といえそうです。
 居間に飾ってあるのか、倉庫にしまいこんで埃にまみれているのか、それとも捨ててしまったか、人にあげたか・・・。
 熱烈な囲碁ファンとしては、ぜひ知りたいところです。(望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

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都心の彩り

 梅雨のない北海道といわれていますが、このところ天候不順で雨の日が多くなっています。
 気温も低く、農作物への影響が早くも心配されてきました。
 秋まき小麦、ビート、ジャガイモ・・・農作物の生育状況は軒並み1週間は遅れています。
 太陽の光がほしいところです。


夏の雪
 札幌では街路樹の白い トチノキ の花が終わり、 ニセアカシヤ の白い花も散り始めました。
 ニセアカシアは花びらは多く、風が吹くたびに路上に落ちた花びらが集まっては曲線の波を作っています。
 ニセアカシアの花が散り始めたと思ったら、さらに公園の土を覆う白いものが登場しました。
 ポプラの綿毛です。
 中途半端な数ではありません。
 まるで雪が降ったようです。
 風まかせに気ままに移動する綿毛は、池の中に入りますと、カモの格好の餌になっています。
 綿毛のついたポプラの種が宙を舞いはじめますと、札幌はもう夏です。
イメージ 1

花の絨毯
 久しぶりに晴れ上がった札幌市の中心部、大通公園に、みごとな花の絨毯がお目見えしました。
 札幌では今週から 花フェスタ が始まりました。
 会場の大通公園には園芸業者が作った庭が展示され、園芸市では花の即売が行われています。
 このお祭りの目玉として花の絨毯が作られました。

イメージ 2

























 縦横16mの絨毯には何と2万6588鉢の花が植えられているということです。
 人間が小さく見えます。
 赤は サルビア 、黄は マリーゴールド 、青は ロベリア 、ピンクは フロックス 、緑は コキア です。

 道内8つの農業高校や農業科の生徒が、精魂こめて作ったものが持ち寄られました。

 会場の大通公園は日光浴をする家族連れや、昼食を芝生やベンチで食べるOLなどで賑わいを見せています。

 初夏のライラック祭り、真夏のビアガーデン、秋の収穫祭、冬の雪祭りの大雪像・・・
 1丁目から12丁目まである都心の大通公園は、札幌の各種イベントの舞台とも言えます。

樹にチューリップ
イメージ 3 久しぶりの陽気に誘われ公園をぶらぶら歩きますと、ごらんの木に出会いました。
  ユリノキ です。
 ユリノキというくらいですからユリの花らしきものが咲くのかと思ったらそうではありません。
 どうみてもチューリップですね。
 若草色にオレンジの透かしの入ったガラス細工のカップのようです。

 私が一番大好きな花です。
 人手の多い大通公園でもこの木の存在を知る人はあまりいません。
 なぜかといいますと、ユリノキは高木です。
 その上、花は梢の上に、上方に向かって小さく咲いています。
 うつむき加減にあくせく歩いている方にはちょっと縁の薄い花かもしれませんね。
 垂れ下がっている枝に両手を精一杯上に突き出してズームアップしたら、こんな写真が撮れました。

 じっと見ていると中年のおばちゃんが寄ってきました。
 目と目があったので「きれいですねえ」と声をかけました。
 何を勘違いしたのか頬を染めています。
 意に介せずユリノキ談義をはじめました。

半纏木
イメージ 4
 ユリノキの一番の特徴は葉にあります。
 カエデのようでカエデでないユニークな形の葉です。
 火消しやとび職の職人が着る半纏(はんてん)に似ています。
 日本ではユリノキというより、 ハンテンボク と呼ばれて親しまれています。

 ではなぜ、この木にユリノキという名前をつけたのでしょう。
 ユリノキはもともと日本に自生していたものではありません。
 クラーク博士の提言で作られた北大植物園の初代園長、宮部金吾博士が、明治の初頭、アメリカから持ち帰りました。
 英語では  tulip tree(チューリップ・ツリー) と言われています。
 高名な植物学者の本によりますと、「当時チューリップはポピュラーでなく、むしろユリノキにしたほうがわかりやすいということだったらしい。庶民のためを思った命名か」と書かれていました。
 別な本には高貴な方が「ユリのようだ」と言ったのでその名がついたとも書かれてきます。
 なんともいい加減な命名です。




ユリノキの館
 ユリノキは、札幌では大通公園で3本、北大構内で1本、円山公園で1本、それに宮部博士が持ち帰った北大植物園で1本観察しています。
 まだあるかもしれませんが、あまり多くはない珍しい部類の木です。
 全国的に見ると東京の国会図書館前のものがもっともよく整っているということです。
 また大樹としては上野の国立博物館前にあり(明治14年植樹)、この博物館には 「ユリノキの館」 という愛称があるそうです。
 札幌より暖かいのでもう終わったでしょうか、まだ咲いているのではと思います。
 お近くの方はぜひユリノキの花を楽しんでください。
 ユリノキの花が終わる7月中ごろになりますと、札幌大通公園はビアガーデンの季節となります。

(望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
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