日本ハム日本一 北国狂想曲
18日、札幌でプロ野球北海道日本ハムファイターズ日本一のパレードが行われました。
14万人の道産子が沿道を埋め尽くす中を、日本ハムの1軍2軍の選手全員がパレードに参加し、紙ふぶきの祝福を浴びました。
3年前、本拠地を札幌に決めて選手が初めて足を踏み入れたとき、上田文雄札幌市長は「大通公園をパレードにとっておきます」と述べて歓迎しました。
わずか3年で現実のものになろうとは誰しも予想していませんでした。
しかし夢は現実となりました。
北海道開拓始まって以来のでき事に、つめかけた市民は気温5度の寒さを忘れてヒートアップし、狂想曲を奏でました。
嵐の前の静けさ
私はこの日はたまたま観光ボランティアの日で朝早くから都心に出かけていました。
パレードはJR札幌駅前からススキノまでの直線のメインストリート1.3kmです。
明治40年、札幌を初めて訪れた石川啄木は、駅前通りの印象を次のように書き記しています。
「道幅の莫迦(ばか)に広い停車場通りのアカシヤの並木は、蕭条たる秋の雨に遠く遠く煙ってゐる。
其の下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いている様に見える・・・」
当時の駅前通りは啄木のセンチメンタリズムを刺激するに十分な情景だったのでしょう。
あれからほぼ100年、駅前通りは無機質なコンクリートの高層ビルに挟まれ、その沿道に当時の札幌市の人口をはるかに超える人が集まるとは啄木も想像だにしなかったでしょう。
パレードの始まる2時間以上前から市民は沿道につめかけ、幾重にも人垣ができました。(写真)
上空にはヘリコプターが飛び交い、数えると1、2、3、4、5、6機旋回しています。
トンビも飛んでいました。
しかしこの日ばかりは役者が違うと悟ったのか、くるりと輪を描かずビルの谷間に消えていきました。
動き出したパレード
午前11時、パレードが始まりました。
鼓笛隊と吹奏楽団の後につづく先頭のオープンカーには、ヒルマン監督と選手会長の金子誠選手が乗っています。
「ホッカイドウの皆さんは世界でイチバンです」
サービス精神旺盛で誠実なヒルマン監督は、すっかり道民に受け入れられています。
日本シリーズでは勝つたびに翌日、昼間限定のヒルマンジュウが1個88円(背番号)で販売され、あっという間に売り切れました。
二番手のオープンカーには田中幸雄選手と金村暁投手です。
三番手のオープンカーには建山義紀投手と高橋信二捕手です。
オープンカーはこの3台で終わりです。後はバスで十把ひとからげです。
あれ?人気者や実力者がいないではありませんか。
主催者はにくいことを考えていました。
人気者を分散しました。
しかも後続のバスは普通のバスでなく、二階建ての屋根のないバスです。(写真)
オープンカーは前列の人しか見えませんが、二階建てバスの方が沿道の人には選手がよく見えます。
従ってパレードはバスの方が主役です。
このバスはこの夏初めて札幌に「スカイバス」の名でお目見えしたもので、市内遊覧の観光客を楽しませました。
観光シーズンが終わって東京に帰っていましたが、このパレードのために再び呼び戻されました。
最初のバスには小笠原道大選手と稲葉篤紀選手が乗っていました。
「ガッツ、ガッツ」
巨人に行くかもしれない小笠原選手に、観衆は大きな声をかけます。
当初、寒くて帽子と手袋をしていた小笠原選手は、熱くなったのか、帽子も手袋もとって両手を挙げて応えています。
稲葉選手も声がかかるたびに、すっかり有名になったファンの「稲葉ジャンプ」を自らやってファンに応えています。
ビルの窓からも手が振られています。
特等席で沿道の2階以上の喫茶店などは、すべて早い段階での予約で占められたそうです。
二番目のバスに、いました。いました。
超人気者の新庄剛志選手です。
「ツヨシだ、ツヨシだ」 「シンジョウ選手〜」 「キャー」
その存在の大きさは、他のバスの同乗者数十人を圧倒します。
大きく手を振る新庄選手は、他の選手全員がユニフォーム着用なのに、一人だけ私服でした。
すでに引退しているので、ユニフォームに腕を通すわけにはいかないという理由のようです。
新庄選手は薄めのサングラスに、ベージュの厚いコートと黒いマフラー姿で、颯爽と登場しました。
その姿はコマーシャルのテレビ画面から抜け出したような格好良さで、この種の感覚ゼロの私でも決まってるなあと思いました。
まるで冬のソナタの主人公です。
その新庄選手、突然手にしていたブレスレットをはずし、観衆に向かって大きく投げ込みました。
「キャー キャー」
一段と騒然となりました。
新庄選手のバスには、もう一人の人気者、森本稀哲選手が乗っていました。
誰も森本とは呼びません。
「ひちょり、ひちょり」です。
森本選手は一人だけジャンパーを脱いでのユニフォーム姿です。
おまけに半袖です。
じっとしていると寒いのか、大きく手を振って一人ではしゃぎ、右に左にパフォーマンスを披露する大サービスです。
トレードマークのツンツルテンの頭には、寒風が容赦なく吹き付けていることでしょう。
森本選手は一切気にせず、むしろ湯気が立ってるのでしょうか。
突然、新庄選手と抱き合いました。
レフトフライを捕って優勝を決めた瞬間、抱き合った二人の再現です。
観衆は再び 「キャー キャー」
なんともサービス精神旺盛です。
パレードは大通り公園にかかりました。
観衆はここでぐっと膨らみます。
同時に紙ふぶきが四方のビルから一斉にまかれました。
パレードのクライマックスです。
猛烈な紙ふぶきで全体がよく見えません。
紙ふぶきでなく、本物の吹雪が吹いたほうが札幌らしいのになあ。
パレードが始まる前に漠然と思っていましたが、今年は暖冬で先日、戦後最も遅い初雪を観測したばかりです。
もちろん積雪はなく、きょうは陽が高くなるにつれて陽も射しています。
撒かれた紙ふぶきはおよそ1トン、ビル保守会社が命綱をつけて屋上から送風機で撒きました。
歴史を刻んだパレード
わずか1時間弱のパレードでしたが、沿道を埋めた市民は堪能しました。
選手はもちろん、道産子も初体験です。
家に帰ってテレビで見た上空からの紙ふぶきの光景は、間違いなく北海道開拓130年の歴史を刻みました。
日本ハムの日本一は、駒大苫小牧の甲子園制覇とともに、野球とは無縁だった寒冷地の北海道に、大きな勇気と感動を与えてくれました。
緯度の高い札幌の夜は早く、この時期、午後4時を過ぎると暗くなります。
暗くなると同時に大通公園には、前日の17日からホワイトイルミネーションが点灯されました。
37万個の電球がまばゆいばかりに輝いています。
昼間あれだけばら撒かれた紙ふぶきは、ボランティアによってすっかり片付けられました。
落ちているのはいつものイチョウやプラタナスなどの葉です。
昼間の騒音と嬌声は、すっかり冷えた空気に包み込まれています。
札幌はこれから本格的な冬を迎えます。
(望田 武司=寄稿)
* ボランティアをしていたこともあり、写真がうまく撮れませんでした。
多くの写真を友達のおばちゃんが提供してくれました。
私と同じくらいの重量級のおばちゃん、脚立をたてて何度も押されながらシャッターを押しまくったそうです。
おばちゃんの体を張った努力に謝々です
望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
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