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2005年から愛用していた yahoo ブログですが、2013年のブログ炎上の時に私の身元を暴こうという動きがあり、双子を含む3人娘という特徴的な家族構成から娘達の学校から暴く方が早いのではないか・・などのネットのコメントを見て慌てて多くの記事を非公開にしたままだったので、記事を公開設定に戻すのが大変でした。 また、開設時からアカハラを相談する記事はファン限定にしていて、コメントも内緒で戴いていたので、内容に自分の周囲の人々のプライバシーが含まれていないか確認しながら公開設定に変更しました。 激しいアカハラを受けていたのは自分が研究室から逃げた10年くらい前までで、主犯の教授は2015年に退官しましたが、退官前後のアカハラが一番ひどくて心を病み、ブログ記事を書けなくなってしまいました。 鬱病は下痢や勝手に出る涙や呼吸困難など身体的な苦痛もありましたが、自分は過酷な状況を自分の能力(頭脳)で乗り越えてきたので、何より頭が回らなくなったのが辛かったです。 学生や家族に心配をかけないようにいつもと同じように行動しなければならないのに、自分の判断が狂っているのでは?という不安が強く、自分から出る言葉が汚れている感じがして、話す事も文字を打つ事も苦痛だったのです。 服薬とカウンセリングで少しずつ回復はしていますが、論文も書けないようになった自分がブログを書くのはおこがましいと思っていましたし、何を書いても誰の役にも立たない感じがしていました。実際、ここ2〜3年の記事は「頑張らなくては」と自分を𠮟咤するような内容の繰り返しでマンネリですね・・ やっと数年ぶりに論文がアクセプトになった頃に yahoo ブログの終了が発表されましたが、引越の気力も湧かず、最終日に慌てて記事の修正作業に入った次第です。 でも昔の記事を読み直す中で、自分が新型豚インフルエンザや放射能騒動などで科学者としての務めを果たそうと真摯に情報を集めて分析していた事を思い出し、それを励ましてくれる人もたくさんいた事を再確認しました。 学生に関する記事はどれを読んでも「暑苦しい指導だな・・」と思いますが、適当に流した事が無い点は確かです(それが学生に苦痛を与えているのかも知れませんが)。 娘達に関する記事には深い愛情を感じられるし、1号の高校受験や3号のムンプス難聴で一生懸命だった事も思い出しました。 バカ話はカラ元気で書いていた部分もありますが、自分が本当に元気になったら、もっとバカな話をして心から笑いたいと思いました。皆さんから受け取る言葉にも深い思考や思い遣りが感じられて、自分が授業で「人間と動物の違いは火や道具じゃない、文字に残す事で場所や時間を越えて知恵を伝える事が人間だけの発展につながったんだよ」と話していた事も思い出しました。 鬱病のひどかった時にはそこまでは感じられる状態ではなかったし、作業の締切日を設定されなかったらそのままにしていたので、良いタイミングだったと思います。 ブログ記事を頻繁に書いていた頃は、嬉しい事があったら記事で伝えようと思っていたし、悲しい事や苦しい事は気持ちの整理ができたら記事に記録しようと思っていたので、色々な場面で心の支えにしていました。 ブログサービス終了にはちょっと怒っている部分もありますが、無料サービスだったのですから感謝しなくてはいけませんね。 ブログ友さんの引っ越し先はバラバラですが、今後も色々な形でお付き合いを続けたいです。
最終日の記事なのでコメントできる人は少ないと思いますが、皆さんの引っ越し先はメール(bloom_komichi@yahoo.co.jp)などで教えて戴けると有り難いです。 |
今月のご挨拶
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認知行動療法のグループカウンセリングを受けて、生き方を再構築しなければ・・と思った話の続きです。 感じ方・考え方とそれに伴う行動を修正する必要であるところまでは分かったものの、グループカウンセリングでは望ましい形までは考えが固まらず、少しマシになった睡眠の乱れや腰痛や下痢もカウンセリング終了後にまた悪化し始めたので、5月から個人カウンセリングを受け始めたところです。 正確に言えば、カウンセラーと面談をしてこれまでの症状や受けた治療や今困っているところまで伝えて、カウンセリングが可能かどのような手法が好ましいのか検討してもらっているところです。 カウンセラーに自分の育ち方やこれまでの仕事でのトラブルなども伝えているのですが、その過程で「正しい事をしたい」「本当の事を知りたい」というこだわりが見えてきて、それが自分を苦しめるとともに生きる支えになっているようにも感じています。 理屈に頼るしかない生き方私は物心ついた頃に難聴になった事をきっかけに親との関係が悪いままで、愛情に包まれる感覚は祖父から少し受けただけです(その少しが大事だったのですが)。https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/36953764.html 私は親の批判から心を守るために彼等の矛盾を探る事に頭を使っていた記憶があります。 その反面「親は自分のためを思って批判しているのでは?」という期待も持っていて、それを肯定する理屈も一生懸命考えていました。 自分が親になってやはり愛されていなかったという結論に至りましたが、彼等の死期も近づいているし、十分に親孝行もしたので、淡々と付き合おうと今は考えています。 ただ、身近に目標とする大人がいなかったためか、私は「正しい事をする人になりたい」「正しい事は何か?」と今も色々な場面でこだわっているようです(みんな同じように考えていると思っていたのに、自分のこだわりが強い事に初めて気付いた)。 それに連動して「本当の事は何か?」と深掘りする思考回路になっているようで、それは「本当は愛されているのか知りたい」という子供時代の苦しみに派生しているのかも知れません。 そもそも周囲の言い分を聞いていたら、最初の夫に「親になっても夢を見るのは頭がおかしい」とか双方の実家に「地獄に落ちる」「母親失格」などと言われて研究を諦める事になったので、「それは家族として正しい言い分か?」と考え続ける必要がありました。 大学院やポスドク先で「子供がいながら研究をするなどふざけている」と攻撃されたり、職場で退職圧力を受け続けていた時も「本当に自分が悪いのか?」と考え続けていたので辞めずに済んだ訳です。 事実を直視する苦しみ過労で倒れても鬱病になっても研究に執着するのは、科学的に正しい道筋で真理を探究する事が、社会に受け入れられる方法であり、自分の倫理感を満たすからなのでしょうね。そして運の良い事に自分の頭脳と直感はかなり研究向きなので、何とか結果を出してきたつもりです。 しかし最初の職場(企業)でも、退職してから入学した大学院でも、2回のポスドクでも「お情けで入れてやった」と言われ続け、今の職場も「公募を流すとまずいからとりあえず採用しただけ、誰も歓迎していない」と言われた事は、未だにわだかまりになっています。 研究ではデータが全てなので、自分が期待した結果も受け入れなくてはいけません。 ですから私に出て行けという教員が複数いる”事実”は認めるべきです。 ただ、その理由や改善方法が分からないので「本当の事を知りたい」と苦しくなります。 私を攻撃する言葉が「女のくせに」だけなら性差別だけだと分かるのですが、「生意気」「職場の雰囲気を悪くしている」「研究の能力が無い」などの罵詈雑言は自分の人間性や能力に原因があるのだろうか・・と気に病んでいます。 信念の通りに行動できない苦しみ特にここ数年は鬱病の影響でデータは何とか出し続けても論文にまとめる気力が湧かず、業績の停滞を攻撃されるのが辛かったし、自分も正しい行動(職務の遂行)ができていない事も辛かったです。2015年頃は別の原因もあって(気持ちの整理ができたら書きます)自責の念が強く、「死ぬしかない、死ぬ事こそが正しい」といった変な声が聞こえてきて危ないところでした。 正しい事をして、本当の事を知るために研究を続ける薬とカウンセリングに救われた今は、自分は本当に大学教員にふさわしい人間なのか、論文を書いて確認しようという気持ちに傾いています。そして論文が何本か出せて自信がついたら、自分が職場で受けた仕打ちを公開してこれは正当なことなのか?と世の中に問うてみたいという気持ちも少し湧いています。業績が増え続けたらそんな事はどうでも良くなるのかも知りたいです。 *この記事は1年以上放置していて、2019年の8月に公開しています。あれから論文1本は出しましたがまだまだ足りないし、正しい事ができていない自分には発言権が無いような気がして、ブログを書く事ができなくなっていました。その後、1ヶ月に1回のペースで「スキーマ療法」というカウンセリングを受けていて、少し考えがまとまるようになってきたのと、ブログの引越が迫って記事を整理した次第です。
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年末から鬱病の治療のためにカウンセリングを受け始めているのですが、今まで意識していなかった事について考えたり、動かした事の無かった感情に触れたりするので、生き方の再構築をしているのかも知れないと考えています。 やり方を変えるしかない私はそもそも自分が鬱病だとは思っていませんでした。2006年に初めて心療内科を受診し医師が鬱病の可能性を指摘した時に「鬱病は悲しい事も無いのに気持ちが沈んだままなのであって、自分は職場で辛い立場にあって辛いと思っているだけ」と反論して、「じゃあ躁鬱病」と怒られてから特に相性の良い医師も見つからず、苦しくなったら睡眠薬をもらいに行く・・という形で頑張ってきました。 https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/44138645.html (心療内科2回目で躁病と言われる) しかし2013年に学生対応で胃潰瘍になるほど苦しんで心療内科に行った時に、話しやすい医師に担当が代わっていて、色々な相談ができるようになっていました。 2014年から職場でかなり辛い事が続いて2015年に希死念慮が出た時に抗鬱剤を処方されて理性を取り戻し、医師の話が理解できる状態になったところで「躁鬱病は誤診」「長期間の微笑み鬱でかなり危険な状況」と言われなかったら「気付いたら死んでいた」という事態になっていたかも知れません。 しかし意欲や集中力の低下は続いたままで、2017年からは薬の種類と量を増やして平常心を保っています。不眠も続いていて睡眠薬が止められず、2〜3月も入試業務で同僚と顔を合わせる機会が増えたら緊張感から激しい腰痛になり、今も長時間座ることができません。 新年の挨拶に「命を削ってでも研究ができる環境は守りたいし、研究のために治療を受け、出来る限りの努力をするつもりです」とは書きましたが、命が削れる方が先だったか・・と愕然としたのが2017年の手術でした。 心療内科の医師に「これまでの体調不良も鬱が身体的に出ていた可能性が高い」「下痢などの炎症が続くと癌が出やすくなるなど、本当の病気が発生する事もあるので、じっくり治療をしましょう」と言われていたので、間に合わず癌になったのか・・と絶望しかかった事で、鬱病カミングアウトやカウンセリングに踏み切れる事が出来ました。 https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65724533.html (半病人の記録) 自分のネガティブな心と付き合うカウンセリングはリラックスするための呼吸法の練習、鬱病に関するグループ学習、個人面談などいくつかの活動から構成されています。詳細はもう少し元気が出てきたらブログ記事で紹介しようと考えていますが、全体には「ネガティブな心との付き合い方」が主要なテーマのようです(勉強途中なので十分に理解していません)。 特に私の場合は自分の苦しみ・悲しみを認め自分を労る事が課題だとカウンセラーに言われていて、最初は意味が良く分からなかったのですが、何回目かのカウンセリングで呼吸困難になるほど号泣して自分の恐怖心や絶望感の強さを自覚しました。その晩は良く眠れた事にも驚き、ネガティブな気持ちを何らかの形で処理する必要があると考えるようになりました。 医師に「自分の気持ちが自分で分からない事などあるのでしょうか」と聞いたら、「無意識にいつもの道を歩いて帰れるという事は、脳には無意識の領域がたくさんあるのですよ」と言われて脳科学的には面白いと思いました。今まで色々な職場を経験していて、友達も結構多い方なので、自分なりに考えて生きてきたつもりだったのですが、たまには専門家の力を借りるのも良いかも知れません。 他人のネガティブな心と付き合う私が自分の気持ちをどう扱うべきなのかはまだはっきりしていないのですが、カウンセリングの過程で「自分の心に無頓着なために他人にも鈍感になっているのかも知れない」と思い至るようにはなりました。私は学生からの相談を受ける事も多いのですが、その時に「どうしたら問題が解決するのか」という意識で対応してきました。 自分も職場で嫌がらせを受けても「泣いても救われない、それより出来る事を考えよう」と割り切るように努力してきたからです。 でもカウンセラーに「本当は泣きたくなるくらい、同僚と良い関係を作りたかったのですよね」と言われた時に涙がこぼれるとともに少し温かい気持ちになって、自分は学生にそのような言葉はかけていなかったな・・と反省しました。 大学における私の職務はカウンセリングではないので、この先も解決策だけを考えるべきかも知れません。しかし自分が学生の心に寄り添っていないという自覚だけは必要だと今は考えています。私が硬直した生き方を続けると、3人娘も自分を許せない人になってしまうかも知れない・・という懸念もあるので、しばらくカウンセリングは受け続けようと考えています。 生き方はいつからでも作り直せる私が会社員を辞めて大学院に進学した20代の頃「男でも学位を取るにはもう遅い、女だからのたれ死ぬ」と会社の男性達にからかわれて「自分の人生はいつからも作り直せるしいつまでも作り続けられる」と反論しましたが、それを娘達に伝えるためにも私は前に進み続ける必要があります。いや、立ち止まったり休んだりするような生き方の再構築が必要なんですよね。 でも、やっぱり前に進んでいるような気もします。 追記:この記事は2ヶ月ほど寝かせて見苦しい部分を削って「再構築」しました。腰痛は4月にやっとおさまってきて、5月は普通に仕事ができるようになっています。
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精神状態が悪くてブログを放置していましたが、底だったのは5〜6月なのかな・・と思う程度の判断力は取り戻してきたので、ここ数ヶ月の状況をお話します。 肉体は回復しても精神は悪化助教として着任した直後から教授にアカハラを受け続けて独立したものの、その教授の退官に伴う片付けで再び希死念慮を持つまで追い詰められ、2015年から鬱病の治療を受ける中で子宮肉腫の疑いを指摘され。手術で良性腫瘍と分かって復帰した・・までがこれまでの報告です。2ヶ月療養指示を守らなかったため4月には激しいギックリ腰で椎間板ヘルニアの精密検査を受けましたが年齢相応の腰椎のズレという診断になり、またも命拾いをしました。 5月には運動の許可も出たので肉体は順調に回復していますが、精神状態は復帰から急激に悪化して、再び他人と関わる気力が無くなり、私用のメール返信は放置しているものが多数あります(この場でお詫びします)。 この状況を改善するためには自分が直視して来なかった苦しみを認める方が良いと考え、ブログでも正直に書く事にしました。 職場が怖い自宅療養中は2年以上続いていた下痢が止まり、睡眠薬無しでも眠れるようになった事が、自分の闇に気付く伏線でした。ビオフェルミンや運動など試行錯誤を続けても改善しなかった問題のいきなりの解決を不思議に思いつつ「不規則な生活が良くなかったのか」と考え、GWまでは定時帰りをする事にしました。 しかし復帰直後から下痢が再開し、通勤電車で涙が出たり、居室で呆然としていたり、仕事の効率はどんどん悪くなっていきました。 原因のアカハラ教授は昨年後半には大学に来なくなったのに鬱病の治療が長引いてる事を心療内科で相談した時は「10年以上苦しんでいたのですからすぐには回復しませんよ」とは言われていたのですが、とうとう居室で呼吸困難になって(手術後の血栓か?と恐怖を感じましたが、「うつヌケ」で紹介されていた呼吸法で動けるようになったので心因性だと思います)再び相談に行きました。 担当医に「大学に行くのが辛いです」と話をしているうちに、「自分がふがいないです」「みんなお前を嫌っている、と言われています」という言葉がふと出ました。 そうしたら鬱病の治療中である事を認めてもらった時の産業医の面談と同様に涙が止まらなくなり、私の一番の苦しみは教授との関係より同僚との関係だったと気付きました。 https://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/68358218.html 担当医には「bloom さんの環境では職場が怖いと思うのは当たり前です」と言われたので、以前から担当医は私の鬱の原因が分かっていたのに私自身はそれを直視して来なかっただけのようです。 「みんなが嫌っている」という呪詛私の着任時は別の候補を推薦していた教員達から「誰も歓迎していない」と拒絶され、アカハラ教授から独立した時はさらに何人かの教員から「部局の秩序を乱した」と罵られた・・という経緯はたまにブログで触れていましたが、私を嫌う同僚の態度は長期に渡って私の気持ちを重くしていました。例えば彼等には「みんながあなたを嫌っている」と言われていて、「みんな」が誰なのか分かりませんが、教授全員一致での退職勧告があった時の教授は全員私が嫌いだったと推測されます。 実験スペースがもらえない、情報を回されないといった不利益は講師昇進で緩和されましたが、仕事でのお願い事を無視されるとか学生が発表会で攻撃されるような嫌がらせも続いていたので恐怖心は抜けませんでした。 明確な攻撃性を見せない教員の心の中は今も分かりません。 アカハラ教授が女子学生にストーカーをしている、論文を書かない、私の研究費を流用しているといった悩みを聞いてくれた教員も何人かいましたが、その中に私をバカにしていたり私を陥れる行動をしていた人もいるし、誰も助けてはくれなかったので「みんなが嫌っているかも知れない」という苦しい気持ちは続いています。 でも職場の飲み会でそう漏らして引かれた事もあるので、なるべく口にしないようにしてきました。 同僚を嫌いたくない私の側にも、着任直後から何人もの教員に学生のケアをお願いしてきたのに体良く断られた事に対して「退学者や心を病む学生が出続けても自己保身か?」と軽蔑する気持ちがあります。それでも私は同僚を嫌いになれません。 どの人も研究者としては尊敬出来る部分はたくさんあるし、教員間の軋轢は学生達の不利益にもなるからです。 それに仕事でもプライベートでも自分から関係を切ってやり直す機会を失う事は嫌なんですよね(やり直せた事はほとんど無いのですが)。 同僚を肯定する=自分を否定するでも同僚を肯定すると「みんなが・・」を認める事になるので、私はその問題を直視しないようにして10年くらい前から心療内科に度々通って何とか凌ぎ続けました。何度か休職も勧められましたが「精神の弱い研究者」というレッテルは不利になるし、学生にも不安を与えるので、心療内科はたまに行く程度と話していました。 それどころか周囲に「元気がもらえる」と言われるほどの明るさを振りまいて、自分を嫌悪する教員達から「平気な顔で大学に来る面の厚さに呆れる」とさらに罵られた事もありましたが、自分ではまだ頑張れると思っていました。 しかし振り返ると着任当初から部局の会議の日は下痢をする事が多く、身体症状は出ていたんですね・・ 自分を好きになりたい産業医には「女なのがいけない」と言われましたが、主治医にも「時代がいけないんです」「あなたくらいの年代の女性で、同じように苦しんでいる方はたくさんいますよ」と慰められました。でもアカハラ教授を含め複数の教員が長年に渡って私の欠点を色々とあげつらってきたので、性別や時代ではなく自分が悪いのでは・・という気持ちはなかなか抜けません。 でも研究は自分のアイデアやデータの素晴らしさを世に伝える面があるので、自分が嫌いなままだと良い働きが出来ません。 それにせっかく生まれてきたのに、他人になり代われる訳でもないのに、自分を嫌いでいるのは辛いです。 ただ今ドーピング中そのような訳で、8月からは抗鬱剤と睡眠薬の種類や量を増やして、まずは薬の力で論文を書き、論文を書いた自分を好きになろうとしています。認知療法など薬以外の方法も模索しています。 業績を増やしたら同僚に受け入れてもらえるかも・・といった期待もありますし(気に入られたいという気持ちが自分を追い詰めているような気もしますが)、平常心を装ってきたおかげでデータは順調に出続けているのでそれを論文という形で世の中に問いかけたいという気持ちも高まっています。 今春で私を攻撃する教員が5人まで退職したのでここ半年は心を抉られる事も無くなり、毎日研究室を出る時に「ほら、今日も無事だったじゃない」と自分を励ましています。 本当は薬や自己暗示など使わずにありのままの自分を好きになれたら良いのでしょうが、ブログでちょっと弱音を吐いて薬を飲み続けるのが私が今の精一杯の戦いです。 追記:この記事は1ヶ月をかけてまとめ、もう一度見直して 10/15 から公開しています。増薬のおかげで仕事のメールは普通に返せるようになり、下痢も改善中です。プライベートなメールも少しずつ返していくので気長にお待ち下さい。
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