メディア・レボリューション

マスコミ各紙各局のOBや、現役の解説者などからなるニュースブログです。TVや新聞には出てこない「新しい」情報を発信します。

北の国からのエッセイ

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夕張倒産 (上)

イメージ 7 夕張市が倒産しました。
 今後、会社の民事再生法に当たる財政再建団体の指定を申請し、国や道の厳しい監視の下で再建が図られることになります。
 石炭の町からメロンと観光・映画の町に華麗に転身したかのように見えていた夕張市でしたが、内情は厳しかったようです。
 何よりも驚いたのは積もり積もった借金がなんと632億円。前代未聞の巨額、総務省も口あんぐりです。
 この数字を見せつけられて、これまで何をしていたの、市は?市議会は?と多くの方が思ったことでしょう。
 夕張市の人口は6700世帯、1万3000人。1人当たりの借金は480万円、1世帯あたりでざっと1000万円です。
 会社経営ならいざ知らず、一般家庭でこれだけの借金をしていたら首は回らず夜逃げしたくなります。
 これから市営住宅・ゴミ・水道などの公共料金、各種施設の使用料の引き上げは避けられず、住民は夕張から逃げていくのではないかと懸念されます。
イメージ 1
 夕張市には 石炭の歴史村 という観光レジャー施設があります。(写真右)
 この中の各種レジャー施設が実は金食い虫で、倒産の主な病原菌でした。
 レジャー施設の閉鎖が取りざたされている中、このままですと、日本では貴重な石炭博物館までおかしくなるのではないかと危惧しました。
 一度は見ておきたかっただけに先日、石炭の歴史村を訪れました。


地底の職場
 札幌から高速で1時間半、雨の降る夕張市に入りますと、まず目に付くのは夕張メロンのビニールハウスに続いて立派なサッカー場、天然芝の野球場などのハコ物の多さです。
 市街地に入りますと一転してシャッターが閉められ、閉店した店がやたらと目立つ寂しい商店街です。
 石炭博物館では、採炭技術の変遷・厳しい状況の中での労働と生活・そして炭鉱事故・閉山など、日本の石炭産業が歩んだ歴史が写真や当時、使用していた道具などでわかるようになっています。
イメージ 2 圧巻はエレベーターで下降し、現実に使われていた坑内に入ったときです。
 空知の旧産炭地にはあちこちに資料館はありますが、坑内まで入れる施設があるのはここだけです。
 ヘッドライトをつけて中に入りました。
 坑内はとても狭く、絶えず危険にさらされながら顔を真っ黒にして働いていたヤマの男の職場がありました。
 1日8時間労働の3交代でした。
 坑口からエレベーター、人炭車などで掘削地点まで到着するのに片道1時間かかるほどの深部採掘です。
 往復2時間に食事休憩1時間ですので実働5時間です。
 坑内での食事は弁当の蓋を全部開けず、箸をつける部分だけを開けて食べている写真がありました。
 白いご飯が粉塵でふりかけのように黒くなるのを防ぐためだそうです。
 火気厳禁の職場です。
 フラッシュをたくことができないだけに貴重な写真だそうです。
 坑内から上がるとまずフロに入りますが、大浴槽の湯は黒く汚れていました。
 石炭産業にかかわった労働者の迫力がじかに伝わります。

 「夕張、食うばり、飲むばかり、ドンとくれば死ぬばかり」

 元炭鉱マンのガイドが炭鉱マンの生活と気持ちを自嘲気味に話して笑わせました。

石炭発見
イメージ 3 夕張の郊外に夕張川が流れています。
 川床がむき出しで薄い板が幾重にも重なって見える所がありました。
 岩盤は石炭層で砂層の部分が洗われて侵食され、見事な造形美となっています。(写真右)
 千畳敷 、通称「鬼の洗濯岩」と言われているそうです。
 実はこの地が北海道の石炭のスタート地点です。
 明治6年アイヌの先導で夕張川を上ったアメリカの地質学者 ライマン が、岩肌と黒い川の色を見て上流には石炭があることを確信しました。
 いまでこそ紅葉の名所で多くの観光客が訪れ、立派な橋ができて眺望は最高ですが、当時よくぞこの山奥まで入ったものだと思います。
イメージ 4 その数年後、近くに高さ24尺もある石炭の 大露頭 (現、天然記念物・写真左)がライマンの弟子の日本人技師によって発見され、石炭の採掘が始まりました。
 富国強兵・殖産興業の牽引役として、夕張から小樽・室蘭へと線路が敷かれ全国に石炭が運ばれました。
 日本で鉄道が敷かれたのは、新橋・大阪に次いで、札幌―手宮(現、小樽)が三番目(明治13年)で、その2年後、原生林を通って幌内炭鉱(夕張の隣の現、三笠市)までつなげました。
 明治新政府がいかに石炭を重視していたかわかります。

黒いダイヤ
 戦後になって石炭は日本の復興のエネルギー源として大量生産が求められました。
 手掘りから、簡単な工具・空気圧搾機・そして大型機による削り取りと、技術も進むにつれ石炭は深部にまで掘り進められました。
 全盛だった昭和35年には夕張だけで炭鉱が24もあり、市の人口は12万人にまで膨れ上がりました。
イメージ 5 石炭は 黒いダイヤ といわれ、もてはやされました。
 とくに夕張はエネルギーが高い 目無炭 (めなしたん)という筋目のない最良の石炭が採れました。(写真右)
 炭鉱マンが住む炭住、通称ハーモニカ長屋は段々畑のように山の上に向かってどんどん作られました。
 炭住では電気水道などはすべて無料で、夜は電気が消えることなく、見上げる夜景は函館山よりきれいだったと懐かしむ人もいます。
 映画が街の人の楽しみで、全盛期、夕張に10館以上の映画館があったということです。
 これが後の「映画で街づくり」のバックグラウンドとなります。
 しかし昭和40年代に入ると主要なエネルギーは石炭から石油に代わり、悲惨な炭鉱事故が閉山を早めました。
 平成2年、最後まで残っていた三菱南大夕張鉱が閉山し、夕張から炭鉱はすべて消えました。
 兜町でスミ産業ともてはやされていた炭鉱は次第に隅に追いやられ、北炭が倒産して完全に隅からも姿を消しました。
 石炭とともに発展してきた町だけに、閉山すると人口は激減、わずか半世紀で全盛期の十分の一にまで減ってしまいました。
 夕張は石炭とともに栄え、石炭とともに廃れました。ほぼ100年ダイナミックに生き、そして終わりました。

風化する石炭
 2年前、石炭の産地だった空知の炭鉱跡地を見て回ったことがありました。
 案内してくれた元小学校の校長が「いまの子供たちは石炭が燃える石だということを知らないんです」と言っていました。
 そして石炭に火をつけると目を輝かせて見入るということです。
 旧産炭地の子供たちの話です。
イメージ 6 年配者には懐かしいだるまストーブなどが博物館に並んでいました。
 石炭は急速に風化されています。
 旧産炭地の赤平に 住友赤平鉱 の立て坑が残っています。
 最新鋭のエレベーターを持っていた東洋一の立坑でしたが、閉山となっては何の役にも立ちません。
 比較的保存状態の良いこの立坑を産業遺産として残そうと関係者はがんばっています。
 けど大きな建物です。固定資産税だけでも大変です。
 おまけに絶えず地下からガスが沸いてくるしろもの、保守するのも大変です。
 近い将来、近代日本を支えたエネルギーの象徴として文化財に指定され、ゆくゆくは法隆寺五重塔より高い立坑は国宝に指定されることでしょう。
 文化庁の打診もすでにあると聞いています。
 それまで維持され、残すことができるのでしょうか。(望田 武司=寄稿)

※夕張倒産(下)に続く

望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

深まる秋に見る生命の営み


 山の紅葉が進んでいます。
 元原子力安全委員長が紅葉真っ盛りの大雪山系旭岳の4合目で遭難しました。
 死因は凍死でした。
 冬は忍び寄っています。
 里の札幌は、木の葉が色づく目安とされる最低気温が8度を割ることはまだ少なく、紅葉はこれからです。

馬の養老院
イメージ 1 4日、秋の深まりを求めて太平洋岸の苫小牧の隣の白老(しらおい)町を訪ねました。
 樽前山の裾野に広がる牧場ではサラブレッドがのんびり草を食んでいます。
 この牧場の入り口に 「功労馬の里」 という立て札が立っていました。
 日本では珍しいサラブレッドの養老院です。
 生命の営みの4コーナーを回った馬の安住の里といえるでしょうか。
 メジロボサツ、メジロヒリュウ、ディアマンテなどの数多くの名馬が、ここで余生を送りました。
 現役時代に名を馳せた名馬は種牡馬にならない限り、他の無名の馬とともに大半が桜肉かサラミの原料になっています。
 こういうところに余生を送れるサラブレッドはほんのわずか、とても幸せな馬たちです。
 足元の青々とした草を手にとって差し出すと、おいしそうに食べる馬の目が優しくきれいです。
 とても年寄りの目とはおもえません。
 馬齢36歳、人間でいえば100才を超すサラブレッドもいました。

色づく植物
 この牧場の牧柵をぐるりと回りますと、エゾリンドウユウゼンギク など秋の花が観察されます。
 林に入りますと、タラノキツタウルシ の葉が早くも赤く染まっています。
イメージ 2 鮮やかな マユミ の実が観察されました。(写真左)
 弾力があって折れにくく弓に適することから「丸木弓」と呼ばれ、転訛してマユミとなりました。
 春は余り目立たないマユミは秋になると赤い実が4つに割れて、ひときわ美しくみえ、鳥の来訪を待ちます。
 落葉樹は紅葉しては葉を落として冬に備え、実をつけては鳥に食べてもらって種を運んでもらい次の時代に備えます。
 春の芽出しから始まった植物は、開花・受精そして秋の果実、植物にとっても1年の最終章です。

秋の川面
イメージ 3 森に入りますと幅10mほどの川にでました。
 ウヨロ川 です。初めて聞く名前です。
 川淵に出てびっくり、サケが遡上しているではありませんか。
 一匹や二匹でありません。
 群れをなして遡上しています。
 テレビでしか見たことのない光景が目の前にあります。
 浅いところでは、ひれが川面からでています。
 
 歓声を上げながら川沿いに上流に向かうと、川幅2mほどの支流が合流しているところに来ました。
 サケは幅の広い左の川に行かず、細い右の支流に向かっています。(写真下)
イメージ 7 サケの押しくら饅頭が目の前で繰り広げられていました。
 なぜ川幅の広いほうに行かないのだろう?
 案内人に聞きました。
 すると支流の上流にサケマス孵化場があるためだそうです。

 稚魚のときに旅立ったサケが北太平洋を回遊し、3〜4年たって産卵のために放流された川に戻ってきました。
 なぜ自分の生まれた川がわかるのだろう。
 しかもこんなちっぽけな川に。

「川の入り口に匂いの印があるんじゃないの」
「サケは人間より頭がいいな」
 頭の悪い人間が勝手なことを言っています。
 真相はサケに聞いてみなければわからない生命の神秘だそうです。

必死のジャンプ
イメージ 4 サケの遡上通路に堰(写真右)がありました。
 サケは必死になって跳ねて堰を飛び越えようとします。
 何度も何度も繰り返しています。
 そのたびにしぶきが上がります。
 思わず「がんばれ」「がんばれ」という声が一斉に上がります。
 けど駄目です。サケは相当傷ついています。
 どうするのだろう。ここで死んじゃうのかな。
 案内人曰く、水量が少ないため上れないそうです。
 一雨降れば大丈夫ですよ、というご宣託。
 なんとなくほっとしました。

 サケは産卵のため海から川に上る直前が一番脂が乗っておいしいのだそうです。
 秋サケ といわれています。
 それがひと度、川を遡上し始めると、子孫を残すことに必死になりほとんど何も食べないそうです。
 遡上するサケは傷つき、みるみる脂が落ちてきます。
 この時期のサケは ホッチャレ といわれています。
 干して酒のつまみになっています。

愛の序曲
 じっと観察していると、押しくら饅頭をしているサケをよそに、川幅の広いところに向かっているサケもいます。
 自然産卵したサケたちだそうです。
 これらのサケを追って川沿いを更に上流に進みました。
 いつの間にか河原となり、川幅はあっても深さは10〜20cmしかないところにでました。
 どうやらこの辺りが産卵場所のようです。
 
イメージ 5 相棒をみつけたサケのツガイは尾ひれで川底の石を除けて窪みを作ります。
 その窪みをツガイはくるくる回り、オスはメスのお腹に鼻をつけて産卵を促します。(写真左上)
 愛の序曲の始まりです。
 けどメスはなかなか産卵しません。
「おいらはもう我慢ならないんだ」
 突然、オスはメスをかみ始めました。(写真左下)
「いや〜ん やめて 私はまだその気になってないの」
 メスはしぶきを飛ばして身をよじります。
 別に官能小説を書いているわけではありません。
 眼前に繰り広げられる光景は神々しいばかりです。
 固唾を呑んで見守りました。

 川岸のあちこちに白い腹を川面にだしたサケがみられます。
 子孫を残すという尊い仕事を終えたサケが昇天した姿です。
 産卵場所は同時にサケにとって墓場でもありました。


「人間も一回終わったら死んじゃえばいいのに。変な犯罪が起きないわ。」
「そんなことになったらますます少子化になるわよ」 
 後ろから面白い会話が聞こえてきました。

イオルの旅
イメージ 6 秋を満喫しながら焚き木を囲んで弁当を広げました。
 葉が風で擦れる音に行く秋を感じます。
 さらさらと葉が風に舞って落ちています。
 川もあり、森もある。
 子供たちがこの地にキャンプに来ると1泊2日ではもの足りず、3泊くらいしたいとアピールするそうです。
 今の日本人の日常生活にないものがあるからでしょう。

 北海道の先住民族アイヌは狩猟民族です。
 森や川からは食物だけでなく衣服の材料、医薬品、狩猟の道具を作りました。
 そして コタン(部落) を中心にして森や川など生活の場であった地域を イオル と呼んでいました。
 アイヌ文化が風化されようとしている中、こうしたアイヌ文化、生活様式を見直そうという動きがでています。

 この日はこうしたアイヌの伝統的生活空間、イオルを訪ねる旅でした。
 自然はすべて神の贈り物だとして敬いながら自然の恵みを享受していたアイヌの生活は、現代人が苦しんでいる生活習慣病とは無縁だなと思いました。(望田 武司=寄稿)

望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

母なる川 石狩川の秋

イメージ 8

 秋分の日の23日、北海道の屋根大雪山系旭岳に初雪が降りました。
 雪は紅葉のあとを追うように山から里に下りてきます。
 その里は今が秋の真っ盛り、晴れた日は天がとても高く感じるときです。




神居古潭

 先日、旭川郊外の神居古潭(かむいこたん)を訪れました。
イメージ 1 大雪山に端を発する石狩川は、札幌の隣の石狩市で日本海に注がれる日本で3番目の長大河川ですが、途中の神居古潭で急に川幅が狭くなって、奇岩怪石の渓谷となります。
 その激流と、吸い込まれるような水の青さから、アイヌの人はカムイコタン、魔神が住んでいるところとして恐れ敬いました。
 そして数々の伝説を生む一方、格好の小説の舞台にもなりました。
 明治後半、徳富蘆花が神居古潭の鉱泉宿に泊ったときの模様が、その著「熊の足跡」に面白く描かれています。

(カッコ内は筆者注)

  汽車は隧道(トンネル)を出て、川を見下ろす高い崖上の停車場にとまった。 神居古潭である。
  急に思い立って手荷物諸共あわてて汽車を降りた。
  (余りにも急なため)茶店で人を雇うて、鶴子(同行した娘)と手荷物を負わせ、(対岸へいくため)急勾配の崖を下りた。
  暗緑色の石狩川が汪々(おうおう)と流れて居る。
  両岸から鐵線(はりがね)で吊ったあぶなげな假橋が川を跨げて居る。
  橋の口に立札がある。 文言を讀めば曰く、五人以上同時に渡る可からず。
  恐づ恐づ橋板を踏むと、足の底がふわりとして、一足毎に橋は左右に前後に上下に搖れる。(中略)
  下の流れを見ぬ樣にして一息に渡つた。 橋の長さ二十四間。
  渡り終つて一息ついて居ると炭俵を負うた若い女が山から下りて來た。
  佇む余等に横目をくれて、飛ぶが如く彼吊橋を渡つて往つた。

 手荷物と娘をすべて人に託し、一人緊張してつり橋を渡る徳富蘆花のかたわらを、重い炭俵を負った若い女が身軽に渡っていく様が目に浮かぶようです。
 つり橋は今でも同じ所にありますが、立派なつり橋・神居大橋となっていました。
 けど中央に行くと少し揺れます。

イメージ 2 よく見ると「一度に百人以上渡らないでください」と書いてありました。
 そのつり橋から眺める石狩川の流れにびっくりです。
 ゆったりと流れているではありませんか。
 とても激流、急流ではありません。

 川の色は水深が深いせいか、昔ながらの青緑です。
 40数年前、東京の学生だった私は当地を訪れたことがあります。
 そのときの激流をよく覚えています。
 川も人間と同じく年をとると穏やかになるのでしょうか?
 茶店でトウキビを買い求め、食べながら店の人に聞きました。
 今年は雨が少なかったために水量が少ないとのことでした。
 また流れ放題の昔の川と違ってダムや堰などができたため調整され、昔のような激流はあまり見られなくなったということでした。
 ここで食べたトウキビが実に素朴でおいしいです。
 札幌大通公園で食べる甘ったるさがありません。
 おまけに1本150円、大通公園では300円です。やはり田舎はいいなあ。
 茶店の年老いた女性は、沸騰した大鍋にしわがれた手で無造作に剥いたトウキビを入れ、柄杓で塩を一杯いれてふたを閉めていました。


連続テレビ小説 旅路

イメージ 3 徳富蘆花が下りた神居古潭の駅にはもう列車は通っていません。
 複線化のために別なところに長いトンネルができ駅は廃屋となりました。
 ただ、旧神居古潭駅は明治期の駅舎の雰囲気がよく出ているとして、文化財に指定され保存されていました。
 旧構内には活躍した機関車D51が3両展示され、徳富蘆花が「隧道をでたら駅だった」というトンネルは、危険なため出入りが禁止されていました。



 この神居古潭を一気に全国区に仕立てたのが連続テレビ小説「旅路」です。
 神居古潭を舞台に風雪に耐え、希望に生きた鉄道職員一家の人生を描いた連ドラは、高い視聴率でお茶の間に入りこみました。

イメージ 4 人生は旅路、夫婦は鉄路  と刻まれた平岩弓枝の碑が一角に立っていました。

 しかし碑の一部ははがれ落ち、碑文は泥で汚れていました。
 草ぼうぼうの中の碑は野垂れ死に寸前でした。
 こういう碑はあまり見たことはありません。
 どこが管理しているのだろう。
 風雪に耐えても希望のない碑のように思えました。
 この碑をみたら平岩弓枝さんもさぞ嘆くことでしょう。

 人生は旅路、夫婦は鉄路、記念碑は末路でした。


母なる川

 神居古潭をちょっと下りますと深川という町に出ます。
 道の駅の名前が「ライスランド」いうほど、米作を中心とした農業中心の中核都市です。
 当時札幌から石狩川に沿って進められた開拓は次第に奥地に進みました。
 原生林が徐々に切り開かれました。
 その尖兵となったのが屯田兵です。

イメージ 5 明治時代当地を訪れた北原白秋は屯田兵の労苦を思い
 
   一已(いっちゃん)の 屯田兵の村ならし
   ややに夕づく この瞰望(みおろし)を

 と詠みました。

 (一已は旧一已村のことで、その後深川市と合併。超難読地名のひとつです。)




イメージ 6 その歌碑が高台の公園に建てられていました。
 公園の眼下には黄金色の水田と、蛇のように大きくくねる石狩川がありました。
 大地を這うようにして流れています。
 石狩川がまさに北海道の母なる川を実感するところです。







蝦夷500万石?

 北海道米、道産米はこれまでは冷めると味が落ちるとして、まずい米の代名詞でした。
 ところが最近は「ほしのゆめ」「ななつぼし」などの主力銘柄は、新潟魚沼産の「こしひかり」に次ぐ高い評価を得るにまで至り、人気急上昇です。
 この結果、北海道は新潟県を越して日本一のお米の生産地になりました。

 江戸時代、大名の格付けは米の生産量が基準になっていました。
 加賀100万石というのは100万石の米が取れる土地を領有しているということを意味しました。
 ところが北海道はお米がとれませんでしたので、松前藩は1石ももらえませんでした。
 徳川幕府は米に代わってアイヌと交易する交易権を松前藩に与え、松前藩は交易による利ざやで、藩を維持していました。
 その北海道がいまや日本一のお米の生産地です。
 蝦夷500万石?の大大名誕生というところでしょうか。
 明治6年、札幌に近い島牧駅逓所(重要文化財)で中山久蔵が初めて北海道にもみをまいて以来、わずか130年でここまで成長しました。

 それだけではありません。
 北海道の米作が中国東北部の黒龍江省で普及して中国の農業を大きく支えています。

イメージ 7 寒地稲作 この地に始まる。

 戦後2代目の知事で権勢を振るった町村金吾(前外相信孝の父)直筆の碑が、中山久蔵の肖像とともに駅逓所に建てられています。
 たゆまぬ品種改良、土壌改良の結晶といえる石狩平野の黄金色を、中山久蔵が生きていたらどう思うでしょうか。

 文学碑を訪ねながら歴史に触れ、石狩川沿いの深まる秋を堪能しました。(望田 武司=寄稿)


望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

倒木ポプラが奏でる音色

 九州に被害をもたらした台風13号が北海道に再上陸し、あっという間にオホーツク海に抜けていきました。
 実りの秋を目前としたこの時期、台風が接近しますと、農業立国・北海道には大きな痛手です。
 農家の人は収穫まで数日早いのを承知で、大型コンバインをフル稼働したり、実った果物の収穫などで大忙しです。
 “でき秋”を願って1年間働いてきた農家の人を思うと、お天気次第が宿命とはいえ、なんとか台風のコースが少しでも遠くに外れてほしいという気持ちになります。
ポプラ並木倒れる
イメージ 1 2年前の9月、台風18号が北海道を襲いました。ちょうど50年前の洞爺丸台風以来の猛烈台風といわれました。
 特に札幌市内では最大瞬間風速50.8mを記録し、洞爺丸台風以上の被害がでました。
 市内の1万本以上の公園の樹や街路樹が倒れました。
 北大の観光名所、ポプラ並木も40%ほどが倒れました。
 写真は台風直後の櫛が抜けたようなポプラ並木です。

 北大といってまず思い浮かべるものは?と観光客に尋ねますと、クラーク博士とポプラ並木だそうです。
 知名度の高かったポプラ並木倒木のニュースは、あっという間に全国に広がりました。
 再生を願う全国の人から、驚くほどの浄財が集まりました。


戻ってきた倒木ポプラ
イメージ 2 あれから2年、倒れたポプラの木は鍵盤楽器、チェンバロ として北大に里帰りしました。
 今月、北大構内のクラーク会館で初めて演奏会が開かれました。
 チェンバロの繊細な音色が会場を流れました。
 演奏者はクラーク博士の薫陶を直接うけた、札幌農学校一期生の子孫にあたるチェンバロ奏者、水永牧子さん、北大寮歌「都ぞ弥生」などが演奏されました。
 大勢の観客はポプラの木魂にじっと耳を傾けました。




チェンバロとポプラ
 チェンバロは16世紀から18世紀、ヨーロッパでは主にポプラから作られていたということです。
 それにヒントを得て、倒れたポプラの木は埼玉県に住むチェンバロ製作者のもとに預けられました。
 無残に倒れたポプラは1年以上の乾燥を経たうえ設計され、2年かけてチェンバロに生まれ変わりました。
 チェンバロには北大のキャンパスカラーになっている緑の縁取りが施されました。
 また脚の部分には同じく台風で倒れた北大のハルニレの樹が使われました。
 ハルニレは別名エルム、「エルムの杜」と呼ばれる北海道大学のシンボルでもあります。
 実に役者が整ったチェンバロです。
 そのチェンバロは、いま北大総合博物館の一角にひっそり安置されています。
倒木ポプラの後始末
 当時倒れたポプラの樹は相当数に上りました。
 観光名所のポプラの倒木をそのまま燃やしたり、チップにするにはもったいないということで、輪切りにされて記念に市民に贈られることになりました。(写真左下、平成16年10月)
 希望者が殺到し、当選者は抽選で決められました。
 実はたまたま私も抽選に当たりました。
 喜び勇んで受け取りに行きました。

 その記念のポプラは、残念ながら我が家では市民権を得ることはできません。
 家の中に入れてもらえず、ベランダの片隅で鉢台になっています。(写真右下)

     イメージ 3

再生ポプラ並木
 観光ボランティアをしている私ですが、先日、北大構内を見物したいという富山の中年のご婦人を案内しました。
 一緒にポプラ並木を見に行きました。
 倒れた直後、新たに植えられたポプラの若木は順調に育っていました。

イメージ 4 けれど倒れなかった写真左側の大木と比べますとまだまだ幼木です。
 ポプラは比較的成長が早い樹ですが、ポプラ並木として育つまでにはあと数十年は必要です。
 残念ながら最長寿記録を更新しない限り、再び見ることはできないでしょう。
 明治時代に農場の境界線に植えられたポプラが、いつの間にか「ポプラ並木」として観光名所になりました。
 空に向かってまっすぐ伸びるほうき形のポプラの樹形は独特のものがあり、牧歌的な雰囲気をかもし出しています。
 その花言葉は「勇気」、ポプラは開拓の大地にぴったり似合う樹木です。

 Boys Be Ambitious!
 
 クラーク博士の精神が北大に引き継がれている限り、ポプラ並木はいつまでも残ることでしょう。
                                            (望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。

 神と仙人が住みたまうところ 

 9月も半ばとなりますと北海道では早くも紅葉の便りが聞かれます。
 日本一早く紅葉が見られる大雪山系の最高峰、旭岳の5合目まではもうすっかり色づいているそうです。
 けど今年は夏が暑かったせいか、北海道は全般的に紅葉はやや遅れ気味のようです。
 蝦夷富士 
 さわやかな秋空の広がった中旬、紅葉にはまだ早い初秋のニセコにでかけてきました。
 札幌を出て車で1時間余、石狩と後志の境目となる中山峠につきました。
 いつもは姿を見せない 羊蹄山 (1893m)が珍しくくっきり見えました。

イメージ 1 「あの山は何というねん」
 関西訛りの観光客が峠の茶屋で買ったソフトクリームを食べながら尋ねてきました。
 「羊蹄山といいます。あんた方は幸せですな。私はことし10回ほどきてるけど、きょう初めて見ることができました」
 「へえっ 俺らはついてるなあ」
 溶けるソフトクリームの雫を落としながら観光団は、羊蹄山をバックに盛んにシャッターを押していました。



 あずま路の 富士の姿に 似たるかな 雲にそびゆる 羊蹄の山
 明治の中ごろ三条実美が訪れたとき詠んだ歌です。
 おそらく、この日のように良い天気だったのでしょう。
 以降羊蹄山は、 蝦夷富士 とも呼ばれています。
 男爵いも 
イメージ 2 車はニセコに向かって走りますと羊蹄山がますます近くなります。

 羊蹄山麓はジャガイモ、アスパラ、豆類の産地です。
 ちょうど今週からジャガイモの収穫が始まり、早くも黒い土になったところもあります。
 黒い土は無事収穫ができた証拠であり、実りの秋を実感してなんとなく心豊かになります。
 このあたりは日本一の 男爵いも の産地です。
 ホクホクした栗のような男爵にバターをつけて食べるおいしさは格別です。
 明治時代にアメリカから導入した 川田龍吉男爵 の名前は永久に残ることでしょう。

 ニセコは標高700m前後の高原で豪雪地帯でもあります。
 その雪質はパウダースノーといわれる水気のない粉雪です。
 火山群 ニセコアンヌプリ峰 を中心としたスキーのメッカで、雪がないこの時期、山の斜辺には幾筋ものリフト痕が見られます。

 最近はオーストラリアの観光客がどっと押しかけて、ペンションやコンドミニアムの建設ラッシュとなり、多くの地方が地価下落の中で右肩上がりの傾向を見せている唯一の地域です。
 神と仙人の地 
イメージ 3 このニセコの奥まった所にひっそりとたたずむ湿原があります。
 今回の自然観察の目的地 神仙沼湿原 です。(写真右)

 神仙沼が発見されたのは比較的新しく昭和3年のことです。
 それまでは神仙沼周辺は、冬は豪雪、夏はガスで覆われ、開拓民も入れない不毛の地だったということです。

 日本ボーイスカウトの生みの親である 下田豊松氏 がこの地を踏査中にみつけました。
 青色の静かな湖面には アカエゾマツ が逆さに映り、水辺には名も知らない水草が繁っていてまさに別世界にきたような景観だったということです。

イメージ 4 その余りにも神秘的な雰囲気に呑まれ、 皆の神、仙人の住みたまうところ と伝えたことから 神仙沼 と名付けられました。

 当時の景観はいまでもそっくりそのまま残っています。
 条件の悪いところでも育つアカエゾマツはここでは盆栽のようで、沼の主役です。
 名もない水草とは水生植物 ミツガシワ だったのでしょうか。
 今でもびっしり水面に顔を出していました。(写真左)


イメージ 5 神仙沼周辺の景観の特色として、曲がりくねった ダケカンバ があります。(写真右)
 シラカンバよりも高地に生えます。
 豪雪に耐えながら育ったダケカンバには、まっすぐな樹はひとつもありません。
 アバレカンバ、オドリカンバといわれるくらい曲がりくねっています。
 植物の垂直分布は通常針葉樹を中心とした混合林の上はハイマツなどの高山植物になりますが、ここではその間にカンバ帯が存在します。
 北東アジア特有の植生だということで、欧米の学者がこの地を訪れるととても関心を示すそうです。
 当たり前のように見ている景観がそういう位置づけのある景観なのかと、納得しながらの湿原散策です。

 紅葉を間近にしたこの時期湿原はセピア色が優勢ですが、それでも ウメバチソウ (写真下左)や ホロムイリンドウ (写真下右)などの可憐な花が観察されました。
 環境が厳しければ厳しいほど花はきれいに見えます。
イメージ 6イメージ 7

 オオカメノキ の実が真っ赤です。(写真下左)
 オオカメノキは冬芽、芽出し、花、葉いづれも愛嬌のある木です。親しみをこめてオオカメちゃんと呼んでます。
 受精を終えてハチをおびき寄せる役割を終わった エゾアジサイ の飾り花が下を向いていました。(写真下右)
 当地を訪れたのは3回目ですが、いつの時期でもアピールするものがある静かな中高層湿原です。
イメージ 8イメージ 9
 悠久の自然 
 神仙沼湿原はとてもよく保護されています。
 数十年前は登山者と専門家しか入れない地域でした。
 しかし現在は広い木道が敷かれています。
 道路から森に1キロ入ったところにあり、神と仙人しか住んでいなかったところはハイヒールでも散策できるほどになりました。

イメージ 10 一緒に行ったご婦人が同行した元北大植物園長に言いました。
 「先生、来年は6月に来ましょう」
 白い勲章のようなミツガシワの花の群生がお目当てです。
 私もミツガシワを根室で初めて観察したとき、その美しさに驚きました。
 すると案内してくれた地元の学芸員曰く
 「6月はまだ(神仙沼には)雪があります」
 1年の半分以上が雪に覆われた地だからこそ、悠久の自然を感じる湿原が残ったのでしょうか。

 次第に秋の深まりが迫る神仙沼です。
 あと半月もすると見事な紅葉に包まれることでしょう。(望田 武司=寄稿)



望田 武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
 

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