ブログ版ききみみずきん

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時事問題

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組織による謝罪

足利事件のDNA鑑定の精度の問題による誤認逮捕に関してテレビや新聞の論調は「失われた17年」など捜査や再審制度の不備を主要な問題としています。
しかし当時はメディアも菅谷さんを犯人として扱っていたはずで、警察発表を鵜呑みにしたことに対する反省の言葉が無いことが気になっていました。

ところが最近、朝日新聞の「声」で40代の弁護士さんの投書を見つけました。要旨は以下の通りです。
当時、自分は駆け出しの新聞記者だった。容疑者の周辺を取材しても、とても犯罪を起こす人に見えなかった。しかしDNA鑑定がクロだというなら間違いないと思い、そのように記事に書いてしまった。鑑定の意味を良く理解せずに記事にしたことはジャーナリストとして恥ずかしいし、個人の名誉を傷つけたことを申し訳なく思う。
確か、こんな内容だったと思います。

誰が謝ったところで失われた時間が取り戻せる訳ではないのですが、私個人はこの謝罪に少し救われました。
なぜかと言うと、間違いの理由を自分で分析し、どこが反省点なのかを明らかにしているからです。

準公務員のような立場になって10年近くになりますが、組織を守るための曖昧な反省のようなものを感じることが時々あります。
例えば私が着任した直後にあった大学の組織再編も、始める時は利点を色々聞かされたのですが、数年したらまた再編することになって「何が問題になったのか?その問題は最初の再編時に分かっていなかったのか?」と再々編説明会で私は聞いたことがあるのですが、ムニャムニャという答弁しか戴けませんでした。
企業に在籍していた時も同様の曖昧さを感じたので、社会的組織は皆そのような要素があるのでしょうね。

足利事件と大学の再編を一緒に並べるのはとても失礼なのですが、警察や検察の謝罪も「遺憾に思う」といった曖昧な表現で、「誰が、いつ、どのような間違いをしたのか」「その間違いに気づかなかった組織の問題点はどこにあるのか」という点が明確ではないと感じています。

個人が間違いを認めたら、その上司も責められ、そのまた上司も・・同僚も・・と責任論がつながるので、謝罪は慎重にしなくてはならないと思う人が多くなるのは当然かも知れません。
また、自分を守ってくれるのは、自分達に謝罪を要求するあちら側の人ではなく、一緒に謝るこちら側の人なので、生きるためにはこちら側の人を大事にするのだと思います。
ただ、このような謝罪はとても受け入れがたい以上に相手の気持ちを傷つけるものですよね。

投書欄での謝罪も、投稿者が弁護士というある意味個人経営者だから成立したのかも知れません。
ただ、こういった謝罪や分析が無いと、問題はまた起こるのではないかという不安があります。

場の読めない若手教員だった私もいずれ大学組織を運営する側になるのでしょうが、組織を守ることと、真摯に反省や謝罪をすることは両立出来ないのだろうかと、考え込んでいます。
福岡県で母親が障害を持つ子供を殺害した事件について、マスメディアの伝える市民の声は「実の子供に手をかけるなんて信じられない」といったものが中心で、ネット上ではもっとひどい言葉がぶつけられています。

どんな事情であれ殺人に対して同情的である必要は全くありませんが、今回の事例は責任が個人だけではなく、社会、つまり社会の構成員である我々も負うべき問題だと私は考えています。

日本では身体面や発達面で障害を持つお子さんやその家族に対する支援は非常に遅れています。
事件が起きたご家族も、自分の学区では発達支援学級が無かったために転居をしたそうです。
私は娘の片耳失聴をきっかけに、難聴のお子さんの教育環境についても意識するようになりましたが、盲学校・聾学校および幼児期のお子さんが通う施設も各地域に十分な数が無いために遠方まで通っているお子さんが多いようです。施設への通所や通学に付き添うために仕事を辞めざるを得ないお母さんも多く、しかし移動や訓練や有償ボランティアなどの支払いで経済的な負担は大きいそうです。
(話はずれますが、娘の片耳失聴は障害者認定はされないので、失聴発覚時の様々な検査や通院、年間数万円かかる鍼治療や聴覚の定期的な検査、聴覚過敏を解消するためのイヤーマフなどは全て自己負担です。)

障害の種類によっては自宅の改築や特殊な訓練機器、自作の教材なども必要です。一番足りないのは気軽に手伝いを頼める手です。
大学生の頃、子供キャンプのボランティアで数十人のお子さんを5日間ほど引率した経験がありますが、その中に自閉症のお子さんがいました。

当時は自閉症独特の感じ方、判断の仕方、行動などに関する情報が乏しく、私はあまり適切な対応は出来なかったと思います。それでもその子が楽しそうにしている瞬間もあり、とにかく無事に戻ることは出来ました。

お母さんに引き渡す時に「おかげさまで、久しぶりにゆっくり食事をしたり眠ったりすることが出来ました」という言葉に、日頃のご苦労が伝わってきました。

彼を引率する中で、電車内で奇声を上げて乗客に眉をひそめられたり、食事中に他の子供のおかずに手を伸ばして大騒ぎになったり、その騒ぎにパニックになった彼の自傷行為を止めようと頑張ったり、色々と大変なことがありました。睡眠障害もあったようで、他のボランティアが「夜中に起きて大変だった」とこぼしていました。
最近になって「光とともに」という自閉症を扱った漫画を読むようになって、当時の自分の対応のまずさを反省しているのですが、その中には周囲の無理解に傷つき、制度の不備に苦しむ家族の姿も多く描かれています。

食事や睡眠が十分に取れなくなるだけで人間の判断力は鈍っていきますが、そこに周囲の心ない言葉や経済的な苦労が加わると、希望を持って育児をするのはさらに難しくなると思います。
また、自閉症の親御さんから「私と他人の区別がついていないようで、虚しくなる」と伺ったこともあり、子供の行動に傷つく場合もあるようです。

そのためか、障害児を持つお母さんの中にはびっくりするほど明るい人もいる反面、私が引率したお子さんの親御さんのように「ご迷惑をおかけします」と謝ってばかりの方もいます。ネット上ですが、難聴のお子さんを持つ親御さんに「片耳が聞こえる子供を持つアナタには分からない!」と食ってかかられたこともあるので、攻撃的な方もいるようです。

私が手を差し伸べてきたのは、どうしてもお付き合いしやすい方に限られてきたのですが、本当は傷ついている親御さんにも支援が必要だと思います。
難聴のお子さんを持つ親御さんには、こちらも大人げなく「親だけで抱えていても、親は先に死んでしまうじゃないか」と言い返してしまったのですが、もっとかけるべき言葉があったのではないかと振り返っています。

ネット上で加害者を罵倒する人々は、罪人に石を投げる群衆のような心境でしょうか。
その石を持つ手を、誰かを支える手に変えて欲しいと思います。
石を投げ合う社会では、いずれ自分に石が当たる時が来るのではないでしょうか。

専門知識のある方でないと対応が難しい事例もあるでしょうが、私達の税金がそのような支援に十分に回るように手や口を出すことも出来ますよね。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/49736?c=110

お互いが他人のために使える力を少しずつ分け合える社会であって欲しいと思います。
大分の教員不正採用事件に関して、当初は「両親、長男、長女全員が無職になるのか」と少し面白がっていたところがあったんですが、予想以上に不正の程度がひどくて(筆記試験まで改ざんするのは聞いたことが無かった)範囲が広いのに驚きました。

ある方のブログで遠因として「地方には公務員以外のまともな給料をもらえる仕事が少ないから」という話をしたのですが、だからと言って許されるものではないと思います。

この問題の分析は多くの方がしているので、私は別の話をします。
私がこの事件で心配しているのは、そろそろ自殺者が出るのではないか?という点です。

どの分野でも不正事件が起きると、関係者が自殺することが多いです。
色々な秘密を抱えすぎて、話すことに非常な苦痛を感じるのと、秘密だけに社会の好奇の目や非難の目に晒されることに耐えられないだろう・・ということは、多くの人が想像出来ると思います。
そして、自殺者が出る可能性についてもたぶん多くの人が想像するのでしょうが、毎回自殺が起きるので、何か防止策が不十分なのではと考えています。
特に公務員は
(1)公務員であることに本人のアイデンティティーが大きいために解雇の精神的ショックが激しい。
(2)公務員体質が染みついているので、解雇されると企業などへの就職は難しい。
(3)企業だと表向き責任を取らせて(謝罪係を決めている場合も)、後でこっそり関連企業で採用・・といった救済もあるが、公務員は建前論が強いので解雇後のケアは無い。
(4)良い意味でも悪い意味でも世間とズレているお坊ちゃまなので、良心の呵責に耐えられず、全て暴露するような人が多い。

・・といった傾向があり、自分が逃げ道が無いほど白状してしまい、組織から切られ、世間に拒絶され・・といった、自殺リスクが高いように思います。
警察の方は取り調べ後の本人の様子などどれほど気にかけているのでしょうね?
また、海外ではどのような防止策を講じているのでしょうか?

罪は償わなくてはなりませんが、命で償えることなどほとんどありません。
周囲に後味の悪さを残し、真相がうやむやになることでかえって被害者(今回の場合は本来の合格者)の怒りを買い、そのうち存在を忘れられ、何のために死んだのか分からなくなると思います。

また、今回のような不正を私は絶対にやらないとは言いきれません。
例えば自分が養わなくてはならない家族が多くて、教員以外の就職の可能性が絶たれていて、自分でもそれなりに実力があるつもりで、コネが無いと滅多に合格しないことが分かっていて、知り合いに「ちょっとお願いするだけで大丈夫」などと言われたなら、少しくらいの不正を働いても後で一所懸命働いて償えば良いのではないか?という悪魔のささやきには悩まされるでしょうね。

それでも科学者である私にとっては正義や正論はかなり重要度が高いため、今回のような不正はなかなか実行しがたいとは思うんですが、単純に石をぶつけるとか棒で叩くといった攻撃で済むような話ではないように感じます。不正の甘い囁きが聞こえてこないような体制作り、正直者がバカを見ないような体制作りをしないと、大抵の人間は不正に巻き込まれるのではないでしょうか。

今、大分県の教壇に立っている先生のかなりの方が、過去の不正に恐れ戦きながら日々の仕事をこなしているのではないかと思います。
私達は不正は糾弾しつつ、彼らの命は大切にしなくてはならないと思います。

私の記事を該当する教員の方がご覧になる可能性は極めて低いでしょうが、
生きていれば色々なことが出来ます。
人生のシミは消せませんが、これからのあなたの姿によっては新しい色をそのシミの横につけることは出来ます。
きっとその色の美しさを理解してくれる人がいるはずです。
ですから、不正は恥ずかしいと思うべきですが、自分の人生を否定しないで下さい。
私は人が死ぬニュースは本当に嫌いです。
凶悪事件が起きる度に、その原因の一つに社会の変化(受験戦争、核家族、インターネット、派遣社員など)を挙げる人と、「凶悪事件は昔から起きているから、社会の変化に結びつけるのは無意味」という反論があります。
凶悪事件に関する情報源としては以下のものがマスコミに取り上げられているようです。

http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/
「少年犯罪データベースドア」
私はこの管理人さんの語り口は苦手ですが、情報源としては参考になると思います。
私はたぶんどちらも正解だと思っています。

人間には誰しも狂気(理由のある攻撃性も、興味本位の攻撃性も)があって、その量が個人によって異なり(脳の構造や生育条件など)、さらに環境によって狂気が現実になるかどうかが決まる。

だから凶悪事件はいつの時代でも起きるというのは間違っていない。

しかし、生育条件や環境には社会の変化が影響するので、狂気を増幅させる要因として社会問題を論じるのも間違っていない。

事件が起きる度に「無関係な人を攻撃するのは許せない」とか「死ぬ気で頑張れば何とかなるのに」といったコメントが出ますが、私も感情的にはまったく同意です。
もしかすると、これから犯罪を起こそうとしている人がそれを読むことで少しは狂気が抑制されるかも知れません。

ただ、犯人には自分の環境や悪い考えを変える力は無い(無かったから犯人になった)ので、個人を責めるのではなく社会全体でどのようにリスクを下げるか、という議論は必要ではないかと考えています。
例えば「青色の街灯は犯罪を抑制する」というニュースがありましたよね。
http://www.townnews.co.jp/020area_page/02_fri/01_naka/2007_4/10_12/naka_top1.html

ニューヨークのジュリアー二市長は「破れ窓理論」(軽微な犯罪を放置すると全体のモラルが下がり、重大犯罪も起きる)に従って街の浄化を進めたという話もありました。

社会安全研究財団というのもあって、犯罪抑制につながるような研究に助成金を出しています。
http://www.syaanken.or.jp/
このような「狂気の出る場を減らす研究」は社会科学という分野に相当するのだと思います。

「狂気をコントロールする」のは心理学や教育学の方でしょうか。
「狂気」そのものの研究は脳科学に近いかも知れません。
犯罪者の脳には情動を抑制する部分に障害が見られる傾向がある、という報告がありましたよね。

人類が抱える狂気の量はたぶん減らすことは出来ないし、ある部分を抑制すればまた別の部分にはみだしたりするいたちごっこでしょう。
純粋な実験系科学の中でも脳科学はまだ未成熟な分野ですし、社会科学や心理学はサンプルの集め方や解析手法が難しいと思います。
しかし人間の狂気の量と違って、科学は確実に進歩しているので、少しでも知恵を出せないかと期待しています。

とにかく、私は凶悪事件に巻き込まれたくないし家族が巻き込まれるのはもっと嫌です。
また、娘達が加害者の側にならないとは断言出来ません。
自分が科学者としても一個人としても出来ることがあれば協力したいです。

いじめを苦にした子供の自殺が取り上げられていますが、中2の娘が「こんなに報道されると自分も死んで仕返ししようとする子供が増えるんじゃないの?」と言い出しました。
娘はいじめられっ子がマスコミに取り上げられてもらうために死んでいると思ったようです。

私は4才から12才までひどいいじめに遭っていて、たまたま思いつかなかったから死ななかっただけで、何かのきっかけがあれば自殺をした可能性もあったと思います。苦しんで死んだ上に、周囲から弱虫とか仕返しとか言われるのはやり切れないですね。

いじめ対策に関しては、個人の体験談も大切ですし、いじめの被害者や加害者を対象にした調査や、教育者・精神科医など色々な人の分析も大切だし、海外の事例も参考になるとは考えています。

この件に関して「放課後ねっと」というメーリングリストで議論をしているのですが、その中でいくつか興味深い意見や資料が出てきました。
http://houkago-net.hp.infoseek.co.jp/ 放課後ねっと

メーリングリストで紹介された記事
http://www.janjan.jp/living/0610/0610243314/1.php
「英国では1年に平均約16人の児童・生徒が、いじめにより自殺し、重要問題視されてきている。過去にいじめにあった児童生徒のうち40%は自殺を考え、20%は自殺を試みたことがあるとキッズスケープ(英国の被害児童支援団体)は報告している。」
「「ブーリサイド(いじめ殺し)」という本によると、いじめに遭いやすい子は対人関係の問題は話し合いで解決しようとする傾向があるが、いじめをする側に付け入る隙を与え、話し合いが成り立たない(いじめが続く)場合はいじめられる子は自分自身への怒りへと転化し、それが自殺に結びつきやすいことが報告されている。」
・・はいじめられっ子だった私の実感に合っています。自己評価が低くなるとちょっとしたことでも異常に悲観するようになるんですよね。他人から見たら不自然で、被害妄想に見えるんでしょうが。

「自殺をする時、人の心はひどく弱っていて、もう生き返らないとか家族が悲しむとか、そういう正常な判断が出来なくなるんだよ」と娘に言いましたが分かってもらえたのか・・
いじめを抑制するためには、大人も子供も人の心が弱るとどういうプロセスを踏むのか勉強する必要があるんじゃないか、それを学校で教えてもいいんじゃないかと考えています。

J-CAST NEWS では「アメリカや中国ではいじめを原因に自殺した子はいない」という発言を紹介していましたが、真偽のほどは分かりません。ただ、いじめはどこの世界にもあるにしろ、各国の教育体制や国民性が自殺者の数に反映されているとは思います。
http://www.j-cast.com/2006/11/09003744.html

いじめは罪の意識のなさと自分勝手さという意味では痴漢と同根ではないかという意見も聞いたことがありますが、いじめに関して被害者側の心の在り方を責めるような言葉が多いことは、多くの人がいじめを深刻に捉えていないのではないかと思います。

いじめられていた頃の私がいじめそのものと同じくらい辛かったのは、自分の気持ちの在り方が悪いとも捉えられるような言葉です。
「そんな程度じゃ、いじめとは言えないんじゃない」
「それくらいの事、私なら我慢出来る」
「もっと外に目を向ければいいのに」
「相手に強く抗議しないからこうなるんだよ」
「お前にも原因があるんじゃないの?」
「なんでやり返さないの?」
この言葉は親に良く言われたので、親にはもう自分のことは話しませんでした。

振り返るとこれらの言葉は自分をひどく追い詰めていたのですが、当時は自分が悪いような気持ちになっていたので、辛いという意識もありませんでした。いじめる側も「臭い、暗い、ブス、バカ」などと何らかの理由をつけてきて、まるで正当なことのように振る舞っていましたから。「あんたの悪いところを直してあげているんだよ」という言葉も良く言われていました。

やっと40代になってプライドというものを取り戻してきた時、当時の自分に「もっと怒って良かったんだよ」と言いたい気持ちが沸いています。

いじめは言葉の暴力や身体的暴力で、相手の尊厳を踏みにじる行為です。
痴漢をされた相手に「胸をさわられたくらいで大げさな」「私だったらすぐ声を上げるのに」「傷つきやすい」などと言う人はまだ少ないんじゃないでしょうか。
いじめに関しても、皆さんの周囲にいじめを受けている子供がいたら「死にたいとか言って・・死ぬ気になれば何だって出来るじゃない」なんて軽々しく言う前に、不正な行為に一緒に怒って欲しいです。

少なくとも当時の私に、誰か一緒に怒ってくれる人がいたら、ずいぶんと救われたと思います。
あの頃は痛みや悲しみが麻痺してきて、怒る気力もなくなって、もう自分の存在こそが問題なのだと思っていました。
本を読んでいる時やマンガを描いている時くらいが少し気持ちが解放されていましたが、それは現実逃避だということが子供心にも分かっていて、たぶん自分は現実社会では一生いじめられ続けて、結婚も就職も出来ず、クズ人間として一生自分の気持ちをごまかして生きていくのだろうと思っていました。
生きている実感が乏しくなってきて、辛い現世と死後の世界がそう違わないように感じていました。

文部科学省へのいじめを告発する手紙にはかなりの怒りと恨みを感じましたが、まずは怒りでも何でもいいから自分の感情を取り戻して欲しいと願っています。みのさんの「朝ズバッ」にもたくさんのいじめ告発が届いていて、匿名での告発なんて卑怯という人もいますが、どんな形であってもいじめられて苦しい・悲しい・悔しいと感じるのは当たり前なのだということに気づいてくれたら良いと思います。
たぶん手紙を書いた人がこのブログを読むことはないのでしょうが、予告通りに自殺をしなくても腰抜けなんて言わないですから、お願いだから生き延びてください。

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