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2月に子宮全摘手術が終わり、組織検査で良性腫瘍という診断も出たので、やっとブログ記事が書ける状態になりました。 色々な人に心配をかけたので手術が済んだ時点で記事にしようと思ったのですが、組織検査の結果が出るまでは最悪の事態も覚悟していたため精神力は空元気に使い、頭脳は学生指導とネット検索に使って消耗していました。 この記事では手術と検査結果について報告し、療養生活や復帰状況などは次の機会にします。 急な手術を決めた理由大学教員にとって2月は卒論修論発表・入試業務・成績入力・・と一番休めない時期です。しかし手術の相談に行ったA病院で子宮肉腫(平滑筋から発生する癌)の可能性を指摘され、以下の点からもただならぬ状況であると判断して無理に休みました。 1)腹が膨らむ速度がいきなり上がった 2)MRI 画像が、6年前の「黒い筋核と正常な平滑筋層」という標準的な子宮筋腫の画像から、筋核の周囲に不均一な白い陰を持つ筋層が分厚く被る像に変わっていた 3)子宮の直径が6年前の倍になり(体積は8倍)、腸が通る場所が分からないほど臍から下が子宮でいっぱいになっていた 4)2008年に子宮内膜症と診断されてディナゲストで治療した経緯から子宮腺筋症による子宮肥大の可能性はあるが、その場合は生理痛がひどくなるので理屈に合わない 5)子宮肉腫で見られる事がある腹水も溜まっていた 6)腹の皮が突っ張り、子宮に内側から押された腰椎がヘルニアになり、日常生活に支障が出てきた内診では「組織検査をしないと分からないので取ってスッキリしよう」と言っていたA医師が、MRI 画像を見てからは「2週間後なら手術可能?」と緊急な雰囲気を出していたし、「血液検査はまぁ正常だけど」と言っていたのに退院一週間後の定期健診で渡された結果では LDH アイソザイムで悪性腫瘍の可能性を示唆するデータもあったので、医師も不安に感じていたと思います。 私は当初は全ての癌は早く発見して抗がん剤や放射線治療を併用すれば生き延びられると思っていたのですが、肉腫は治療法が発展途上で2〜3年で亡くなる方も多いと知って愕然としました。 http://www.jsog.or.jp/PDF/58/5809-253.pdf http://www.ncc.go.jp/jp/rcc/01_about/uterine_sarcoma/index.html (肉腫の治療の解説) もちろん肉腫でも長生きされている方はいらっしゃいますが、治療が長い事が分かり、もう研究は続けられないかも知れないと不安になりました。 http://www.geocities.jp/armisael95/ (癌患者に100の質問) しかし手術を急いでも寿命が延びるとは思えなかったので、少し待ってもらって修論発表会の2日後に入院して翌日に手術という段取りにしました。 診断が難しいタイプの子宮筋腫周囲に一番心配されていた組織検査の結果を先に書きます。摘出された子宮は私の頭の大きさくらいで重さは 2kg 以上あったそうです(正常な子宮は握り拳以下で 50 g くらい)。 右側卵巣の脇に嚢腫があったので一緒に切除したそうで、卵巣は両側とも残しました。 組織検査は手術から3週間弱で結果が出て、A医師からは「色々と心配だったけど良性だから安心して」と言われました。専門用語が多かったので自力で読み解く事にして、検査結果のコピーを戴きました。 病理検査の結果は3ページで、1ページ目が所見、2ページ目が固定後と思われる子宮と嚢腫の画像に切断面が書き込んである画像、3ページ目が切断面からどこの組織を切り出したか(9カ所)書き込んである画像です。 所見は以下のようなな文章でした(カッコ内は私が補足しています)。 ↓ 径 13 cm までの Leiomiyoma(平滑筋腫)を認めます。硝子化・Myxoid degeneration(粘液変性)を伴います。Adenomyosis(腺筋症)は認めません。 頸部・内部に著変ありません。 両側卵管に著変ありません。 両側に Paratubal cyst(傍卵巣嚢胞)を認めます。上記を解釈すると、私の子宮筋腫は肉腫との鑑別が難しい異型子宮筋腫(粘液性平滑筋腫)に変化しつつ急激に肥大していたようです(異型子宮筋腫の成長が早いという情報は見つかりませんでしたが)。 http://soft-tissue-tumor.seesaa.net/article/398179725.html http://遠隔画像診断.jp/archives/15321 http://www.jsog.or.jp/PDF/59/5909-277.pdf (異型子宮筋腫の解説色々) 入院の準備ほとんどの校務は交代して戴けたものの、担当していた授業の成績入力は自分がする必要があったので、期末試験や課題の採点で入院数日前まで寝不足気味でした。しかし風邪をひいたら手術延期と言われていたので、バランスを取るのが難しかったです。 同じ階の研究室の先生方に安全管理をお願いし、不在中の実験について(熱を発生したり遠心機を使う作業は極力減らした)学生達と相談し、不測の事態が起きた場合は副指導教員を頼るように伝え、副指導教員の先生方にもお願いのメールを出しました。 手術から3〜4週間は自宅療養が必要と言われていたため、共同研究者に仕事が止まる事を伝え、卒研生を預かってもらえないか打診しました。 自宅にはベッドでも仕事が出来るように、背もたれに使うテレビ枕とベッド用テーブルを購入しました。 退院後はお腹を締め付けてはいけないので、へそ上までのパンツや、ねずみ男みたいなワンピも用意しました。 入院と手術の経過私は実験記録と同じように経過を残しているので、そこから抜粋します。前日 7:00 最後の朝食 11:00 入院 荷物を置いてドライアイス買い出し 12:20 下剤→夜までダラダラとトイレに籠もる 15:00 麻酔などに関する説明癌だった場合は発現遺伝子を解析して抗がん剤を選ぶつもりで医師に正常組織と病変部を分けて欲しいとお願いしていたので、それを大学に送るためのドライアイスを用意しました。 不安で色々調べたり、「麻酔医ハナ」という漫画を見つけて「明日はこんな事をされるのか・・」と驚いたり、残っている事務仕事などのためあまり眠れませんでした。 手術当日 6:00 体温・血圧チェック 9:30 浣腸→激しい頭痛 11:00 シャワー 13:00 麻酔開始 14:20 手術終了、相棒と母が組織を見せてもらって写真も撮って説明を受けた 15:00 覚醒時は全く辛くなかったが、カテーテルの違和感が強く、ネット漫画で気を紛らわす 17:00 体調が安定しているので相棒帰宅 18:00 手術助手の先生の回診 悪性腫瘍には見えなかったという意見に少し安心する 22:00 A医師の回診(傷口の確認と手術結果の説明)浣腸で「手術前に脳内出血?」と不安になるほどの頭痛が起きて、「浣腸×頭痛」とスマホで調べながら悶絶していました(たまにあるらしいです)。 手術はA医師・手術助手の医師・麻酔医・看護師2名で1時間ほどで済んだようですが(当日は5人手術で4番目)、たぶん以下のような段取りだと思います。 https://www.harasanshin.or.jp/docs/fujinka-shikyu_kinshu.pdf (子宮筋腫の多様な画像が中盤、手術の段取りが終盤に入っている) 腕の良い麻酔医を頼んでいると何度も聞いていたのですが、帝王切開や前十字靱帯の手術後に経験した頭痛や寒気も無く、起きた時の感覚が「良く寝た」みたいな感じで驚きました。 お腹の傷は縦に 15 cm くらいで、手術の報告書には「腹式単純子宮全摘、両側卵管切除。両側卵巣残す、マホガニー小体 傍卵巣嚢腫(右)、出血 75 ml」などと書いてありました。 手術翌日 2:00〜18:00 麻酔追加(合計12回) 9:30〜16:00 歩行30分×8回=4時間 6:00 歯を磨き、体を拭いてもらう 7:00 回診(傷口の確認) 9:00 カテーテル抜いてもらって排尿 11:30 空腹を感じ始めるが絶食続く 18:00 回診(お腹を指でポンポンと触診) 19:00 ボルタレン座薬翌日から腸閉塞を防ぐために歩くよう指示されますが、開腹した傷は痛いし、子宮があったスペースに腸が移動していくのでお腹の中も痛くて、背中に刺した硬膜外フラッシュ麻酔(ボタンで追加出来る)で平常心を保っていました。 ガスが出ないと食事がもらえないし、歩くと出ると言われたので、無理をして注意されました。 左腹が痛くて早くも腸閉塞?と不安になりました。 手術後2日後 6:00〜18;00 麻酔追加(合計8回) 7:00〜16:00 歩行15分×10回=2時間半 9:30 回診 左腹の痛みはガスが溜まっているためと言われる 11:30 ドライシャンプーをしてもらう 13:00 A医師の回診(腸の動きが悪いので炎症反応が出ているかもという意見→出ていなかった) 19:00 A医師の回診(腸が戻る過程でねじれる場合もあるので、明日はレントゲン撮る) 21:30 お腹からギュルギュルという音が初めて聞こえる(翌朝まで2時間に1回くらい) 23:00 ボルタレン座薬 上腕部の筋肉痛夜までガスが出る徴候が無く、絶食が手術前日から4日目になったため、しつこく歩き回った上にスクワットをして注意されました。 手術後3日 7:00 歩行15分 7:00 硬膜外フラッシュ麻酔終了→特に痛みは増していない 鼻をかもうとしたら力が入らない 咳がつらい 右背筋の筋肉痛 7:30 初めてガス出る→お湯が飲めるようになる 7:50 最初の流動食 11:00 ボルタレン座薬 12:00 流動食 18:00 夕食(三分がゆ) 19:00 レントゲン・内診・傷口チェック→退院決まる・麻酔の針抜ける 21:00 体拭く 点滴終了 21:30 ボルタレン座薬 マスクをして就寝 夜はずっと腸がゴボゴボと動いていて何度もガスが出る乾燥のため咳が出るようになり、かなりお腹に響いたので、開腹手術をする人は加湿器やマスクや龍角散は必須だと思います。 頭が短時間なら普通に動くようになり、学生の卒研発表の資料を直すのに忙しくて歩くのを忘れてしまいました。 空腹が辛くて、相棒や娘1号の差し入れを食べたいとお願いしたのですが、翌日からと言われました。 手術後4日後 8:00 朝食(5分がゆ) 服薬(ロキソプロフェン・フロモックス)始まる 9:00 初めてのおやつ(プリン・芋きんつば) 12:00 昼食(7分がゆ) 13:00 歩行15分 おやつ(チーズケーキとコーヒー) 15:00 初めての排便(ごくわずか) 歩行15分 16:00 退院指導 17:00 初めてのシャワー 18:30 夕食(全がゆ) 咳に苦しむさらに頭が動くようになったため、学生の卒研発表の指導や共同研究先との打合せで、歩行が30分に激減しました。 手術後5日(退院日) 4:00 咳でお腹が刺激されたのと便が動いている痛みのためボルタレン座薬 6:00 おやつ(人形焼き) 8:00 朝食(全がゆ) 11:00 退院 自力(徒歩10分+タクシー+電車2本+徒歩10分)で帰宅 13:30 昼食→ガスが動いて辛い 14:30 服薬 痰が切れず横になれない 20:00 夕食 21:00 服薬 寒気 24:00 就寝 テレビ枕が無いと頭が低すぎて気持ちが悪くなる 足むくむ開腹手術の5日後に自分で歩いて帰る事が出来ましたが、1週間は腸の中をガスや食べ物が通る度に悶絶していたので、とても職場に行ける状態ではありませんでした。 完全復帰出来たら、そこまでの経過をまた別記事で報告します。 手術に悔い無し手術翌日から腰痛と息苦しさと尿漏れが一気に無くなり、手術には後悔はありません。深部静脈も圧迫されていたので血栓などのリスクもあったと思うし、組織検査の結果から摘出しないと判断が難しかった事も良く分かりました。 http://ameblo.jp/kyusan0225/theme10-10071037494.html (子宮筋腫のリスクの解説) ほぼ初見のA病院での手術に踏み切った背景は、A医師が大学病院の婦人科で手術を続けていた当時から評判が良かったのと、A医師の説明は短いが最低限のポイントは押さえている、お子さんが基礎医学の研究をしていて話が合うためか私に悪い感情が無さそう・・といった理由です。 個室代が高くて手術と入院で27万円くらいでしたが、スタッフの方々も温かいながらもキビキビしていて、個室は Wi-Fi もある高級ビジネスホテル並みの広さで快適でした。 命拾いをして感じたこと今回は色々と運が良かったので、何か世の中に恩返しをしなくては・・という気持ちになりました。また、最近は自分が発見したタンパク質の発現量が癌細胞で変化している事も明らかにしつつあるので、基礎研究を頑張る事で社会に貢献したい気持ちも高まりました。 それから、命に関わる病気かも知れないと初めて言われて、仕事でやり残した事が多過ぎると感じたので、少しずつでも克服したいと考えました。 仕事に完全に戻ったら今の気持ちも忘れてイライラしたり落ち込んだりする日常になると思うので、ブログ記事に残しておきます。
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前十字靱帯再建他、健康関連
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今年の年賀状は寒中見舞いになる事が決定し、仕事関係でもプライベートでもブログをご覧になっている方も多いので、お詫びがてらの報告です。 12月から体調不良が続いていて、正月明けの診察で子宮全摘手術を勧められましたが、セカンドオピニオンをもらいに行った先で精密検査の結果によっては手術を急ぐ可能性があると言われました。 そうでなくても3月には手術を受けるつもりで、入院1週間・自宅療養1ヶ月くらいになりそうです。 卒論発表・修論発表・入試業務・成績入力と外せない仕事の多い時期なので、まず学内の関係者には連絡しましたが、手術時期が確定したら共同研究先などとの相談も始めるつもりです。 年賀状は出すのも戴くのも毎年楽しみにしていますが(毎年遅いですが)、今年は体調が悪すぎた上に病気について調べる事に気力を使いきってしまい、不義理になってすいません。 予兆自分の子宮筋腫が年々大きくなっている事は2015年までの婦人科検診で分かっていたのですが、その頃に鬱病が悪化して、心療内科に行く時間と気力をひねり出すだけで精一杯でした。2016年に入って少し前向きになってきたので、相棒のウォーキングに付いていくようになったのですが、小さな段差でもつまづく事があり「老化だね」と笑われていました。 秋頃に「歩いている時に全然足が上がっていない、変だよ」と相棒に言われた時は「ババァはそういうものなの!」などと返して、月に2回くらいのスポーツクラブも何とかこなせていたので精神よりは肉体の方がまだ健康だと思っていました。 足の太さは変わらないのにお腹が次第に出ていたのも中年太りの特徴だと思っていましたが、足が上がらないほど腹が出ていたようです。 長引く腰痛から激しいお腹の張りへ11月の動物学会で移動に自転車を使い「1日2時間くらい漕いでも平気な自分はまだ若い」と思っていたのに戻った直後に腰痛になり「年寄りの冷や水」と笑ったものの、12月になってもなかなか回復しませんでした。特に床に座った体制だとすぐに背中が痛くなり、お腹がつかえてまっすぐ座れていない事に気付きました。 どんどん体もだるくなってきたので、子宮筋腫の経過観察をサボっていた事や2015年の子宮がん検査の結果も聞いていない事を思い出し、内視鏡手術をした先に問い合わせたところ、人気が高まりすぎて予約制になり2月の予約しか取れなかったのでそこまで我慢する事にしました。 しかし年末には臍の上まで腹が出て、胃がつかえたような感じがして、寝ている時も息苦しくなり双子妊娠時に「深部静脈が子宮に圧迫されている」と言われていた時と同じ感じになってきました。 元旦の体重が3週間前より3キロも増え、腹囲は1年前より10センチも増えていて、明らかに異常だと感じました。 正月明けの診察で子宮全摘を勧められる腹部の異常な成長が子宮そのものの張りならば正月開けに次の生理が来た時にある程度収まるはずです(私は子宮内膜症と子宮腺筋症も持っているので生理周期に合わせて子宮全体がある程度膨らむはず)。そうでなければ子宮以外にいきなり成長する腫瘍が出来ていて、こちらはかなり危険なので、とりあえず生理を待つ事にしました。 しかし正月三が日で苦しさは増し、歩き方も体を左右にゆすりながら何とか前に進む、妊婦のようになっていました。 そもそも子宮が膨らむはずとは言え、今まで生理に合わせて苦しくなった事は無いので、子宮筋腫ではなく子宮癌や肉腫の可能性があるように思えてきて、4日に無理を言って診察を受けました。 超音波検査では筋腫の成長(12センチと10センチ、6年前は7センチと3センチ)が確認され、やはり背中側の静脈を圧迫していると推測されるので、以前から様子見だった子宮全摘手術を勧められました。 「いきなり大きくなったら肉腫じゃないですか?すごく苦しいんですけど」と言ったのですが、「筋腫は成長しているけど、これでも生活している人もいる」「超音波で見た感じは肉腫じゃないと思う」「閉経すれば小さくなると思うけど」みたいな言い方でした。 とりあえず子宮癌の検査をして、2週間後にその結果と紹介状をもらって手術をする病院を探す事になりました(その病院には開腹手術は得意ではないと言われたので)。 1週間後の診察で急ぎの精密検査となるしかしそこからも毎日体調は悪化し、足のしびれも出てきて、血管の押され具合が半端ない感じがしてきました。子宮全摘をした知人2人に相談したところ「血流が滞って3キロくらいむくんでいるのかも」という意見もあり、どちらの方も手術は辛かったけれど体調は良くなったと言っていたので、紹介状を待たずに手術先だけは決めようと考えました。 A(自宅近くの総合病院)・B(自宅近くの市の医療センター)・C(かかりつけ病院がとりあえず紹介出来ると言った大学病院)・D(自分の勤務先の大学病院)の候補を決めて、翌週にまずA病院で意見を聞く事にしました。 Aを選んだ理由は、週に2〜3日来ている医師が某大学病院で長く手術をしていて評判が良く、退官後はA病院と自分の一族の経営するX病院で診察をしている事がネットサーチで分かったからです。 A病院の婦人科は2008年に卵巣嚢腫という誤診記録もありますが当時の医師ではないし、研究室の独立時に過労で倒れて担ぎ込まれたり、学生とのトラブルで胃潰瘍になりかけた時に胃カメラも飲んでいるので私の体調の記録を一番持っているんですね。 結局はそこで急遽手術と精密検査が決まりました。 11日にA病院を訪れ、婦人科の窓口では「10センチを越えた筋腫が2つあって」と言ったらまず看護婦に驚かれ、問診票に「息苦しさ」「足のしびれ」などと書いたら赤ペンで丸を付けられました。 既に私の立ち姿はお腹を突き出して反り返った状態で、立ったり座ったりする度にお腹を押さえてフゥフゥ言っていたので、普通ではない見た目だったと思います。 そして診察室に入るなり医師に「筋腫、大きすぎるでしょ」「取るしかないよ」と言われました。 内診では「13センチはあるよ・・カメラに映りきらないし」「ずいぶん我慢したんじゃないの?」と言われ、降りたところで「息切れから深部静脈血栓が出来つつある可能性が考えられるので、急いで造影剤を使ったCTと骨盤内のMRIを撮ろう」と言われました。完全に手術前提で話が進んだのですが、「急に成長した場合は筋腫ではなく肉腫であった可能性が考えられるし、通常の子宮癌検診では分からないので、全摘をして組織検査をすべき」「ただの筋腫だとしても今すぐ取って当然の大きさだし、閉経しても小さくなるとは思えない大きさ」とも言われ、命を守るためには絶対手術だろうと思っていた気持ちに踏ん切りがついたので、このままお任せする事にしました。 CTとMRIの結果によっては手術を急ぐそうです。 A病院の手術室は混んでいるので緊急手術になっても対応出来ないし、その医師が経営しているX病院(婦人科専門でかなり大きい)の方が手術数が多くて安心だろうという事で、19日にA病院でCTとMRIを受け、その結果を21日にX病院に持参する事になりました。 その間の20日にこれまでのかかりつけ病院で子宮癌の検査結果と手術の紹介状を早めにもらう段取りになっています。 今後の考えられる展開数日前に生理が来たら腹囲が5センチ・体重が1.5キロ落ちて息苦しさも軽減されたので(足のしびれは残る)、子宮絡みのトラブルである事は大体確定したと思います。今後の展開によっては平常心でいられなくなる可能性も考えられるので、今のうちに最悪の展開をいくつか書きだしておきます。 子宮全摘後の組織検査で悪性腫瘍が見つかったら→命に関わる病気として長期治療を受ける http://soft-tissue-tumor.seesaa.net/article/398179725.html (私の子宮筋腫はここに紹介されている肉腫との鑑別が難しいタイプのようです) 悪性腫瘍で上皮系組織に由来するものを「がん」、筋肉・神経・骨などに由来するものを「肉腫」と呼びますが、肉腫の方が予後が悪い傾向があるそうです。 http://curesarcoma.jp/ http://blog.livedoor.jp/ope4kai/ 子宮肉腫の方の体験談はは元々少ない上にブログ更新が止まっている場合も多いのですが(ご本人が亡くなっているのではないかと思います)、治療が成功している方もいらっしゃいます。 http://yutori-dream.life.coocan.jp/index.html 一番良いのは、ただ大きいだけの筋腫(拳2つ分)がゴロっと取れて、手術は大変だったけれどスッキリしたね・・という展開なので、そうなる事を願っています。 この記事は昨日には書こうと思っていたのですが、セカンドオピニオンを受けて色々調べているうちに気が弱くなったようで、週末はインフルエンザで寝込んでいました(今日からロキソニンが効いている時間だけ動ける状態)。
何より健康を願う世代に入っている事を痛感しています。 |
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クリスマスの三連休の2日目は久しぶりにお腹を壊していなかったので、スマホのアプリに記録しました。 私は自分の怒りや悲しみを感じる事が出来なくなっている「微笑み鬱」だと分かって来たので、最近は自分の体調で自分の精神状況を測定する事を試みています。 「微笑み鬱」を初めて知る去年の同じ頃に「セロトニンのおかげで鬱病のどん底から這い出した」という記事を書いた頃は、さらに1年の低空飛行が続くとは思っていなかったのですが、医師には11月の診察で「何年も鬱病を病んでいるのだから、その分時間がかかると考えて気長に治療しましょう」と言われています。確かに心療内科は2006年くらい前から断続的に通院していますが、医師との相性が今ひとつであまり相談も出来ていなかったので、自分としてはハッキリと診断のつく鬱病になったのは2年前が初めてだと思っていました(それまでは「半年くらいの鬱状態」といった捉え方でした)。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/42901316.html しかし4年くらい前からの担当医は、私の診察記録10年分から私が通院前から微笑み鬱を患っていて、「気分が落ち込むと言いながら理路整然と話すのは躁鬱病」と診断されたのは誤診だったと言い、「微笑み鬱には良くある事ですが、ご自分では気付いていなかったんですね」と少し驚いた様子でした。 微笑み鬱の症状初めて聞く言葉だったので色々調べてみて、確かに自分は限界を越えても笑顔を絶やさない微笑み鬱だと自覚しました。https://karadanote.jp/22218 1年前の記事にも対人の仕事はこなせる・家庭生活もこなせる・・と典型的な症状が書かれています。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/67946051.html 最悪期は学生や家族と談笑した直後に相手の死角に入った瞬間から涙がこぼれて別の部屋にさりげなく移動する事もありましたが、鬱病は大体そんな感じだと思っていました。 微笑み鬱はホンワカした名前の割に自殺リスクが高いそうで、自分も2年前の診察で「今どんな気持ちですか?」と聞かれ、とっさに「死んで詫びたい」と答えたんですよね。 ツイッターで話題になった過労自殺の漫画の、電車に飛び込む事に救いを求める様子は当時の自分にも良くある気持ちでした。 http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/25/karoshi_n_12651602.html 医師によると過去の私の体調不良(原因不明のむくみや呼吸困難など)の一部は微笑み鬱の身体症状と考えられるそうです。 とうとう職場に打ち明ける最悪期だった2015年は医師に休職も勧められていたのですが、職場に相談しても自分が不利になるだけなので、2016年に入ってから技術員のNさんやごく一部の教員に「去年は凹んでいたので心療内科のお世話になった」と軽く話しただけで、継続して治療を受けている事は話していませんでした。でも今夏はどうしても仕事で無理のある場面があって、ストレスで失態を晒すよりは病歴を話して外してもらう方が良いと考えて、初めて事務の方に事情を打ち明けました。 しかし見た目が鬱病に見えないと言う人もいるだろうという事で、診断書と通院履歴を出した上で、学内の産業医の面談を受けるよう指示されました。 「女なのがいけないの」女性の産業医との面談は、微笑み鬱を知る前の9月でした。現職場に来た時に複数の教授から「歓迎していない」と言われた事、直後から始まった某教授の激しいアカハラは周囲に助けを求めても無視された事、研究室独立で退職勧告を受け学生指導を制限された事、昇進を何度も潰された事、本部推薦で昇進した時に「卑怯者」「厚顔無恥」などと面と向かって言う人がいた事などを、エクセルにまとめて報告しました。 「自分でも厳しい職場だと思いますが、ポスドク先でも”女のくせに生意気”と解雇されかかったし、博士時代も指導教員に”子供がいるのに研究なんて”と指導を投げられたし、会社員時代も研究テーマが軌道に乗る度に男に渡すよう指示されていたので、私が働ける場はどこにも無いです」 「学生を奪われて何年も頑張って来たのに、今になって業績が悪いと怒られて納得がいきません」 「でも、自分は被害妄想ではないかと思う気持ちもあるんです」 「どの職場でも被害妄想と言う人はいたし、最初の結婚も”オマエが身勝手に研究を続けるからみんなが迷惑する”と夫や双方の実家に怒られていたし、今の職場でもオマエの性格が悪いからこうなると言う人が複数います」 「職場でも家庭でも、自分と同じような立場の人がいなかったのでどう振る舞ったら受け入れてもらえるのか分からないんです」 「学生や家族を守るために快活に振る舞ってきましたが、もう気力が湧きません」 話すうちに自分の人生に救いが無いように思えてきて、涙がボタボタと落ちました。 すると女医さんは「アナタの何が悪いって・・そりゃ女なのが悪いのよ」と言いました。女医さんには、50代以上の女医や理系の教員は同じ苦しみを抱えている人が多く、そこからも個人の資質よりも時代の問題が大きい事が推定出来るので、自分を責めても生産的ではないと言われました。 それは気休めかも知れませんが、私に原因があるとしても私には研究続ける以外の選択肢は無いので、生産的にする方法を考えるべきだとは思います。 生き延びるために笑う微笑み鬱を治すためには作り笑顔を捨てて自分に攻撃的な人を切り捨てるべきかも知れないし、10月・11月の挨拶では「泣くより怒るように心がけている」と書きましたが、怒りを表面に出すと男社会の理系研究業界では付き合える人が激減するんですよね。4年前にも「笑う戦い」というズバリな記事を書いていて、私にとっての微笑みは生き延びるための手段なので、鬱になるとしたら微笑み鬱しかないのかな・・とも思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65661320.html 心の底の腐敗ガスまた、笑顔を続けているのは仕事のために上辺を取り繕うためではなく、きちんと研究や教育に取り組んでいればいつか分かってもらえるという期待もあるからです。実際、ごく一部の方は昔に比べると好意的なので、少しは労働環境は改善している感じはします。 しかしほとんどの人はそうではなく、退官した教授達は直接に悪態をつくか裏で悪口を言いふらしたまま出て行きましたし、仲良くしていると思っていた方が「bloom は負け組だ」と学生に言っていた事を知ってガックリした事もあります。 でも「あんな事をしたくせに・・」「かばってくれなかったのに・・」「裏でバカにしているのに・・」といった恨みがましい気持ちを出すと永遠に修復が出来なくなると思うんです。 それに世の中にはもっと辛い思いをしている人もいるはずだし、世の中どこでつながっているか分からないので、私に同僚のデータを盗んでくるように指示をした企業時代の上司と年賀状のやりとりを続けるなど忘れたように振る舞っています。 また、自分に好意的ではない職場では仕事でミスをするとボロクソ言われるので、攻撃材料を増やさないように振る舞わなければという抑圧感も続いています。 でも心の底で怒りや悲しみは腐り続けていて、2015年はそこに集中的なアカハラが重なって、腐敗ガスが一気に出た感じがします。 自分の心を観察する過去の事はそこまで分析出来ても、我慢をする事が日常化してしまったため今の自分がどのような精神状態なのか、自分はやはり分からないのです。そこで今後は自分の体調や行動を観察して客観的に数値化しようと考えました。 お腹の状態は2年以上ほぼ下痢が続いていて(汚くてすいません)何かの病気?ジェイロゾフトの副作用?と思って夏頃からアプリで記録していましたが、月曜日がいちばんひどいので精神レベルを反映しているようです。 脈絡無く出る涙が出る時は精神的に折れる直前で、胸のつかえた感じや不眠はその前段階として出やすいと感じています。 行動として分かりやすいのがメールを返信するまでの時間で、ひどいと1週間経っても返事が出来なくなります。同様にブログのコメント欄への返信も遅くなります。 振り返るとブログの更新も鬱病が悪化していた時期はほとんど出来ていないし、今も記事を書くのに異常に時間がかかるので、復調出来ていないんでしょうね。 最近は「リズムケア」というカスタマイズ出来るアプリを見つけたので、涙・不安感・疲労感などを数値化し、服薬履歴や睡眠時間などの記録も始めました。 観察と分析は研究者の得意分野なので、精神状況がかなり悪くても、仕事だと思って続けられそうです。「心を強く持たなくては」と自分を追い詰める気持ちへの対処は分かりませんが、「自分の心を把握して適切な対応をしなくては」の「把握する」までは色々な方法があるので少し救われます。 また、精神の不調と肉体の不調を分けて観察出来るようにならないと、ストレスだと思って甲状腺機能障害に気付くのに時間がかかように、生命の危機につながります。 「適切な対応」は本当は「休む」なのでしょうが、休む訳にはいかないので(だから微笑み鬱なのですが)腐敗ガスを抜く方法を何か考えようと思っています。 *この記事は見苦しい部分を編集して 1/15 に公開しました。
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新年度に入ってから初めて風邪をひきました。 ガイダンスが始まった頃からどうしても仕事がこなしきれず、3〜4時間睡眠が当たり前だったので、山場を越えて少しだけ気が抜けたのかも知れません。 喉が痛くて、鼻水が出て、関節が痛くて、熱があるので間違い無く風邪だよ・・と思うと妙に心安らかなんですよね。 今の職場に来てから色々なこと(ほとんどオフレコ)があって、ストレスのためなのか謎の体調不良を起こす事が何度かあり、そのうち1度は甲状腺機能障害と過労による気管支炎だと分かったのですが、後は関節が腫れたり呼吸機能が落ちたりしても原因が分からないまま何となく不調が終わったので、変な病気を抱えているかも・・と結構不安になりました。 ちなみに昨年は仕事でかなり行き詰まる事があり、胃痛が治まらないため病院に行ったら初期の胃潰瘍と言われました。 診察を受けている時の私のただならぬ様子に内科医に「心療内科にも行くように」と言われ、3年ぶりに診察を受けました。 http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/64212118.html (2010年の絶不調、原因は講師昇進に伴う周囲との軋轢) 両方で治療を受けて、4月の胃カメラでは神経性胃炎の診断まで回復したので(冷静に考えるとやはり不健康ですが)、最近は睡眠導入剤をたまに飲む程度で済んでいます。 表向きは普通に仕事をして、会議でも普通に意見を言うので、職場には「この女はゴキブリのようにしぶとい」と思っている人もいるので困っています。 まぁ、叩かれ続けても生き延びているのでゴキブリ並みの生命力ではありますが。 この先は全部分かりきった病気で不調になるならいいな・・と願う気持ちは、アラフィフの皆さんは分かりますよね?
久々に弱気の記事を書いたのですが、週明けからは気持ちをしっかり立て直して頑張ります。 |




