メディア・レボリューション

マスコミ各紙各局のOBや、現役の解説者などからなるニュースブログです。TVや新聞には出てこない「新しい」情報を発信します。

北の国からのエッセイ

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晩 秋

 オホーツク海沿いの佐呂間町に予期せぬ竜巻が起きました。
 トラックがボールのように転がり、人間は風船のように飛びました。
 自然の猛威の前には人間の力がいかにちっぽけなものかを痛感します。
 亡くなった方々の無念の思いがテレビや新聞で報道されるたびに、他人事でなく哀悼の気持ちがよぎります。

冬囲い
イメージ 1 天候とは無関係に11月に入ると、冬支度が始まりました。
 札幌の中心にある大通公園では、樹木の冬囲いが急ピッチです。
 手際よく筵がかぶされ、小枝が縄で結ばれていきます。
 
 大通公園には5メートル四方の花壇があちこちにあります。
 市内の園芸店が参加して腕によりをかけて春先に作ったものです。
 毎年コンクールも行われています。
 この時期になりますとその花壇も撤収です。


イメージ 2 
 びっくりしたのは、撤収するのは花壇の枠や花だけではありませんでした。
 土壌まで撤収です。
 園芸は土作りから始まるとはよく言ったものです。
 土も立派な財産なんですね。
 大通公園のあちこちで小型のクレーン車が土を盛ったモッコを吊り上げていました。
 このあとベンチの取り外しが終われば大通公園も冬篭りです。


落ち葉
 里の紅葉・黄葉も終盤です。
イメージ 3 あと1週間もすれば色あせてくるでしょう。
 歩道には落ち葉が絶えることはありません。
 掃いても掃いてもイチョウ、プラタナス、ハルニレなどの街路樹から葉がぱらぱら落ちてきます。
 同じことを繰り返しているのだから、いっそのこと掃除なんかしなくて、落ち葉の絨毯にすればいいのに、と思うのはものぐさの考えでしょうか。
 
 サラサラサラ、
 
 落ち葉の上をひきずって歩くのも気持ちがいいものです。


北大イチョウ並木
イメージ 4 
 樹から落ちるのは葉だけでなく、実も落ちてきます。
 雨風の強かった翌日はぎんなん拾いです。
 北大構内のイチョウ並木に行ってきました。
 ポプラ並木とならぶ北大の観光名所です。
 ここでは黄金色の絨毯が続きます。
 朝早くからぎんなんを拾いにくる人が多く、一寸遅いともう余り落ちていません。
 見上げるとぎんなんの実が枝一杯についています。
 毎年よく実をつけるものだと思います。


 氷河期でも生き延びて中国から伝わったイチョウの樹は長寿です。
 その実はまさにエキスでしょうか。
イメージ 5 茶碗蒸しのポイントであるぎんなん、炒って剥くと若草色のエメラルドです。
 そのエメラルドも自然観察仲間の忘年会のツマミとなって口の中に入ります。
 毎年、忘年会をやる頃は白一色です。
 今年はどうなるでしょうか。
 札幌の来週早々の天気予報は雪だるまになっています。
 けどもう2回ほどだまかされています。(望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

狩勝ポッポの道

 フットパス という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 直訳すればその名の通り「足で歩く道」です。
 歩くことによってその地域を知り、自然と親しみ、同時に健康にも寄与できるという身近な余暇の楽しみ方でイギリスが発祥地です。
 日本では環境省が力を入れ始めた他、最近民間団体でもフットパスロードを作る動きが各地でみられます。
 北海道でもこうした運動が自然愛好家の間で活発になり、10月末の週末、十勝の新得町で全道フットパスの集いが開かれました。
 家に居たら達磨さんのような生活をしている私は、自らの身体をいじめる良い機会だと1泊2日で参加してきました。


国鉄旧狩勝線
イメージ 7 今回歩いたところは廃止された根室本線の旧狩勝線の線路跡です。
 日高山脈にある日本八景の一つ 狩勝峠 (644m)を通過する列車の前には1000分の25の急勾配と2つのトンネルがありました。
 列車の前後に配置した2連のD51を従えた長大な列車が喘ぎ喘ぎ上って、峠に挑んだ雄大なドラマは、鉄道ファンの心を魅了すると同時に、乗客も目の前に広がる車窓を楽しみました。
 私も半世紀前の幼ない頃、黒煙を吐きながら狩勝線を上る機関車の絵本を読んだことをよく覚えています。



イメージ 1 札幌と道東方面を結ぶ大動脈として活躍した旧狩勝線は、列車のスピード化のためトンネルの多い新線(石勝線)が作られたことにより、昭和41年廃線となりました。
 その後、一時国鉄の実験線として使われていましたが、その役割も終え、線路はすべて取り外されました。
 晩秋の色濃いこの線路跡をたどって歩きました。
 写真は旧新内(にいない)駅構内で保存・展示されている機関車と、当時のホームです。


寂しさの象徴
 枕木が横たわっていた線路跡は、森の中をどこまでもつづきます。
 両脇は見事な カラマツ林 です。
 マツ科の中で唯一落葉するカラマツはこの時期セピア色の黄葉となっています。

イメージ 2 からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き
  からまつは淋しかりけり たびゆくはさびしかりけり

 カラマツといえば連想させるのが寂しさです。
 それを決定づけた北原白秋の詩がいつも思い出されます。
 カラマツはもともと北海道にはなく、成長が早いことから国策として白秋が謳った長野から移植され、道内各地に植えられました。
 そして線路の枕木、炭鉱坑内の支柱、魚箱など多方面に利用されました。
 ところが線路の枕木はコンクリートになり、炭鉱はすべて閉山し、魚箱も発泡スチロールに代って、建築材として劣るカラマツの使い道はなくなりました。
 二束三文のカラマツ林には間伐すら行われず、一時荒廃の山の象徴となりました。
 しかし全山を覆うカラマツの春の芽出し、秋の黄葉は見事な自然の贈り物で、白秋でなくても詩情をそそらされます。

山脈を貫くトンネル
イメージ 3 廃線跡を歩くと落葉に覆われているトンネルに出ました。
 旧狩勝線のトンネルのひとつ 新内(にいない)隧道 です。
 このトンネルの堀削工事は、堅い岩盤と湧水のために困難を極め、枕木の数ほど犠牲者が出たそうです。
 ついには人柱まで建てて工事の進歩を図ったとも語り継がれている明治時代の超難工事でした。
 アーチ部分はレンガ積みで切石によって構成され、側壁が石積みの新内隧道は、現在日本土木学会の土木遺産に選ばれています。


脱線事件
 こうしたドラマを刻んだ旧狩勝線跡を歩いているのかと思いながら黙々と歩いていると「まりも橋」という標識とともに「急行まりも号事件現場」という看板に出会いました。
 列車事故なら「事件」でなく「事故」だろうと言いながら参加者は立ち止まって看板を見やりました。
イメージ 4 「昭和26年5月、釧路発函館行き4両編成の急行マリモ号は、470余名の客を乗せてこの地を通過したさい、激しい衝動とともに脱線、機関車は橋の下の川に宙吊りの形で横転、機関士は軽傷を負ったが乗客は幸い全員無事」と書いてありました。
 つづいて 「捜査の結果左右のレール継目板4枚を金切鋸で切断し、白樺の棒を差し入れ、レールを右側に4センチメートル食い違わせてあったことが直接の原因と判明」と書かれ、さらに「戦後における下山・三鷹・松川の国鉄3大事件等の背景もあるためか捜査は広範囲にわたり、容疑者約600名の調査が行われたが決め手なく、遂に迷宮入りとなる。自治体警察の廃止の端緒ともなった不可解な「マリモ号」転覆事故であった」
 看板にはこのように書かれていました。
 原生林の人気のない所でこのような歴史に残る事件があったのかと、機関車が宙吊りになった橋の下を流れる川を覗きこみました。

日本三大車窓

 同行者と歴史から自然にいたる他愛無い話をしながら線路跡の遊歩道を歩いていきますと、突然視界が大きく開けました。

イメージ 5 「大カーブ」といわれる地点です。
 眼下の向こうは広々とした十勝平野が広がっています。
 旧狩勝線は、勾配を機関車が上れるぎりぎりの1000分の25以下にするため、カーブがいくつも作られました。
 カーブを回るたびにすばらしい車窓となり、日本三大車窓の一つといわれたところだそうです。
 D51は煙を黙々と吐きながらこの地を通り過ぎたのかー
 半世紀前の機関車の勇姿を想いながら紅葉にかすむ眼下を見やりました。

フットパスロード
イメージ 6 この2日間で20kmほど歩いたでしょうか、足がパンパンになってきました。
 足元が悪いところもあって指に力を入れすぎたせいか、親指の生爪がはがれそうな痛みも感じ始めました。
 落ち葉を踏みしめながら笹ヤブを抜け、見事なシラカバ林に出会いましたが、次第に景色を楽しむよりも肉体的苦痛が先にきます「そばの館」が終着点です。

 靴を脱いで畳の上にへなへなと座り込みました。
 山麓地特有の朝晩の寒暖の差と、冷涼な気候で育った名物「新得そば」にようやくありつけました。

 今回歩いた旧狩勝線路跡の遊歩道は「狩勝ポッポの道」と名付けられています。
 牧場主など地元の自然愛好家によって、自然と歴史が守られていました。
 広すぎる、長すぎるフットパスのたびでした。
 心地よい疲労感に満足しながら3日たっても足をさすっています。 (望田 武司=寄稿)


望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

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ブナの北限を行く

 北海道の天気予報にいよいよ雪だるまがお目見えしました。
 雪が里にまで下りてきました。
 天気予報ではこの時期、西日本ではまだ25度を越しているようです。
 日本列島がいかに長いかを実感します。

黒松内低地帯
イメージ 1 この日本列島の山々を覆う木にブナがあります。
 温帯の代表的な木で春の若葉、秋の黄葉はとくに見事です。
 ブナの原生林が残っている秋田・青森県境の白神山地は世界自然遺産の指定を受けています。

 本州から北上したこのブナ林が突然途切れるところがあります。
 北海道の 黒松内低地帯 といわれるところです。
 ちょうど渡島半島の付け根の部分です。
 これより北にはブナ林はありません。
 その北限の地を先日初めて訪れました。


イメージ 2 札幌から車で3時間、黒松内町の歌才(うたさい)に着きました。
 ちょっと変わった地名です。
 名前からして才能のある有名な歌手の出身地かな?
 細川たかしは近隣の真狩村(まっかり)だし、
 北島三郎は同じ渡島半島でも先端の函館に近い知内町(しりうち)だし…??

 地元の人に尋ねました。
 アイヌ語でオタセイ、貝殻のある沢という意味で、転訛して
ウタサイになり、歌才という漢字があてられたそうです。
 この一帯には砂岩がむき出しになっている岩があって貝の化石などが採取され、大昔海の底であったことを示しています。(写真:ブナ林の入り口)

北の椰子の木
 この歌才地区に見事なブナ林がありました。 歌才ブナ林 といわれています。
 大正時代この地を訪れた天然記念物調査委員の林学博士は 「周囲が開墾し尽くされている中で、このようなブナの原生林が残っているのは奇蹟、北のヤシの木のようだ」と讃え、天然記念物に指定されました。
 以降、大切に保護され、こうして見事な黄葉を鑑賞できるのかなと思ったら、そう簡単でもありませんでした。
イメージ 3 天然記念物とはいえ、歌才ブナ林に何度か危機があったそうです。
 太平洋戦争末期、資源が枯渇した軍部は戦闘機のプロペラ材として、歌才のブナを伐採しようとしました。
 北海道大学の林学教授が猛烈に反対し、自ら軍部に出向いて説得して難を逃れました。
 戦後まもなく町の財政事情から天然記念物を解除し、伐採して財源の足しにしようとする動きがありました。歌才ブナ林の学術的価値を知る学者や地元住民の熱心な反対運動で危機を免れました。

 現在のような自然保護の意識が浸透していなかった昭和20年代の出来事で、特記すべきことといえます。
 こうした勇気ある人たちのおかげで、今日まで原生的な姿が守られているんですね。

植物のブラキストン線
 日本列島を覆っているブナ林がなぜ黒松内低地帯で途切れてしまうのでしょう。
 この興味ある命題に日本の植物学者が現地に入っては自説を展開しました。
 ● もっと北にまであったブナ林が山火事によって後退した(山火事説)
 ● 羊蹄山火山群の噴火がブナの北上を阻害した(火山阻害説)
 ● 黒松内の北は乾燥しており水を好むブナの進入を抑えている(降水量制約説)
 ● 大陸寒気団の影響を強く受けている地域だから(気候特性反映説)
 ● 気候だけでは説明できない。自然の種子散布により北限にまで到達した(種子分布歴史的沿革説)
 ● 樹木が互いにすみ分けているのではないか(ニッチ境界説)
 などなど諸説紛々で、いずれも一長一短がありいまだにこれぞ真相といえるものはないそうです。
イメージ 4  ブラキストン線 というのを高校時代、生物で学びました。
 日本列島の生物は津軽海峡を境にがらりと変わるということを発見したイギリスの商人で、鳥類研究家のブラキストンにちなんでつけられた名前です。

 確かに動物では津軽海峡ですが、植物ではむしろ黒松内低地帯がブラキストン線ではないかと指摘する学者もいます。
 その大きな根拠がブナです。
 本州で見られる温帯の落葉広葉樹林(ブナ帯)は黒松内低地帯で終わり、それより北は針葉樹と広葉樹が入り混じった、北海道特有の亜寒帯の針広混交林が広がっています。
 なんとなくうなづける植物のブラキストン線です。
 写真は黒松内低地帯を覆うブナを中心とした木々の黄葉です。

「橅」と「樻」
イメージ 5 ブナの木は漢字で木へんに無し 「橅」 と書きます。
 つまりブナは木でないという意味です。
 ブナは材質的には劣り、せいぜい焚き木材くらいしかならないということで、この字が使われています。
 ブナに対する軽蔑した考えに怒った人がでてきました。
 黒松内町長です。
 ブナの北限を売りに地域おこしをしようとしている黒松内町にとって、ブナは役にたたないとはとんでもないというわけです。

 黒松内ではブナは木へんに貴い 「樻」 という字が使われています。
 黒松内産の焼酎は「 しずく」であり、お酒は「 のせせらぎ」です。
樹木の女王
イメージ 6  滑らかな樹皮に苔生した跡、卵形で波打った葉の縁、これがブナの特徴です。
 このブナ林を歩きますとブナがとても女性的な木であり、大木は子供をいとおしむ母のように思えます。
 そのせいかブナ林を歩きますと、とても気持ちが安らかになります。
 まさに森が語り、森が詩うという気持ちです。

 ブナはミズナラやカシワと同じ仲間です。
 実はドングリで帽子のような殻斗をつけます。
 日本の野山からブナが消えたらクマやタヌキ・リスなどの動物は絶滅の危機に陥るでしょう。
 ブナは人間だけでなく、野生動物にとっても大切な木です。

 歌才を訪れたときはちょうど葉が黄色から黄金色にかわる時期でした。
 黄葉もすばらしいですが、萌えるような若草色の春が大好きだという人がとても多いです。
 今度はぜひ6月の春に訪れようと思いました。 (望田 武司=寄稿)


望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

深まる北国の秋

 秋も深まるこの時期 一雨一度 といいます。
 一雨降るたびに気温が一度、ぐっぐっと下がっていくという意味のようです。
 札幌の最低気温もいつの間にか5度まで下がってきました。
 秋の深まりをじっくり鑑賞しようと中旬あちこちにでかけてきました。

大都会の国立公園
イメージ 1 札幌郊外の 定山渓 です。(写真右)
 湯量豊富な定山渓温泉があり、札幌にも近いことから札幌の奥座敷とも言われています。
 定山渓を流れる豊平川の両岸はヤマウルシの赤、イタヤカエデの黄、トドマツの緑などで覆われていました。
 いまが一番の見ごろのように思えました。
 夏が暑かったからでしょうか、この秋の北海道は紅葉が
1週間ほど遅くなりました。
 定山渓は支笏洞爺国立公園の中にあります。
 その住所は札幌市南区、人口百万超の都市で国立公園があるのは全国でも札幌市だけだそうです。
 深い緑色の豊平川の下流の扇状地に人口188万の札幌の市街地が広がっています。
初霜の証
イメージ 2 定山渓から中山峠を経ますとニセコに出ます。
 14日、北海道は今年一番の冷え込みで各地で初霜初氷を観察しました。
 道路わきに生えている オオブキ がぺしゃんこになって黒くしおれていました。
 前日まで緑色をしていた別名アキタブキです。
 霜に弱いフキの最期の姿です。





草紅葉
イメージ 3 ニセコの懐にひっそり神仙沼がたたずんでいます。
 神と仙人が住んでいると思って名付けられたほど神秘的な神仙沼湿原です。
 ちょうど1ヶ月前にも訪れました。
 まだ紅葉には早過ぎました。
 1ヵ月後の湿原はもう一面のセピア色の草紅葉です。
 湿原の秋は短いです。
 まもなく雪が降り来年の6月まで冬篭りです。





スキーのメッカ
イメージ 4 ニセコの連峰の最高峰は ニセコアンヌプリ (1308m)です。
 この山にはアンヌプリ、ニセコヒラフ、ニセコ東山の3つのスキー場があるスキーのメッカです。
 ゴンドラで中腹の海抜1000mまであがりました。
 こんな急斜面を滑っていたのか。
 ゲレンデに雪がない時期にスキー場に上るとちょっと怖い感じです。
 所々に生えているダケカンバは真直ぐ育っているものは1本もなく、雪の重みでみな曲がりくねっています。
 遠方を見やりますと洞爺湖から噴火湾まで眺望できます。
 すっかり準備完了、あとは雪を待つばかりのスキー場です。
蝦夷富士
イメージ 5 帰路、立ち寄った中山峠から 羊蹄山 (1898m)がばっちりです。
 いつも雲がかかって、なかなか見られません。
 蝦夷富士ともいわれる羊蹄山ですが、本物よりも美しい姿です。
 おまけに日没寸前の光景です。
 初めて見ました。
 まるで絵に描いたような景色です。
 まだ午後5時前です。
 秋の日はつるべ落としです。
冬の使者
イメージ 6
 紅葉も次第に深まっている札幌市内に、数日前から ユキムシ が飛び交うようになりました。
 体長5〜6ミリ、アブラムシの仲間でトドノネオオワタムシというのが正式な名前です。
 夏から秋にかけてはトドマツの根の汁を吸って生活しており、
風のない10月中旬、トドマツからヤチダモの木に移動します。
 腹部に白い綿毛のようなものがついていて、飛んでいると雪の一片のように見えます。

 ユキムシを見かけると1〜2週間後には初雪が観測されるといわれます。
 まさに冬の使者です。
 除雪をするために市電に取り付けられる、札幌名物ささら電車の試運転も始まりました。
 はや晩秋のたたずまいの札幌です。(写真:大通公園 18日)
(望田 武司=寄稿)


望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

夕張倒産(下)


メロン2個80万円
イメージ 4 一度は死んだ夕張はメロンと観光と映画で再生を図りました。
 メロンの果肉は青いというイメージを赤、スモークサーモン色にかえました。
 夕張メロン の今年の初値は2個で80万円の超高値でした。
 競り落とした業者は「安く買えた」と言い放ちました。
 これでテレビ、新聞で無料で全国に報じてくれるのだから全然高くないということでした。
 夕張メロンは高級メロンとしてのブランドがすっかり定着するほどになりました。
 しかし、観光は思うように行きませんでした。
 ハコ物はどんどん作るけど、所詮、武士の商法でした。
 単年度赤字は翌年度予算の前倒しや、金融機関からの一時借り入れなどで補う「不適切財政運営」で自転車操業していきました。
 行きつくところはわかっていてもそのうち国や道がなんとかしてくれるという甘えがあったのかもしれません。
 役人は自分の家計簿には収支の帳尻をつけても、役所の家計簿には帳尻という感覚はなかったということでしょうか。
 市役所の前をバスが通りました。地元のガイドが言いました。
 「いまでは昼の休憩時間は電気を消し、夜の残業でも暖房は入れていないそうです」
夕張に情熱注いだ大女優
イメージ 1 石炭の歴史村の施設の一つに 希望の杜 があります。
 ここに映画 北の零年 のロケセットが保存されています。
 この映画は幕藩体制の崩壊の中で起きた事件の咎めを受けて、明治新政府から北海道移住を命じられた四国徳島藩の稲田家の人たちの物語です。
 歴史の波に翻弄されながら厳しい北の大地で懸命に行きぬく人々を描いた感動のドラマは、日本アカデミー賞の受賞作品となりました。
 主演女優は 吉永小百合 さん、最優秀主演女優賞を受賞しました。
 夕張で半年間ロケが行われました。
イメージ 2 これまでに100本以上映画に出演している吉永さんにとって、ロケセットが残されたものはありませんでした。
 それだけに夕張への思い入れは相当のようで、毎年、夕張を訪れては希望の杜にサクラを植樹し、一帯を桜の名所にしたいと張り切っていました。(写真左:吉永さんが植樹したエゾヤマザクラ)
 その夕張が倒産したという報道は吉永さんにとってまさに驚天動地だったことでしょう。
 そして石炭の歴史村の存廃が叫ばれるに及んで、吉永さんは高橋はるみ知事に手紙を出しました。
 公表された手紙は「なんとか希望の杜を残してください」というありきたりの文言かと思ったらそうではありませんでした。
 「希望の杜を残すために私にできることがありましたら、どうぞ教えてください」
                       と書かれていました。
 この言い回しを見て小百合ちゃんもなかなかやるなあと思いました。
 40数年前の早稲田のキャンパスで後姿を偶然見かけたことを思い出します。
 失礼ながら、なんという大根足だろうと思いました。
 この文言で吉永小百合はその辺の表紙女優とは違う大女優であることを改めて思いました。
 夕張市の再建は実質当事者能力を失った夕張市でなく、北海道にあります。
 政策よりむしろ財政再建を道政の柱にして、地方競馬の廃止まで検討している通産官僚出身のはるみ知事、はたしてどういう手を打つでしょうか。
夕張応援ツアー
 今回の旅は個人的な関心から出かけました。
 ちょうど旅行会社が企画した「まるごと夕張GOGO!お楽しみツアー」にのりました。
 観光ツアーでもないのに客は満員でした。おまけにマスコミまで乗り合わせました。
 このツアーは2ヶ月間で6回やるそうですが、驚くことにすでに予約でほぼ満員だそうです。
 夕張倒産をきっかけに企画したこの地味ツアーは当たったと旅行会社はにんまりです。
 参加した人の中には、かつて夕張に住んでいた人や、炭鉱にかかわりのあった二代目など、石炭とはなんらかの縁のある関係者が多く見られました。
 中には家に帰ったら(炭鉱で働いていた)父ちゃんにお線香をあげたいという人もいました。

イメージ 3 一度死んだ夕張はメロンと観光で再生しました。いや結果的には再生したかに思われていました。
 北海道の経済を支え、そして沈んだ夕張の明るい再生に道民は目を見張っていました。
 しかし現実は厳しいものでした。
 放漫財政の自治体なんてとんでもない、責任者は何してたんだ。という声はきかれます。
 しかし、夕張をつぶしてしまえ。という声はほとんど聞かれません。
 むしろ がんばれ夕張 です。
 あるときは北海道の顔に、あるときは北海道の影をひきずって生きてきた夕張だからでしょうか。
 夕張で案内をしてくれた方は観光ボランティアの会長さんでした。(写真:マイクを持っている男性)
 実はこの会長さんが吉永さんに夕張の窮状を伝えたご本人でした。
 まさか吉永さんが知事に手紙を出すとは思わなかったそうです。
 夕張一筋、炭鉱マンの髪の毛をチョキチョキ切って75歳の仕掛け人、熱い涙が出たそうです。
 ツアーの車内で夕張再生を願う署名活動の紙が配られたのには驚きでした。
 実にいろいろなことを考えさせられ、教えてくれた雨の中の旅でした。(望田 武司=寄稿)


望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

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