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3月末から放射性物質のリスクに関する記事を気力で3本書いたのですが、新学期が忙しすぎてブログ更新が滞っていました。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65541542.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65541955.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65546071.html 続編ではここ1年の自分の行動を反省をしつつ、皆さんのご意見を戴きたいと思います。 先に結論を書いてしまうと「思想や感情を排した科学こそが人々に優しい」ことを私は40代後半でやっと学びました。 その確信を持つまでの心の動きを記事に残すことで、次は(次が無い方が良いですが)もう少し賢く行動したいと考えています。 山下先生や中川先生は私の何十倍も考えている放射線生物学に関する最低限の知識があり、科学実験や疫学調査の限界を実感している自分がリスクをどのように評価したのか・・という思考の過程を記事にしたのは、山下先生や中川先生の判断の根拠が一般の方に良く理解されていないと感じたからです。生物学実験は物理や化学に比べるとごまかしやすい部分があり(放射線量は絶対値で表されるが、放射線が生物に及ぼす影響は雑な実験やデータ処理で数値を意図的に操作出来る)、リスク評価は多面的な検討が必要です。 私は(A)疫学調査(B)動物実験(C)物質〜組織レベルまでの解析(D)論理的な推察(E)研究者側の事情、他の研究者の動向・・という5つの指標を示しましたが、(E)以外はほぼ全ての”まともな”研究者なら考慮している点です。 山下先生や中川先生は私の何十倍もの情報と、調査や治療に関わった経験を基準に判断をしているのであり、私は彼らの主張には論理的な整合性も感じています。私はお二人とは違って本業があるので、ブログを放置する時もあるし、質問や批判に丁寧に答えない時もあります。 でも本業になったとしても、お二人のように粘り強い取り組みは出来ないと思います。 「福島のお母さんたち、山下俊一さんに迫る」 http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/zadankai/yamashita/ (エセ文化人ぶりに私が呆れた通販生活主催の座談会に出る山下先生の使命感に涙が出ます) リスクがどのレベルにあるのかタバコや野菜不足やダイオキシンも同様で、明確な健康被害が出る量は研究者が合意しやすいのですが、健康被害が微妙に見える量や次世代に影響が出る量は人体実験が出来ない以上、議論が永遠に続く部分です。ただ、タバコを年間1000本吸う人が肺ガンリスクが有為に高まる場合に、タバコを試しに1本吸ったことを生涯悩む人は希であるように、心配しているリスクがどの範囲にあるのか・・という知識は必要です。 空間放射線に限って言えば、動物実験や細胞・組織での解析を基準にするなら年 100-1000 mSv でも心配は無いです(ただし急性照射ではなく 365 日に分割した場合で、急性照射なら医療検査のような 10 mSv くらいが安全圏という考え方が主流です)。 疫学的には自然放射線(主に地質による)が年 10 mSv くらいの先進国もあるので、ここまでが余裕を持った安全圏と私は考えています。 児玉先生が騒いだ内部被爆は、線種と線量と代謝経路と化学物質の特性を考慮する問題になりますが、私は先の記事に書いた根拠から「福島でさえ避難勧奨地域以外は危険とは考えにくい」と判断して生活を変えず、福島産の農産物を積極的に家族に食べさせています。 関東のセシウム量に至っては「味噌汁の味付けが濃くなった程度」という感覚ですが、「私を高血圧にする気?!」とキレるお姑さんはいるし、食事の塩分を測定しながら生活する人もいるので、測定したい人はお好きに・・とは思います。 ただ、上記の根拠から、私は自分の居住地(関東)の放射線量にあまり興味がありません。 事故直後から、自治体に土壌や食品の放射線量を測定する装置の購入を求める人に、そのお金で福島できめ細かい測定が出来るように機器を貸し出せばいいのに・・考えていました。 理解出来ないものを賞賛する人々3〜5月の放射能パニックは、マスコミも一般市民も「分からないけれど怖い」という雰囲気で、それに対して医学系・生物系の研究者が「現時点では影響は考えにくい」とコメントすることが多かったと記憶しています。しかし8月の児玉先生の登場で、世の中は「わからない」から「危険に決まっている」に大きく動いたと私は感じています。 最初の国会の半泣き演説の時から、私には彼が胡散臭い人に見えました。 「政府は何をやっているんですか!」と叫んだ後の「してやったり」という表情に、福島の人を助けたいという使命感ではなく、英雄願望のいやらしさを感じたのです。 しかし児玉先生が私の知らない最新の情報を持っていて、それがリスクだと考えているのかも知れない・・と思う気持ちもありました。 大学のアイソトープセンター長が実は放射線生物学の素人・・という例はいくつか知っていたのですが、まさか東大は違うだろうし、東大の名誉をしょって話す人がいい加減なことを言う訳がない、言って欲しくない・・という気持ちもありました。私が態度を保留している横で、結構な数の知人(研究者も・・ただし非生物系が中心)が児玉先生をブログやフェイスブックで賞賛し始めたので、私は「微量のセシウムのリスクが分かっていないのは自分だけ?」と悩みました。 しかし彼らに聞いてみたところ、児玉先生の主張を科学的に理解している訳ではなく、ただ政府を批判した点に盛り上がっていました。 そして「東大だから」「涙目だから」「研究費が潤沢なので政府のご機嫌を伺う必要がない」といった本論とは関係の無い部分で彼を信用していました。 小佐古先生や小出先生を同じ論理で支持する人もいて「科学的に理解出来ないものを賞賛してはいけない」と意見したことがあるのですが、あの時より大きい「正義の科学者ブーム」が起きていると感じました。 そして中川先生や山下先生を「御用」と攻撃する動きに危機感を持って8月に「正義の科学者という幻想」という記事を書きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65012715.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65015598.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65019985.html この時点で小出先生は中2病、小佐古先生は保身オヤジという確信はあったのですが、児玉先生については論文などを読んで判断するつもりでした。 しかしその後、私は児玉先生の扱いに悩み、精神的に消耗することとなりました。 100%安全だと証明できないなら危険だ?生物学的なリスクについて(A)疫学調査(B)動物実験(C)物質〜組織レベルまでの解析を総合的に考察せず、はずれ値だけを取り上げれば全ての物質を危険と主張することが出来ます。私には児玉先生の主張は科学的に未完成過ぎる、この危惧は生物系の研究者なら分かるはず・・と思って「正義の科学者という幻想」を書いたのですが、まさかの同業者から「安全厨」という批判を受けました。 当時(9月〜11月)の記録は「デジャブで不毛な議論」に残しています。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65132467.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65132565.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65132609.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65568130.html 相手の意見は「今回の濃度のセシウムのヒトへの長期的影響について科学的評価の根拠となるデータはありません」だったので、「動物実験や疫学調査があるので、それらのデータをたたき台に議論したい」と申し入れましたが、「統計学では有意差があることは証明できるが、有意な差がないことは証明できないので”危険性は無い”ことは証明できない」という主張で噛み合いませんでした。 相手が問題とする有為差について極端な例で説明すると「線香の煙で癌になる」というガセ論文に対して、動物実験で「飼育室で線香を焚いた区と焚いていない区で発ガン率に有為差は見られなかった」という結果が出ても「統計学では”ガンの原因にはなりにくい”という証明にならない」という主張のようです。 しかし現実的にはそのようなデータがあるなら「葬儀場の隣から引っ越す必要は無い」という判断をするのが合理的だと私は考えています。 その人の最後のコメント「福島の空間線量は放射線管理区域と同じ 2.2mSv/年だから危険」は自然放射線がより高い国があることと矛盾していますが、一つでもリスクにつながる情報があるならそれが他の情報と論理的に合致しなくても危険と捉える・・という考え方なのかも知れません。化学物質も放射性物質も様々な情報に基づいて「危険な濃度」が求められ、規制値はその 1/100 以下に設定されることが多いのですが、防御可能なら規制値よりさらに低い濃度を維持する方が安心だとは思います。 平常時の年間被爆量 1 mSv はそれが遵守可能であるために設定されている値です。 「緊急時は 20 mSv」は私も初めは政府の都合?と心配したのですが(紫外線 20 倍なら健康被害が出ますから)、放射線生物学を復習して短期なら許容出来る量だと理解しました。 ただ、その人に「自分は安全な場所にいて、放射線にピリピリしている地域に安全だと外から言っている」とぶつけられた言葉は、私がリスクに対する判断を述べることを躊躇する一因となりました。 リスクについて明言することを悩む私は2009年の新型(豚)インフルエンザは発生から2ヶ月で「従来の株と同程度の致死率では?」と主張したのですが、放射性物質については11月頃まで「児玉先生の主張は一つの学説に過ぎない」「より専門性の高い中川先生や山下先生を参考にして欲しい」という程度の意見しか出せませんでした。これは当事者かどうかという問題が背景にあります。 新型(豚)インフルエンザは全国的な流行で自分も同じリスクを抱えていたので、自分や家族が感染しても従来株と同程度の症状で済む、重症化は従来株でも起きると強く主張出来ました。 しかし放射性物質のリスクは福島原発を中心とする濃度勾配があります。 私は福島には家族連れで住めると判断したのですが、実際は住人ではないので、どう表現したら失礼が無いのか悩みました。 そこに「安全な場所にいて」という言葉が響いたのです。しかし今の私は児玉先生に対する判断を保留したことを、深く反省しています。 私の発言には社会的な影響力はほとんどありませんが、科学者としても社会人としても考えが足りませんでした。 (長くなったので、記事を分けます・・また一週間ほど更新出来ない可能性があります)
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