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北の国からのエッセイ

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日本一早い紅葉

 西日本では相変わらずの真夏日が続き、東北地方では大雨で河川が氾濫・・・
 初秋の日本列島は真夏の名残を引きずりながら、自然のさまざまな表情を見せています。
 北海道の屋根、大雪山系からは、早くも紅葉の便りが聞こえてきました。
 さっそくでかけてきました。
 とっておきの北国宅急便をお届けしましょう。

大雪山国立公園
イメージ 1早朝、札幌を出て、バスで旭川から層雲峡を経て大雪山の東側の麓、大雪除雪センターに着いたのは午前11時、ここからは勝手に山には入れません。
 マイカーの登山客はシャトルバスに乗り換えて集団で、ツアーバスはシャトルバスの後ろについて行かなければ、めざす登山口までいけません。
 車が殺到して国立公園の狭い道を車がすれ違うことが困難なうえ、排気ガスによる自然への影響を懸念した措置です。
 大雪山に紅葉が始まった今月中旬から月末までの2週間に限って、大幅な車両規制が始まりました。
 バスは一昔前なら高度な技術を持つ山男しか入らなかった山道をくねくね登って、赤岳の登山口銀泉台ヒュッテに着きました。(写真:エゾノツガザクラの実)
 この地点ですでに海抜1500m、めざすは赤岳中腹のコマクサ平往復3時間のコースです。
 標高差は350m、緯度の高い大雪山は1500mでも、本州の2500〜3000mに匹敵します。

広い大雪山
イメージ 2ところで大雪山とよくいいますが、大雪山という単独峰は存在しません。
 北海道の屋根を形成する
旭岳(2290m、北海道最高峰で麓は旭岳温泉)
黒岳(1984m、麓は層雲峡温泉)
赤岳(2078m、中腹に花園のコマクサ平)
緑岳(2020m、麓は高原温泉)など複数の山々が大雪山系を形成し、これらを総称して大雪山といっています。

 富士山に登らずして山の高さを語るなかれ、大雪山に登らずして山の大きさを語るなかれ、

 山とお酒をこよなく愛した明治の文士、大町圭月が喝破した広い山の一点に入り込みました。
 ここからは二本の足が便りです。
 実は広い大雪山の中でも最も早く紅葉が見られるのが、今回挑戦した赤岳の中腹のコマクサ平までの山道です。
 ちなみにこれ以上登っても紅葉はありません。
 森林限界に達していて樹がないのです。
 あるのは草紅葉(くさもみじ)でしょうか。
 従って日本列島の紅葉はここから始まるといっても過言ではないでしょう。
 日本で最も早く紅葉が見れる所といわれる所以です。

紅葉と気温
イメージ 3気温が8℃まで下がると紅葉が始まるといわれています。
 今年は夏、暑かったため紅葉は例年より遅めだということですが、それでも大雪山系では9月には色づき始め、敬老の日がらみの3連休の始まる中旬から見ごろとなりました。
 夏は高山植物の女王といわれるコマクサが乱舞する赤岳コマクサ平までの山道は、秋はみごとな紅葉のビューポイントとなります。
 地元のガイドを先頭に銀泉台ヒュッテを出発です。
 森のトンネルのような山道を登り始めました。
 山道は次第に狭くなって、岩肌の上を足元を気にしながら登っていきます。
 前夜までの大雨で、ところどころぬかるみになっています。
 連休のため登山客は多く、前の人のお尻を見ながら足場の良い岩を探して登ります。
 ちょっと息が切れそうになります。
 岩の間から観察されるかわいいイワツツジの真っ赤な実や(写真右上)、地面をはうオトギリソウの見事な紅葉に、歓声が上がります。
イメージ 4ところがこの行列、なかなか前に進みません。
 山から下りてくる登山客とすれ違うとき、どちらかが立ち止まって道を譲らなければ歩けないのです。
 上りも下りの数珠繋ぎです。
 一つのグループが通り過ぎるまで待つと、いつまでも待っていなければならない状態です。
 後ろから声が聞こえてきました。
 「これは大雪銀座だ」 笑い声が山に響きます。
 この待ち時間がちょうど手ごろな小休止となります。
 ベテランの地元ガイドが、「譲り合って一人づつ上り下りしましょう」と何度も声をかけています。

紅葉の絨毯
 視界が開けるところにくると、早くも眼下にすばらしい景観が広がりました。
 思わず息を呑みます。
 ウラジロナナカマドとイソツツジの赤、ダケカンバの黄、そしてトドマツ、エゾマツの常緑樹の緑・・・
 見事な錦の絨毯が山腹に広がっています。
 ときどきガスに覆われたと思うと再び顔を出します。
 平地ではとても9月中旬では見られない見事な紅葉です。
イメージ 5 イメージ 6
 先住民族のアイヌの人たちは、大雪山のクマがいる山すそに広がる紅葉を「カムイミンタラ」神々が遊び舞う庭といいました。
 実に言いえて妙なる表現だと感心します。
 目を遠くに見やりますと大雪山系の山々が連なっています。
 屏風岳(1792m)ニセイカムシュッペ山(1878m)など、ガイドの口からは聞いたこともない北大雪の山の名前が次々に出てきます。

幻のコマクサ平
イメージ 7第一花園を過ぎ、コマクサ平までほぼ半分というところにまで着ました。
 すでに上り始めてから1時間半近くになっています。
 これではとても往復3時間ではコマクサ平まで行けません。
 天候が下り坂であるうえ、予定した時間までに札幌に戻れないおそれがあるためここで引き返す事になりました。(写真:ウラジロナナカマド
 コマクサ平まで行きますと、一面の草紅葉だそうです。
 草紅葉というと優しいイメージですが、樹木が生えないほど厳しい自然状況であることを時に忘れがちです。
 また北斜面には万年雪も見えたかもしれません。  
 残念だわという声も聞かれましたが、Uターンです。
 ところがまもなくして、このガイドの判断が正しいことがわかりました。
 上りと同じくらい下りも時間がかかるのです。
イメージ 8岩場がぬかるみで滑って危なく、足場を慎重に選んでおります。
  「山道では格好つける必要はありませんよ。危ないところは後ろ向きになってもいいですので、ゆっくり降りましょう」
 ガイドが噛んで含めるように声をかけます。
 登山口までたどり着いたときには深いガスが一面を覆って視界不良になっていました。
 途中シマリスに出会いました。(写真左)
 シマリスは来月の冬眠を前に今が一番忙しい時期です。
 口の中にドングリを入れて駆け回っていました。

癒しの露天風呂
イメージ 9思わぬ大雪銀座の人の波にもまれて、目的地まで行けませんでした。
 しかし、日本で最も早い紅葉を満喫できたという充足感はありました。
 帽子に地図ができるほど、冷や汗もずいぶんかきました。
 その体を層雲峡温泉の露天風呂で癒しました。
 同じ自然観察仲間で、ちょっと重量級の女性が一人います。
 彼女は今回のフィールドワークには「私は遠慮するわ」といって参加しませんでした。失礼ながらあのヒップ周りからして、彼女は実にいい判断をしたと思いました。
 私はお尻は軽いですがお腹周りが目立ちます。
 体重オーバーの還暦過ぎの男としてはきょうの山登りが精一杯でした。
 もうコマクサ平まで行くことはできないだろうなと思いました。
 大雪山系の紅葉は、これから一気に山頂から山麓へと降りてきます。 
 そして10月にはいると、雪が降って白一色の世界となります。
 こうしてボードを叩いていると、テレビの天気予報は、西日本は30度を越す厳しい残暑になると伝えていました。
 南から北へ長い長い日本列島です。


(寄稿=望田 武司)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
       

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秋の五草?

 カレンダーを一枚めくると、こんなに変わるものでしょうか。
 澄んだ青空が高く感じます。ナナカマドの実が色づき、クリやクルミの実が落ちてきました。
 あの異常な暑さはどこに行ってしまったのでしょうか。
 のど元過ぎれば何とやら・・・9月に入ってすっかり秋らしくなりました。

秋の野に 咲きたる花を指(および)折り かき数ふれば 七草の花
萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花

 万葉の歌人・山上憶良が選定した秋の七草を愛でようと思っても、昨今はそう簡単にはいかなくなりました。
 七草のうち二つ(フジバカマ・キキョウ)が近郊の野山から姿を消し、いまや絶滅危惧種に指定されています。
 千年以上も大和人の心から心へ受け継がれてきた秋の七草が、秋の五草になってしまうのでしょうか。

 春の七草は七草がゆにして食べるなど、食を楽しむものとして親しまれてきました。
 これに対し秋の七草は見る楽しみとして親しまれてきました。

萩の花(ハギ)
 ハギという植物はなく、一般的にミヤギノハギとかヤマハギを萩と言っているようです。
 萩の種類は多く、この時期、私はヌスビトハギにとても親近感を覚えます。
 8月下旬、森を歩くと道の縁に小さなピンクの花をつけたヌスビトハギによく出あいます。(写真右:札幌近郊、野幌森林公園)イメージ 1
 花が少ない時期だけに小さくてもよく目だち、蝶の形をしてかわいらしい。
 こんな可憐な植物になぜ物騒な名前がついたのでしょうか。
 泥棒は音を立てずに歩くため、足の裏の外側を使う。
 その足跡が、二つにくびれた実に似ていることからヌスビトハギ(盗人萩)という名前になったそうです。
 この名前をつけた植物学者は泥棒の経験があったのかしら・・・
 親がつけた名前で子供は一生生きていかなくてはならないと思うと、ヌスビトハギはとてもかわいそうです。
 植物の名前には人前で言えない名前がいくつもあり、昔の植物学者にはデリカシーというものがあったのでしょうか。
 
尾花(ススキ)
 尾花とはススキのことです。
 ♪ 俺は河原の枯れススキ ♪ 
 夏でもススキを観察すると秋が忍び寄ってきていることを実感します。
 8月のお盆時期、道東の野付半島を歩いたとき、早くもススキが風に揺れていました。
イメージ 2
 
 札幌の歓楽街といえばススキノです。
 明治の初め、この地は茅(ススキ)の原野であったことから名づけられたといわれていますが、この地に遊郭を作った工事監督の薄井(うすい)竜之の姓にちなんだものだという有力な説もあります。
 私はもちろん前者を支持したいです。
 ススキの原野に、時計台の鐘が一里四方に鳴り響いて、農民に時を告げた・・・
 こうこなくては物語になりません。

 中秋の名月のとき、ススキは収穫物と一緒に供えられますが、収穫物を悪霊から守り、翌年の豊作を祈願する意味があるそうです。


葛花(クズ)
 イメージ 3
 クズは草やぶや土手などに繁茂するつる性の植物です。
 赤紫色の蝶形の花が穂状に集まって、下から上へと咲いていきます。
 日本一のジャンプ台がある大倉山に先週、登ったらあちこちに咲いていました。
 繁殖力旺盛な植物で、この草が絶滅危惧種になることはまずないでしょう。
 アメリカでは devil plant(悪魔の植物)といわれているそうです。
 早めに刈り取らないと、どんどん蔓延ってしまうからだそうです。


撫子(ナデシコ)
 イメージ 4
 鮮やかなピンクの花びらの先が細かく裂けた野草で、いつ見ても思わず「あった、あった」と声を上げたくなる植物です。
 花は美しくて草姿は可憐、子のように撫でたい草なので、ナデシコの名前がついたそうです。
 北海道ではもっぱらエゾカワラナデシコです。
 日本一の砂嘴、野付半島では8月中旬で満開でした。

 早い時期から咲いており、結構、花期の長い花です。
 花言葉は純愛・貞操日本女性を大和撫子と言うそうですが、これはもう絶滅危惧種?でしょうか。



女郎花(オミナエシ)
 オミナエシは茎の上部で枝分かれした先に、黄色い花が多数集まって咲いています。
 日当たりのよい草むらや土手に自生し、高さ1mになるのもあります。
 この夏は釧路の隣の白糠町の原生花園で、観察することができました。(写真下左)
 オミナは女、えし(へし)は古語の圧し(へし)で圧倒するという意味。
 この花には女に勝る美しさがあるということでしょうか。

 女郎花があるなら男郎花もある。これホント。
 オトコエシ(男郎花)といって、オミナエシによく似ていますが、こちらの花は白色です。
 北大植物園で今が満開です。(写真下右)
 オトコエシはよく見かけますが、男郎花とは結びつきませんでした。
イメージ 5 イメージ 6

藤袴(フジバカマ)
 イメージ 7
 同じ仲間のヒヨドリバナ(キク科フジバカマ属)は、この時期あちこちで観察されますが、フジバカマとなるとほとんど見られません。
 かつては河川敷によく見られましたが、河川開発・道路工事などで激減したそうです。いまは環境省のレッドデータブックの絶滅危惧種に指定されており、100年後の絶滅は99%だそうです。

 フジバカマは薬草で生薬名は蘭草、利尿やむくみに効くといわれています。
 去年の9月、道立衛生研究所の薬本園で、花が終わった直後のフジバカマを初めて観察することができました。
 生では香りがありませんが、刈り取って乾かすとよい香りがするので、香り袋として身につけるそうです。


朝貌(キキョウ)
 山上憶良は秋の七草に朝貌(あさがお)と詠みましたが、朝貌の花は夜しぼんで朝開く花ということで、今日でいう朝顔でなく、桔梗(キキョウ)であるというのが定説になっています。
 朝顔は憶良の時代にはまだ渡来していなかったそうです。
 従ってキキョウは秋の七草の一つです。

イメージ 8 キキョウ科の仲間のサワギキョウ・イワギキョウ・ツリガネニンジンなどはよく 見かけますが、キキョウはこの数年見たことがありません。
 函館に函館市桔梗町という地名があるくらいですから、昔はポピュラーな花だったのでしょう。
 この野生のキキョウも環境省の絶滅危惧種に指定されています。左の写真は大雪山系旭岳の麓で観察したイワギキョウです。
 日本古来の秋の草が次第に消えていくのは淋しい限りです。
 もしかしたら、近い将来「秋の五草」になってしまうのか、それとも「新・秋の七草」が誕生するのでしょうか。
 むしろ自然に親しむという観点から、自分自身で勝手に秋の七草を作るのが一番よいのかもしれません。
 「私が選んだ秋の七草」
 秋の夜長の七草選びは、楽しいひと時になると思われます。


 (寄稿=望田 武司)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
                  

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涼を求めて 湿原街道(下)

イメージ 1

 根室半島から知床半島の内海沿いには風連湖・春国岱(しゅんくにたい)・野付半島と湿原がつづく。
 日本でももっとも人口過疎な地域だ。
 前日に続いてこの日も30度を越し、湿原地帯だけに高木はほとんどないため直射日光が照りつける。
 この地としては記録的な暑さで、とても散策路を歩く気にはなれない。
イメージ 2
 風連湖ではビジターセンターに入って、双眼鏡を覗きこんでいると、タンチョウヅルのつがいが飛び込んできた。
 湿原に長いくちばしを入れて、しきりに餌をついばんでいる。
 特別天然記念物・タンチョウヅルを見ると、ああ道東に来たんだなと実感する。
 最近は繁殖が進んで、生息数は千羽を超え、生息場所も広がりを見せているという。

海の愛嬌者
 風連湖から尾岱沼(おだいとう)に着いた私たちは、ここで船に乗ることにした。
 船に乗って野付半島に上陸しようというものだ。
 野付半島はオホーツク海の潮の流れによって造られた釣針状の日本最大の砂嘴(さし)で、全長28キロ、懐に野付湾を抱え込む。
 そのわずか18キロ沖には国後島が見える。
イメージ 3
 さわやかな潮風をうけて野付半島に近づくと、海面から生き物が姿を現した。
 ゼニガタアザラシだ。
 顔を出したと思ったら姿を消す。
 まるでもぐらたたきのようだ。
 船長もスピードを落としてサービスしてくれる。
 なかなか愛嬌がある海獣だ。


変貌したトドマツの墓場
イメージ 4
 野付半島は地盤沈下と潮風の影響で、白骨化した枯れたトドマツが林立している特異な景観で知られている。
 トドワラといわれ、まるで樹木の墓場のようだ。
 ところが上陸して驚いた。
 以前の墓場の凄みがまったく感じられない景観に変わっていた。
 去年佐呂間町に竜巻が発生して、多くの死傷者が出たのは記憶に新しいが、その直後低気圧がこの地を通過した。
 爆弾低気圧と地元の人は呼んでいる。
 この低気圧で湿原の木道はめくれあがって壊され、トドワラが倒れて櫛が抜けたようになったという。
トドワラはやさしい景観に変わっていた。
 野付半島の付け根まで歩く。
 砂丘草原の原生花園だ。
 ハマナス、エゾカワラナデシコ(写真下左)、エゾフウロ(中央)ツリガネニンジン(写真下右)エゾツルキンバイなどの海浜植物が観察された。
イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7

 人が行けない湿原の向こうには白い帯状のものが動いている。
イメージ 8

 何だろう。
 双眼鏡で覗くとアオサギの大群ではないか。
 タンチョウと錯覚しそうだ。
 詐欺にかかってはいけない。
 軽く100羽以上はいる。
 アオサギは湿原をつつき、羽を広げている。
 あの辺りにアオサギの一大コロニーがあるのだろう。

 手付かずの壮観な自然の営みが目の前にあった。
 暑さを忘れて食いいるように見入った。

酪農の郷
 野付半島で夏の花を満喫したバスは、根釧台地を駆けめぐる。
 行けども行けども牧草地帯だ。
 鈴木宗男は若いころ、この地を走り、牛を相手に選挙演説を勉強したという。
 あのドスのきいた大声は、牛の向こうにいる有権者に届くために自然に身についたものだろうか。
 この地域は牧場の名前以外、標識がほとんどない地域である。
 あまりの広さでドライバーが方向を誤り、原野を迷走する。
 何しろ花を求めて自由気ままに走っているバスである。

イメージ 9 ようやく地球が丸く見える名所に着いた。
 開陽台展望台である。
 海抜わずかに235m、眼下には北海道開拓の歴史の証「格子状防風林」が一望できる。(写真右)
 北海道遺産に指定されている景観だ。
 隣には東京ドームが167個も入る牧場が広がっている。
 海抜は低くても360度パノラマの世界である。

 開陽台は本州から訪れるライダーが必ず立ち寄るところだ。
 彼らにとって開陽台はライダーの聖地だという。
 大都会の喧騒の中で暮らす若者にとって、この地は対極にあるのだろうか、
 展望台の手すりにつかまったまま、じっと動かない若者があちこちに見受けられる。

イメージ 10 展望台脇でようやく牧場の主・牛と対面した。
 といっても、生きてはいない。
 「乳牛の像」である。

 横の記念碑には「酪農郷の牧場が一望できるこの丘に、感謝をこめて建立する」と刻み込まれてあった。

 この地の立役者は人間ではない、乳牛だよということか。
 いかにも北海道らしい顕彰碑である。

 3日間、走り抜けた距離は合計1270キロ、東京から博多を軽く越えた。
 北海道は広い。
 涼を求めたはずの湿原街道の旅は、皮肉にも記録的な暑さとの戦いだった。
 しかし、この乳牛の像に立ちつくした時が、もっとも涼しかった。
 アカツメクサとシロツメクサが牛の足元に生えていた。

                        (完)
(寄稿=望田 武司)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

涼を求めて 湿原街道(中)

 札幌を出発したバスは釧路を経て根室管内の厚岸町・浜中町・落石岬と海岸をなめるように走って納沙布岬に向かう。
 この地域の気候は同じ北海道といえども札幌とまったく違って、夏は霧が多くて気温はせいぜい20度という冷涼な気候となる。
 従って植物も札幌近郊では見られないものがある。
  イメージ 1  イメージ 2  イメージ 3
 葉が水面から立たず、花の真ん中が黄色い ネムロコウホネ (オゼコウホネは赤い):写真左
 本州では高山でしか見られないランの仲間の テガタチドリ :写真中
(湿地で入って行けず、望遠でややピンあま、すみません)
 外来種のセイヨウタンポポが日本全土を君臨している中で、ひっそり咲いている在来種の シコタンタンポポ :写真右

霧多布湿原
イメージ 4 この地域の湿原の中でもっとも有名なのが霧多布(きりたっぷ)湿原だ。
 湿原には地下水と泥炭の関係で、低層・高層・中間湿原に区別されるが、霧多布湿原はこれら3つの性格をあわせ持つ湿原として知られ、その多様さから「霧多布泥炭形成植物群落」として、早くから天然記念物に指定されている。
 渡り鳥が通過し羽を休める所として、ラムサール条約の登録地にも指定されている。
 その霧多布湿原のど真ん中を、道が突き切っているが
 天皇陛下ご視察のとき整備されて、幅の広い盛土のような道路となった。(写真左)
 すると湿原の水が寸断されて片側の乾燥化が進み、湿原の姿は道路を隔てて一変してしまった。

イメージ 5 そこで道路の下に直径1mはあろうか、大きな管を数本埋める
 外科手術をして、地下水の流れを自由にしたところ、翌年から左右の湿原はもとの湿原に戻った。
 (写真右:埋められた導水管)
 今回は見ることができなかったが、シーズンになると見事なエゾカンゾウ、ワタスゲ、ノハナショウブなどが湿原を一面に覆う。
 こうして貴重な植物群落は維持されている。

難解地名
 ところでこの釧路から根室にかけての地名の読み方は、とてもとても難しい。
 北海道の地名はもともと、アイヌ語に漢字をあてたものが多いが、とりわけこの地域の地名は難解、まず読めない。
 又飯時(またいとき) 来止臥(きとうし) 浦雲泊(ぽんとまり) 冬窓床(ぶいま) 初無敵(そんてき) 賎夫向(せきねっぷ) 分遣瀬(わかちゃらせ) 老者舞(おしゃまっぷ) 知方学(ちぽまない) などである。

 これをわからせようとしても、分遣瀬(わかちゃらせ)られない。
 ほかの地域ではそれなりの理屈と情緒がある中で、この地域の地名はどうして無関係な漢字が当てはめられたのだろうか。
 どうやら明治の初期、この地に赴任した和人の役人に文学的素養というか漢学の素地なく、アイヌ語の発声音に自らが知っていた乏しい漢字を無理やり当てはめていったらしい。
 その結果「無理偏に拳骨」がまかり通って今日に至っているようだ。

イメージ 6 その中で例外もある。
 霧多布 (きりたっぷ)である。
 アイヌ語のキイタップ(平坦な土地)からくる。
 海霧に覆われることの多いこの地を「霧多布」という字を当てたのはまさに慧眼、語感もよい。
 アイヌの長老からの聞き取りのとき、たまたま濃い霧がこの地を覆っていたのだろうか、と思うと楽しい。





南国?の根室
イメージ 7

 バスは根室に入った。
 北方領土が目の前に広がる納沙布岬付近の海は凪いでおり、漁民は昆布とりに忙しい。
 たまたま根室はお祭り、根室金比羅祭りだった。
 北海道には数少ない神社の例大祭で、幕末に当地で活躍した淡路の
 高田屋嘉平が故郷から分詞したのが始まりという。
 札幌の北海道神宮祭、函館に近い江差の姥神(うばがみ)大神宮渡御祭とともに、北海道3大祭りのひとつに数えられている。
 神輿や山車が街を練り歩き、楽しみの少ない住民にとっては大きなイベントだ。

イメージ 8 夏祭りとはいえ平年の気温が20℃前後の根室では、住民は昔は「かく巻き」を着て祭りを楽しんだという。
 ところが今年は様子がまったく違う。
 子供は浴衣姿、若者はTシャツである。
 涼しいところにきたはずなのに、東京から来た観光客は暑くて本州と同じだとぼやいている。
 この日の根室はなんと30度を超えたという。
 たかだか30度というなかれ。
 当地では20度を越せば暑く、25度を越すと天気がニュースになる土地柄である。
 翌日の朝、釧路に勤務したことのあるという東京のアナウンサーが、テレビで本州の猛暑をよそに、釧路根室地方が30度を越したのは大変なことだ、と取りあげていたのはまさに機を得たコメントだ。
 北海道でもっとも気温の低い地域でも、この夏はついに32度を記録する半世紀ぶりの猛暑となった。
 ことしは涼しさを求めるなら根室でもだめだ。
 国後から択捉へと千島列島をどんどん北上しなければならないという気持ちになる。
 ( 写真:北方四島返還を求める「叫びの像」国後島の山並みが見える別海町 )
 人間より牛の数が多い根釧台地の主人公・ホルスタインも、舌をだらりと出して、暑いのは「モー結構」といっていることだろう。
 ことしは暑さで野生の植物もいまいち元気がないように見える。
 水不足と重なり、樹木の葉は赤茶けて、紅葉が早くも始まっている。
                                (つづく)(寄稿=望田 武司)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

涼を求めて 湿原街道(上)

 日本列島の上空はどうなっているのだろうか。
 今年の夏は尋常な暑さでないようだ。
 岐阜と埼玉で最高気温40度9分の日本新記録。
 空気がお風呂なみの温度に達した地域では、汗をぬぐうと垢がぼろぼろ落ちてきたのだろうか。
 心から残暑お見舞い申し上げます。
 札幌でも連日真夏日となり、今夏に限って札幌も南国の仲間入りだ。
 札幌よりはるかに涼しいはずの釧路根室地方に夏の花を求めて、お盆の時期に出かけてきた。

湿原と人間
イメージ 1 湿原と言うとどういうイメージを持つだろう。
 荒地、ぬかるみ、虫がいっぱい、人が住めない所だろうか。

 実は人間と湿原のかかわりは大変深く、多くの大都市は湿原の上に作られているそうだ。
 テムズ川のロンドン、ネヴァ川のサンクトペテルブルグ、カナルのベネチェアなどは、いずれも川のデルタ地帯などから発達した。
 水の都と言われているところは、都市形成がなされる前はみな湿地帯だった。

(写真:ベネチェア 07年7月)
 実例を海外に求めるまでもない。
 江戸川の東京、淀川の大阪、信濃川の新潟、
 豊平川の札幌など、都市と湿地の関係は枚挙にいとまがない。

 「あなたの住んでいる立派な大都会は、昔は湿原や湿地だったんですよ」
 というとなんとなく楽しい。
 つまり人間の生活には水が必要だった。

 人類の歴史は洪水に怯えながらも水のそばに住み、湿地帯を克服して徐々に埋め立て、今日の大都会を作り上げたと言うことだろうか。

湿原博士
イメージ 2 辻井達一という植物学者がいる。
 国際湿地保全連合の理事で日本委員会の会長、平たく言えば日本の湿原学会のボスだ。

 むかし北大植物園の園長を務めて、現在は北海道環境財団の 理事長、知床の世界自然遺産登録の学術的分野で貢献する。
 一方、乾燥化が進む日本一の湿原、釧路湿原の川を直線から曲線に戻す前例のない大手術を進める外科部長だ。(写真:小清水原生花園での辻井先生 05.7月)
 辻井先生の話を聞くと、日本列島は湿原の島だったいうから
 話は大きく興味も尽きない。
 この先生、一介の植物学者でなく、シャーロック・ホームズの研究家として知られている。
 「シャーロック・ホームズにおける樹木学的研究」を世に出しており、名探偵ホームズも真っ青だ。

イメージ 3 それによると日本国の古来の呼び名は「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」とか「秋津島」と言われていた。
 秋津(蜻蛉)はトンボの古名だから、トンボが多いというのは湿原が存在していた証拠であるという。
 また豊葦原は葦の原で、葦(ヨシ)がたくさん生えているように瑞穂、すなわち稲が育つ国を意味するという。
 本州以南の葦の多かった湿原は、弥生時代から営々と水田に変えられてきて今日に至る。
 最近では、土壌が泥炭地という厄介者だった石狩大原地帯が、世界でも例のない客土による土壌改良で、日本一の水田地帯に見事に化けた。

 *余談だが葦はむかし「アシ」といわれていたが
 「悪し」につながるとして学会で「ヨシ」に統一したという。
 うそのような話、これホント。
 「いずれもよしあし」なんて言わないで。
 植物図鑑ではヨシとなっており、小さく別名アシと書かれている。(写真:ヨシ・日高新冠 07.5月)

湿原野外博物館
 昔湿原で覆われていたは日本列島は住宅地になり農業地となり、湿原はどんどん小さくなってしまった。
 そうした中で現時点で湿原が最も残されているのが北海道で、日本の湿原の80%が北海道にある。
 そのまた80%が今回自然観察で訪れた北海道東部に集中している。
 つまり釧路根室地方は湿原街道、日本の湿原の宝庫とも言える。

 大きい湿原ならシベリアやカナダにもいくらでも見られるが、
 北海道の湿原の面白いところは、地形・発達様式・動植物などの多様性がきわめて高いのが特徴で、北海道は湿原の「野博物館」だという。
 ますます楽しくなる。(つづく)(寄稿=望田 武司)
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 (写真:霧多布湿原 07.8月)

望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

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