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年末から鬱病の治療のためにカウンセリングを受け始めているのですが、今まで意識していなかった事について考えたり、動かした事の無かった感情に触れたりするので、生き方の再構築をしているのかも知れないと考えています。

やり方を変えるしかない

私はそもそも自分が鬱病だとは思っていませんでした。
2006年に初めて心療内科を受診し医師が鬱病の可能性を指摘した時に「鬱病は悲しい事も無いのに気持ちが沈んだままなのであって、自分は職場で辛い立場にあって辛いと思っているだけ」と反論して、「じゃあ躁鬱病」と怒られてから特に相性の良い医師も見つからず、苦しくなったら睡眠薬をもらいに行く・・という形で頑張ってきました。
https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/44138645.html
(心療内科2回目で躁病と言われる)

しかし2013年に学生対応で胃潰瘍になるほど苦しんで心療内科に行った時に、話しやすい医師に担当が代わっていて、色々な相談ができるようになっていました。
2014年から職場でかなり辛い事が続いて2015年に希死念慮が出た時に抗鬱剤を処方されて理性を取り戻し、医師の話が理解できる状態になったところで「躁鬱病は誤診」「長期間の微笑み鬱でかなり危険な状況」と言われなかったら「気付いたら死んでいた」という事態になっていたかも知れません。
しかし意欲や集中力の低下は続いたままで、2017年からは薬の種類と量を増やして平常心を保っています。不眠も続いていて睡眠薬が止められず、2〜3月も入試業務で同僚と顔を合わせる機会が増えたら緊張感から激しい腰痛になり、今も長時間座ることができません。

新年の挨拶に「命を削ってでも研究ができる環境は守りたいし、研究のために治療を受け、出来る限りの努力をするつもりです」とは書きましたが、命が削れる方が先だったか・・と愕然としたのが2017年の手術でした。
心療内科の医師に「これまでの体調不良も鬱が身体的に出ていた可能性が高い」「下痢などの炎症が続くと癌が出やすくなるなど、本当の病気が発生する事もあるので、じっくり治療をしましょう」と言われていたので、間に合わず癌になったのか・・と絶望しかかった事で、鬱病カミングアウトやカウンセリングに踏み切れる事が出来ました。
https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65724533.html
(半病人の記録)

自分のネガティブな心と付き合う

カウンセリングはリラックスするための呼吸法の練習、鬱病に関するグループ学習、個人面談などいくつかの活動から構成されています。
詳細はもう少し元気が出てきたらブログ記事で紹介しようと考えていますが、全体には「ネガティブな心との付き合い方」が主要なテーマのようです(勉強途中なので十分に理解していません)。
特に私の場合は自分の苦しみ・悲しみを認め自分を労る事が課題だとカウンセラーに言われていて、最初は意味が良く分からなかったのですが、何回目かのカウンセリングで呼吸困難になるほど号泣して自分の恐怖心や絶望感の強さを自覚しました。その晩は良く眠れた事にも驚き、ネガティブな気持ちを何らかの形で処理する必要があると考えるようになりました。

医師に「自分の気持ちが自分で分からない事などあるのでしょうか」と聞いたら、「無意識にいつもの道を歩いて帰れるという事は、脳には無意識の領域がたくさんあるのですよ」と言われて脳科学的には面白いと思いました。
今まで色々な職場を経験していて、友達も結構多い方なので、自分なりに考えて生きてきたつもりだったのですが、たまには専門家の力を借りるのも良いかも知れません。

他人のネガティブな心と付き合う

私が自分の気持ちをどう扱うべきなのかはまだはっきりしていないのですが、カウンセリングの過程で「自分の心に無頓着なために他人にも鈍感になっているのかも知れない」と思い至るようにはなりました。
私は学生からの相談を受ける事も多いのですが、その時に「どうしたら問題が解決するのか」という意識で対応してきました。
自分も職場で嫌がらせを受けても「泣いても救われない、それより出来る事を考えよう」と割り切るように努力してきたからです。

でもカウンセラーに「本当は泣きたくなるくらい、同僚と良い関係を作りたかったのですよね」と言われた時に涙がこぼれるとともに少し温かい気持ちになって、自分は学生にそのような言葉はかけていなかったな・・と反省しました。
大学における私の職務はカウンセリングではないので、この先も解決策だけを考えるべきかも知れません。しかし自分が学生の心に寄り添っていないという自覚だけは必要だと今は考えています。
私が硬直した生き方を続けると、3人娘も自分を許せない人になってしまうかも知れない・・という懸念もあるので、しばらくカウンセリングは受け続けようと考えています。

生き方はいつからでも作り直せる

私が会社員を辞めて大学院に進学した20代の頃「男でも学位を取るにはもう遅い、女だからのたれ死ぬ」と会社の男性達にからかわれて「自分の人生はいつからも作り直せるしいつまでも作り続けられる」と反論しましたが、それを娘達に伝えるためにも私は前に進み続ける必要があります。
いや、立ち止まったり休んだりするような生き方の再構築が必要なんですよね。
でも、やっぱり前に進んでいるような気もします。

追記:この記事は2ヶ月ほど寝かせて見苦しい部分を削って「再構築」しました。腰痛は4月にやっとおさまってきて、5月は普通に仕事ができるようになっています。

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10月〜12月の挨拶もできないまま2018年になり、心配をしている人も多いかな・・と思ってこの記事を書いています。

年末年始もほとんど出勤で、1月最初の週末も研究会で発表したので、年賀状は仕事関係だけやっと出したところです。
服薬とカウンセリングの相乗効果でとりあえず仕事は出来るていますが、人前では明るく振る舞う微笑み鬱なので、他人からは大体同じに見えるかも知れません。

鬱病カミングアウト

ただ、今年の年賀状では 2015 年から鬱病の治療を受けている事を初めて書きました。
希死念慮で病院に行く前から人と交わる気力が減少していて、仕事関係も昔ほど積極的に話が出来ないし、プライベートでも交流が切れている人が多いので、伝えないと失礼になるからです。
昔はすぐ元に戻ると思っていたのですが、心療内科の主治医や12月からお世話になっているカウンセラーから「鬱状態が着任直後から始まっているので治療に時間がかかる」と説明を受けて覚悟を決めました。

微笑み鬱の病理を解明中

自分が家庭生活を普通に送り、会議や学生指導を普通にこなし、家族や学生に対する愛着も持ちながら、数年前から人と過ごす時間が苦痛だった事、しかし1人になると泣いていた事、自分のふがいなさに眠れなかった事、「死ななければならない」という言葉が頭の中から消えなかった事から、自分が微笑み鬱である事は理解しました。
しかし自分が変わった鬱病になった理由は分からず、不安感の正体も分からず、何とか打開しようとカウンセリングを受け始め、自分の心が壊れた過程が少し分かって来ました。
1)着任直後から職場環境が劣悪過ぎた
2)私は絶望感から悲しみを直視せず、これ以上の攻撃を受けないために恐怖や怒りに蓋をするようになった
3)人間は一部の感情だけを抑制すると心全体が死んでいく
4)心が死ぬと無意識に肉体的な死を願うので、発作的に自殺した可能性はあった
ここまでが少し理解できたところですが(3のメカニズムは不明ですが、実際に死にたくなったので正しい事は分かります)、病理が分かれば自分を救う道も見つかると希望を持てるようにはなりました。

微笑み鬱で良かったのかも知れない

治療の過程で主治医には「本来なら休職するべきだった」と言われて「私は研究から離れたら死にます」「そもそも研究をまともにやりたい一心で治療を受けているんです」と反論した時があったのですが、それをきっかけに「微笑み鬱で良かったのかも」という気持ちが湧いてきたのも、良い方に作用しているように思います。
私が休職をしたら、私を攻撃していた人々はその機会に乗じて学生を引き離し、研究室も奪われたかも知れません。
私が私自身を「まだ大丈夫」と騙していたので、学生達も不安を感じずに研究に取り組み、順調にデータを出してくれました。
私から研究を奪おうとする人々と戦うためにデータは必須なので、どうせ鬱になるなら微笑み鬱で良かったのです。
ただ、ここ数年は論文を書ける状態では無くなったので、生き方を変えなければならない事は確かです。

研究のために苦しみ、研究に生かされる

私の研究への情熱は、私を苦しめるとともに私の生きる支えになっています。
最初の結婚が破綻した理由は私が会社を辞めてアカデミック研究者を目指したためで、当時は双方の実家から「地獄に落ちる」「死んで詫びろ」と罵られました。
最初の夫の愛情を失い、娘1号に辛い思いをさせて選んだ研究生活なのに、ポスドク先でも今の職場でも歓迎されず、私は会社員時代から社会に受け入れられないまま人生が終わるのかも知れません。

でも研究に出会わなかったら私は自分を尊重できず、自分をバカにする男と結婚をしたり、自分に寄生していた教授のような人から離れる勇気も出ず、ウッカリ鬱病になったらセルフネグレクトのまま腐乱死体になっていたかも知れません。
研究に真摯に向き合っている限りは、学生達と喜びを分かち合う事も、共同研究者と心からの議論をする事も出来るし、今の職場にも理解者はいると思っています。

ですから私は命を削ってでも研究ができる環境は守りたいし、研究のために治療を受け、出来る限りの努力をするつもりです。
今は治療で精一杯で、ブログも放置気味ですが、ブログで生き生きと研究の魅力を伝えられる人になりたいと思っていますので、今後とも宜しくお願い致します。

*明日が実質の正月明けので職場に行くのが怖いのか(今も自分の気持ちがリアルタイムでは把握出来ません)なかなか眠れず、珍しく記事を一気に書きました。

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不眠の苦しみ

鬱に伴う午前中の集中力の低下や下痢はイフェクサーで改善されつつあるのですが、入院前から続いていて職場復帰直後から苦しんでいるのが不眠です。

平日はマイスリー・レンドルミン・ロプヒノールのどれかを飲んで何とか5時間くらい寝るようにしているのですが、週末は薬を我慢しています。
今週は金・土とも3時頃まで眠れず、娘達の部活のために7時には起きたので、一体自分はどうやって生きているのか分かりません。
頭の血管が切れたりしないか結構本気で心配です。

今日は台風で外出出来なかったので読まなくてはいけない専門書や読みたかった雑誌を見ながら筋トレや有酸素運動をして、これなら眠気が来るかも・・と思ったのですがダメで、マイスリーを30分くらい前に飲んでブログ記事を書いています。
明日は6時起きなので、何とか眠くなって欲しいです。

やはり職場に対する恐怖感とか、思い通りに進まない仕事に対する不安や焦燥感で、体が眠っている場合じゃない・・みたいな体制になっているようです。
入院していた頃や自宅療養中は寝るのが仕事復帰への道だと思っていたし、職場の人々も珍しく厳しい事は言わなかったので(双子妊娠の方が辛く当たられた←病気じゃないから?)、心安らかに眠れたんでしょうね。

何とか心を落ち着かせるために、認知療法とか、カウンセリングとか、色々調べているところです。

自分のために睡眠に関する最近の研究のリンクを貼っておきます。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140623/403964/

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精神状態が悪くてブログを放置していましたが、底だったのは5〜6月なのかな・・と思う程度の判断力は取り戻してきたので、ここ数ヶ月の状況をお話します。

肉体は回復しても精神は悪化

助教として着任した直後から教授にアカハラを受け続けて独立したものの、その教授の退官に伴う片付けで再び希死念慮を持つまで追い詰められ、2015年から鬱病の治療を受ける中で子宮肉腫の疑いを指摘され。手術で良性腫瘍と分かって復帰した・・までがこれまでの報告です。

2ヶ月療養指示を守らなかったため4月には激しいギックリ腰で椎間板ヘルニアの精密検査を受けましたが年齢相応の腰椎のズレという診断になり、またも命拾いをしました。
5月には運動の許可も出たので肉体は順調に回復していますが、精神状態は復帰から急激に悪化して、再び他人と関わる気力が無くなり、私用のメール返信は放置しているものが多数あります(この場でお詫びします)。

この状況を改善するためには自分が直視して来なかった苦しみを認める方が良いと考え、ブログでも正直に書く事にしました。

職場が怖い

自宅療養中は2年以上続いていた下痢が止まり、睡眠薬無しでも眠れるようになった事が、自分の闇に気付く伏線でした。

ビオフェルミンや運動など試行錯誤を続けても改善しなかった問題のいきなりの解決を不思議に思いつつ「不規則な生活が良くなかったのか」と考え、GWまでは定時帰りをする事にしました。
しかし復帰直後から下痢が再開し、通勤電車で涙が出たり、居室で呆然としていたり、仕事の効率はどんどん悪くなっていきました。

原因のアカハラ教授は昨年後半には大学に来なくなったのに鬱病の治療が長引いてる事を心療内科で相談した時は「10年以上苦しんでいたのですからすぐには回復しませんよ」とは言われていたのですが、とうとう居室で呼吸困難になって(手術後の血栓か?と恐怖を感じましたが、「うつヌケ」で紹介されていた呼吸法で動けるようになったので心因性だと思います)再び相談に行きました。

担当医に「大学に行くのが辛いです」と話をしているうちに、「自分がふがいないです」「みんなお前を嫌っている、と言われています」という言葉がふと出ました。
そうしたら鬱病の治療中である事を認めてもらった時の産業医の面談と同様に涙が止まらなくなり、私の一番の苦しみは教授との関係より同僚との関係だったと気付きました。
https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/68358218.html

担当医には「bloom さんの環境では職場が怖いと思うのは当たり前です」と言われたので、以前から担当医は私の鬱の原因が分かっていたのに私自身はそれを直視して来なかっただけのようです。

「みんなが嫌っている」という呪詛

私の着任時は別の候補を推薦していた教員達から「誰も歓迎していない」と拒絶され、アカハラ教授から独立した時はさらに何人かの教員から「部局の秩序を乱した」と罵られた・・という経緯はたまにブログで触れていましたが、私を嫌う同僚の態度は長期に渡って私の気持ちを重くしていました。
例えば彼等には「みんながあなたを嫌っている」と言われていて、「みんな」が誰なのか分かりませんが、教授全員一致での退職勧告があった時の教授は全員私が嫌いだったと推測されます。
実験スペースがもらえない、情報を回されないといった不利益は講師昇進で緩和されましたが、仕事でのお願い事を無視されるとか学生が発表会で攻撃されるような嫌がらせも続いていたので恐怖心は抜けませんでした。

明確な攻撃性を見せない教員の心の中は今も分かりません。
アカハラ教授が女子学生にストーカーをしている、論文を書かない、私の研究費を流用しているといった悩みを聞いてくれた教員も何人かいましたが、その中に私をバカにしていたり私を陥れる行動をしていた人もいるし、誰も助けてはくれなかったので「みんなが嫌っているかも知れない」という苦しい気持ちは続いています。
でも職場の飲み会でそう漏らして引かれた事もあるので、なるべく口にしないようにしてきました。

同僚を嫌いたくない

私の側にも、着任直後から何人もの教員に学生のケアをお願いしてきたのに体良く断られた事に対して「退学者や心を病む学生が出続けても自己保身か?」と軽蔑する気持ちがあります。

それでも私は同僚を嫌いになれません。
どの人も研究者としては尊敬出来る部分はたくさんあるし、教員間の軋轢は学生達の不利益にもなるからです。
それに仕事でもプライベートでも自分から関係を切ってやり直す機会を失う事は嫌なんですよね(やり直せた事はほとんど無いのですが)。

同僚を肯定する=自分を否定する

でも同僚を肯定すると「みんなが・・」を認める事になるので、私はその問題を直視しないようにして10年くらい前から心療内科に度々通って何とか凌ぎ続けました。

何度か休職も勧められましたが「精神の弱い研究者」というレッテルは不利になるし、学生にも不安を与えるので、心療内科はたまに行く程度と話していました。
それどころか周囲に「元気がもらえる」と言われるほどの明るさを振りまいて、自分を嫌悪する教員達から「平気な顔で大学に来る面の厚さに呆れる」とさらに罵られた事もありましたが、自分ではまだ頑張れると思っていました。
しかし振り返ると着任当初から部局の会議の日は下痢をする事が多く、身体症状は出ていたんですね・・

自分を好きになりたい

産業医には「女なのがいけない」と言われましたが、主治医にも「時代がいけないんです」「あなたくらいの年代の女性で、同じように苦しんでいる方はたくさんいますよ」と慰められました。

でもアカハラ教授を含め複数の教員が長年に渡って私の欠点を色々とあげつらってきたので、性別や時代ではなく自分が悪いのでは・・という気持ちはなかなか抜けません。
でも研究は自分のアイデアやデータの素晴らしさを世に伝える面があるので、自分が嫌いなままだと良い働きが出来ません。
それにせっかく生まれてきたのに、他人になり代われる訳でもないのに、自分を嫌いでいるのは辛いです。

ただ今ドーピング中

そのような訳で、8月からは抗鬱剤と睡眠薬の種類や量を増やして、まずは薬の力で論文を書き、論文を書いた自分を好きになろうとしています。
認知療法など薬以外の方法も模索しています。

業績を増やしたら同僚に受け入れてもらえるかも・・といった期待もありますし(気に入られたいという気持ちが自分を追い詰めているような気もしますが)、平常心を装ってきたおかげでデータは順調に出続けているのでそれを論文という形で世の中に問いかけたいという気持ちも高まっています。

今春で私を攻撃する教員が5人まで退職したのでここ半年は心を抉られる事も無くなり、毎日研究室を出る時に「ほら、今日も無事だったじゃない」と自分を励ましています。
本当は薬や自己暗示など使わずにありのままの自分を好きになれたら良いのでしょうが、ブログでちょっと弱音を吐いて薬を飲み続けるのが私が今の精一杯の戦いです。

追記:この記事は1ヶ月をかけてまとめ、もう一度見直して 10/15 から公開しています。増薬のおかげで仕事のメールは普通に返せるようになり、下痢も改善中です。プライベートなメールも少しずつ返していくので気長にお待ち下さい。

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4年目のミミコ

今週末はミミコの3才の誕生日をしました。
私達がお誕生日の歌を手拍子とともに歌ったら興奮して吠えまくり、人間なら200円くらいで買えそうな犬用の小さなケーキ600円をいつものおやつのようにペロっと食べて、本人(犬)は全く誕生日を意識していない様子です。
ミミコは保護犬なので誕生日は不明ですが(12月くらい?)、かかりつけの動物病院では暫定的に1月1日を誕生日にしていて、我が家ではミミコを受け入れた3月にお誕生会をしています。
今年は娘1号が年度末で忙しすぎて家に戻れず4月の誕生会です。
プレゼントに起き上がり小法師の上部におやつが入れられて、犬が叩くと方向によっては餌が出る・・というおもちゃをあげたら、最初は噛んだり何とか餌を出そうと頑張って、最後は遊び方を理解して叩いて回っていました。
しかし翌日も喜ぶと思って出したらポカーンとしていて、そのうち噛むところから始まったので、記憶力が悪すぎるね〜と家族で大笑いしました。

トラックバック先の記事に書いたように、ミミコは何かしらのトラウマがあるらしく、自分からベロンベロンと激しく舐めてくるような馴れ馴れしさがなく、抱っこ中に時々「サービスです」みたいな感じでチョロチョロと舐めるような子です。
呼んだら走って飛びついてくる犬みたいな素直さはありませんが、たまにソファーの上で体を寄せてきたりすると娘達は「キター(゚∀゚)ー!」と喜んでいます。
キツネ顔の雑種なので服やアクセサリーが全く似合わないのですが、丸い目が可愛いとか、フサフサの尻尾が素敵だとか、犬にしては締まった体型が格好良いとか、娘達はメロメロです。

私は陰キャラのミミコに自信を付けてもらおうと毎日「お前は本当に良い子だね」「みんなお前が大好きだよ」「うちに来てくれて嬉しいよ」を声をかけていますが、今の陰キャラのままでもとても可愛いです。
そう言えば、最近の犬はますます小さくオシャレになっていて、ミミコのプレゼントを買いに大型のペットショップに行ったら、ぬいぐるみみたいな子犬がたくさんショーケースに入っていました。
特に豆柴(柴犬から小型の個体を選抜して固定化を図っている)の子犬の小ささにはびっくりで、最近は大人になっても5キロという豆柴もいるそうです。

都内で借り上げ社宅暮らしをしている娘1号は「小さいのでマンションでも飼えるしお散歩も短くて良いですよ」と言われて「50万円かぁ〜」と少し心が動いた様子でしたが、帰宅して保護犬と買い主の交流みたいな番組を見てもらい泣きをして「やっぱり保護犬にする」と言っていました。
最近はお散歩先で出会う犬のほとんどが何らかの品種名が付いているので、たまに雑種に会うと振り返って見てしまいます。
「何と言う種類?」と聞かれる度に「雑種ですよ」と答えながら「何かの種類に見えるほど素敵な犬なのかも・・毛づやも良いもんね」と良い方に捉えています。

品種の決まっている犬を飼う人が増えた事情は、犬を飼える広さの庭のある家が減っている、外で犬を飼うと迷惑をかけるほど隣の家と近い、共働きが増えて犬の散歩をする時間が無い・・などの理由で大きくならない事が決まっている小型犬が流行し、その流れで大型犬でも品種がはっきりしている犬を飼う雰囲気になったのかな?と思っています。

でも保護犬は中型犬になる事は大体決まっているし、ミミコのような茶と白のミックスだとオンリーワンの模様がある意味レア感があるんですよ。
ご近所のレトリバーも室内で飼育しているので(お散歩はしっかり1時間行くそうですが)、中型犬や大型犬を飼う余裕のある人は保護犬も検討して欲しいです。

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