Blue Winds

プリンスエドワード島から青い風にのせて・・・

風吹きヶ丘より

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Happy Valentine’s Day!

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1月からバレンタインセットの発送を始めたので、もうずっとバレンタインダーのような気分でした。我が家のデコレーションは、張り出し窓にハートを飾っただけですが、家の中は毎日クッキーを焼くにおいで満ちていました。
今回もセールに参加して下った方々、本当にありがとうございました。

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さて、我が家のバレンタインデーのデザートは、初登場、異色のマフィンです。
チョコレート色も濃いこってり甘そうなマフィンに見えますか?ちょこちょこと覗いている白っぽいものはなんだろう、って?
これは、バナナ・チョコレートマフィンなんです。しかもNO FATで、ほんの少ししかお砂糖も使っていなくて、卵も卵白だけという変わり者。もっと変わってるのは、お豆腐を使っているという事実。
ちょこっと覗いているのは、バナナとつぶしたお豆腐なのですよ。
私たちは時々ケイタリングサービスもしています。お客さまの中で、野菜中心の食事や、LOW FAT LOW SUGAR のデザートを所望する人もいて、新しい分野にも手を伸ばす機会があります。LOW FAT のデザートなんていうのはまさにそんなチャレンジ。私はデザートはハイカロリーでも、バターを使ったほうが好きだし、おいしくないと嫌だという確固たる意見の持ち主です。だからLOW FATは私のテリトリー外だったのですが、今は肥満も大問題、そんな中で太る元を製作し続けていては、やや気が咎めなくもない・・・・というか、まあ、新しいものへの興味も手伝って、去年あたりから異色のマフィンに何度か挑戦してきたのでした。

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とっても正直な話ですが・・・私はマフィン作りが苦手です。Bakingは大体なんでも好きなはずなのに、マフィンとはすごく相性が悪くて、昔から失敗ばかりしているのです。
Bakingをほとんどしない人でも大抵のカナダ人はマフィンぐらいは作ります。何しろ、混ぜて焼くだけという簡単さですものね。
それなのに、私はいつもどこかで失敗して、出来そこないを何度も作り出しました。
思い出せば、砂糖を入れ忘れた。オイルを忘れた。卵を忘れた。小麦粉の量を間違えた。
型に張り付いて取り出せなくなった。出したと思ったら転がり落ちたり、逆さまに落ちて、頭がつぶれたり・・もうありとあらゆる失敗を重ね、すっかりマフィン嫌いになって
「もう作るもんか」 と決めていたぐらいでした。
でもやや必要に迫られたため、去年もLOW FATのポピーシードマフィンを何度か試したけれど、どうしても頭がツンツンにとがって変な形にしかなりませんでした。でもおいしかったら形なんて気にしない、という寛大なお客さまだったので何とかパスしましたが。

今年もマフィンか・・・どうしようかな。などと迷っていた時に、ふと面白いレセピをみつけたのです。これはケーキのレセピで、LOW FATではありましたがギョッとするほど大量のお砂糖が使われています。でもバターもオイルもなし、お豆腐を使うというところに惹かれて、これをマフィンにしてみようと思い立ちました。

最初に作ったのは、焼いても焼いても中がべっとり気味でした。でも食べてみると十分おいしくて、熟れたバナナの甘味がちょうどよく感じられました。レセピどおりのお砂糖を入れていたら強烈な甘さになっていたにちがいないと思いました。そのあと、2〜3度、作りましたが、バナナの量と熟れ加減でかなり出来上がりに違いが出るようです。でもこれまでのような失敗なく出来るのが不思議で、オイルもバターも入れずにまともな形に焼き上がることにすっかり気をよくしてしまいした。昔オイルを入れ忘れた時は、真中が象の鼻のように伸びてしまったように記憶していますが。それともあれは卵を忘れたマフィンだったか・・・・・。

LOW FAT所望のお客様は実はお豆腐が嫌いです。でもこっそり「LOW FATのチョコ・バナナ・マフィンよ」と渡したらすっかり気に入って、TOFUが入ってることを告白すると、びっくり仰天していました。

豆乳は今ブームとか、豆乳デザートが日本では沢山あるみたいですね。でもお豆腐を使ったデザートなんて知りませんでした。こちらの人にはあまり慣じめないお豆腐を、「豆腐らしくなく」料理するのがミソといったところでしょうか。しっとり仕上がるのが嬉しいです。

さて、チョコ・バナナマフィンの作り方を簡単にご紹介しますね。
バナナは3本くらい、熟れすぎぐらいに熟れたのをつぶして250ccのカップ1杯(もう少し増えても大丈夫)、木綿漉し程度の豆腐230gもつぶして一緒にします。
粉類は、全粒紛でも白い小麦粉でもOKで200g、ココア50g、ベーキングソーダ小匙 1.5杯、ベーキングパウダー大さじ1杯を振るって一緒にし、その中にバナナ&豆腐と、卵白2個分にブランシュガー大さじ2〜3杯を混ぜて、バニラエッセンスを加え、180度で焼くだけです。
ブラウニーのようにやや焼き不足の感じの方がいいかもしれません。時々チョコレートチップも加えたりします。温めて食べないとあまりおいしく感じないと思いますが、バナナの熟れ加減や甘さでずいぶんと味に変化があります。
簡単につくれるけど、おいしいバナナに出会うのもこちらでは50%ぐらいの確率だし、ふつうだとバナナは買っても熟れるのに何日もかかってすぐに作ろう!って訳には行かないのが難点です。


- Terry -
大都会トロントは、日本の都会に比べたらだだっ広いだけで、なんでもかんでも日本のようにものが揃っているわけではありませんでした。
でも、驚くほど多人種の街なので、さまざまな国のレストランやベーカリーがあり、その大半はそれぞれがその国の人たちによって営まれていました。
日本にいた時には知らなかったジューイッシュのパンやイタリアン・ベーキング。
私は特にベ−グルや、イタリアの黄色いたまごパン(名前はずっと知らないままでした)が大好きでした。それに、チャイニーズの兄弟が始めた手作りのアイスクリームには長い間、病み付きになっていました。
ところが、ケーキやクッキーとなると、どこにも好きなものがないのです。
立派なショーケースにずらりと並んだ手の込んだケーキの、身震いするほどおいしそうなものを買っても、一口食べたらその甘さに身震いするだけ・・・という場合がほとんどで、何度もがっかりさせられました。
甘さの感覚はどう考えても日本人と北米人とでは違っているようです。
北米人だけでなく、ヨーロッパ人もそうなのかもしれません。どこのベーカリーでもお菓子はとにかく甘かったものです。大きくて甘くて、時にはすごい色をしていました。
パンに関しては、トロントでずいぶん好きなものを見つけられたし、勉強になったのですが、ケーキに関しては私は自分の味を続けていこうと決心しました。

それからPEIに引越すことになりました。
ようやく「自分たちのビジネス」が実現できそうになったからです。でもそれはトロントでは無理でした。不動産の値段がうなぎ上りの時でしたから、私たちに手に入れられるスペースや建物など、全くありませんでした。
私たちにできたのは、家を売ってそのお金でPEIに移り、ビジネスを始めるという方法だったのです。
いつか住むんだと決めていたPEIに、思いのほか早く引越すことになり、またもやさまざまな不安と共に転換を迎えたのです。

でも、今度ははっきりと「ティールームを始める!」という確固たる意志を持っていました。

自分の好きな手作りのケーキや軽い食事を出すお店。日本風でもなければ、カナダ風でもなく、おいしくて好きなものなら国籍なんて関係なし!
そうは言っても、私たちが作るものはどこか日本的、というイメージが必ずありました。

日本人でよかったな。
時々そう思います。
甘過ぎないケーキがおいしいと言ってもらえたり、盛り付けがきれいだと喜んでもらったとき。
日本人の感覚を持ち続けて、それを大の甘いもの好きのカナダ人にも認めてもらえるのは、意外でもあり、それにも増して嬉しいことでした。
つまりは、カナダ人の許容範囲がとても広いということなのでしょうか?
頭痛がするほど甘いファッジも好きだけど、私の作るケーキもおいしいと思うのは、私には実は、いつまでたっても謎なのですが。

ティールームを始めて、とうとうベ−カーという職業になったのは事実ですが、ここでお店を持っていなかったら、私のベーキング熱もここまでにはならなかったかもしれない、そう思うことがあります。

それは、ある人との出会いです。

お客さん& 友人の一人に私が初めて出会ったグルメがいました。この人一家がいなかったら、私たちは今ほどティールームに熱心ではなかったかもしれません。
というのも、だんだんカナダ人の好みや要望に合わせて、巨大な盛り付けをしたり、甘さを手加減しなくなったり、おおざっぱになってしまう可能性も決してないわけではなかったからです。
そんなふうに私たちがダレてしまう前に、食べ物に一等うるさい人と一番の友達になったものだから、逆に強烈な刺激を受け、奮い立つことになったのでした。

フランス育ちのアメリカ人 ウィリー一家はお寿司をはじめ、日本食が大好き、シーフードが大好き、手作りのスイーツが大好きでした。
こんなカナダの端っこで、そんな彼らと日本人の我々とが知り合ったのは、何という偶然だろうと、いまでも思います。
食に関する知識は、まるでお料理の本を読んでいるかのように、彼らの口からさりげなく流れ出ます。私たちは講義を受けるよりも熱心に、彼らとの会話を吸収しました。
何度も一緒に食事会をしました。
クリスマスや誕生日には、自分では手が出そうにないお料理やベーキングの本をプレゼントしてもらい、パーティーの度にお寿司やデザート作りを依頼されました。

ウィリーたちに満足してもらえたら、他の人が何と思おうと構わなくなっていました。ここではウィリーの「お墨付き」がブルーリポンだったのです。

一人やふたりの人の意見に固執するのは正しくないかもしれません。でもその人のレベルが自分の目指すもの以上であれば、目標はいつも高く掲げることができます。
私の場合、お料理やお菓子の学校にも通ったことがなく、すべてが独学です。
この人、という師事する人がいなかったため独学の範囲もボーダーラインがあやふやになり兼ねませんでした。そこへ、私の作るものを気に入ってくれる「グルメ」が現われたというのは、私にとっては思わぬ幸運だったのです。

ウィリーは気まぐれでいつ何を言い出すかわからない人です。
この20年近くの間に、彼は何度か甘いものを断ちました。そんな時はどんなにすすめても絶対にデザートを口にしません。
ところがいつのまにかブレークダウンして大好きなバナナクリームパイを3切れも食べたりするのです。
当てにはならない人だと思いつつ、20年、私たちの作るものを変わらず気に入ってくれているのは・・・・・とてもありがたいことだと思います。
私たちの、特にベーキングのスタンダード維持に、彼のような人は貴重な存在にほかなりません。

それに私にとってラッキーだったのは、ウィリーの好きなお菓子や、子どもの頃から親しんできたお菓子に共通のものが多かったことです。
例えば、「チョコレートエクレア」や「ムース」をメニューに出して驚きました。
「チョコレート・・・イー・・なあに、あれは?」
「マウスケーキ、ってなんだ?」
そんなふうに、読めない人や、何なのか知らない人の方が多かったのです。
もともとヨーロッパから来たお菓子やなど、日本人にとってはありきたりのものでも、PEIではわけの分からない代物であり、聞いたこともないものだったようです。
そんな時にはウィリーとなら話が簡単に通じて爽快でした。

その内お客さんや近所の人のなかには、「テリーは、フレンチ・ペイストリーを作るのよ」といい出す人が出てきたり、「ここのデザートのほとんどは聞いたこともないものばかりだわ」と言いながら、何でも気に入ってくれる常連さんができたりしました。
そして、「甘すぎないから好き」だというお客様もずいぶん増えてきたのです。

『「赤毛のアン」のお料理BOOK』の制作のために、19世紀のお料理の本やお菓子のレシピを調べた時に、今だから告白しますが、本当はとても困りました。
とくにお菓子の数はずいぶんあるのに、レシピを探しても探しても名前だけちがって、似たようなものばかりだったのです。
お砂糖が高級品だった時代のお菓子には、ほとんどの場合、モラセスという廃糖蜜が使われていました。安上がりのお菓子としてはまさに現実的なのですが、どれもこれもがモラセスのこってりした風味になると1冊の本としてあまりにも変化がなさすぎるのです。
それに、私の「お菓子作り」の引き金となった、「アン」の世界のお菓子というのはこういうものだった・・・その意外さに驚きもしました。
祖国イギリスやスコットランドなどから持ち込まれたレシピがあるとは言え、日本人の感覚の「洋菓子」とはかなり違っていたことは確かです。
「とても素朴」というのがまず一番の印象でした。
シュークリームやレモンパイなどはスペシャルなデザートであって、いつでも簡単に「シュークリーム食べたいな」なんて思いついて、すぐに食べられるものでは決してありませんでした。
でもそういう特別のデザートの華やかさで「お料理BOOK」にも変化をつけることがで
き、モンゴメリの食生活への深い興味に感謝したものです。

面白いのは、アイランダーだけではなく、多くの北米人のお客様には「お料理BOOK」で紹介したビスケットを使った「イチゴのショートケーキ」や卵白を10個ほども使う「エンジェルケーキ」やモラセスの香りの「ジンジャーブレッド」など、私自身にもカナダに来るまで馴染みのなかったものが、「懐かしい味」のようです。「おばあさんがよく作ってくれたのにそっくりだ」といったコメントをずっと受け続けています。
日本からやってきた私の味がカナダ人の「おばあちゃんの味」を彷彿とさせてくれるとは、これも別種の褒め言葉なのですね。

今では、私の中でも一口にベーキングと言っても、いくつかの分類分けができてきたようです。
自分の好きなもの・お客様の大好きなもの(モンゴメリのレシピである“ニュームーン・プディング”がその代表)・ PEI らしいもの(例のイチゴのショートケーキ)・日本人のお客様が好きそうなもの・ティールームでは出さないもの(冬にしか作れないクロワッサンや時間のかかるフランスパンや・・・出したくても出せないものがたくさんあります)

仕事としてのベーキング、自分のためのベーキング、趣味としてのベーキング、そんなふうに一年中、何らかの形でお菓子やパンを焼いていることがあたり前になってしまいました。
いつでもベーキングしていて飽きないというのも、人からはずいぶん不思議がられますが、本当に飽きることがありません。
それどころか何かのはずみで、ベーキングができなくなったらどうしようかと、時々真剣に考えるほどです。

年取って、もっとよぼよぼになっても、何時間もかけてケーキを作っている自分をふと想像して、焼きそこないの“オーブントースター・チョコレートケーキ”が、そんな時に頭に浮かんできます。

「何時間も焼いてるのに、どうして焼けないのかなぁ?
ちゃんとしたオーブン使っているのに。」

その頃にはきっと、オーブンをONにしないで何時間も焼いたりしているに違いありません。

おわり
カナダに移住しようと決めた時には、「自分たちのお店」の夢はかなり後ろの方に押しやれれていました。
外国に住むということ自体が、まず大きな転換です。
うまくカナダで暮らしていけるかどうかも分からないときに、すぐに喫茶店を始めようとはむちゃな話です。
まず、トロントに引越す。そしてカナダに慣れること。
何年かしたら、ビジネスを考えてもいい。
でもPEIにも住みたいし、そうしたらどこでお店が持てるだろう?
いつそんな日が来るだろう?
モンゴメリの作品についての研究はいつできるだろう?

そんな予想のつかない想いや不安で頭をいっぱいにしながら、それでもきっと日本に帰って来ることはないだろうな、と思いつつ私たちは日本を飛び立ったのでした。

トロントに暮らし始めて「カナダってすごい国だ」と思ったのは一度や二度ではありませんでした。
溢れんばかりの光の洪水の如く、高層ビルや街の建物にはまばゆいばかりの灯りが灯っていて、それがなんともきれいなのです。節電、なんて言葉はないようでした。
冬になると、住んでいたアパートの暖房は勝手に入りました。
外がマイナス30度の寒さだというのに、部屋の中ではTシャツいちまいで過ごせるのです。それでいて電気代なんて払わないのです。(アパートのレントに含まれていました。)
古いアパートでしたが、冷蔵庫やクッキングストーブは設置されていて、その大きいこと!レンジの下は立派なサイズのオーブンになっています。

うわあ、これでベーキングができる!
私が喜び、ストーブに飛びつきそうになったのはいうまでもありません。

ベーキングなんて、カナダ人にとっては何も特別なことではありませんでした。
誰でも気軽にマフィンやクッキーを焼いたりするし、クリスマスやイースターにはターキーやハムをオーブンで焼くのはごく当たり前だったのです。
でもこんな大きなオーブンを見たこともなかったし、電気代やガス代を心配しながらケーキを焼いていた私には、ベーキングが生活の当たり前になるまでに少し時間がかかりました。すべてにやや圧倒されてしまった、というのが正直なところでした。

スーパーに買い物に行くと、また驚いたものです。日本ではぎょっとするほど高かった生クリームやバターなどの乳製品が安くて、これでベーキングをしないなんて考えられません。
それはそれは嬉しい発見でした。
それと、カナダのマイナス点が幸いしたのもあります。
ベーカリーやスーパーで売っているお菓子が、
「相当にたまらなくひどかった・・・」という事実!
自分で作るしかなかったというわけです。

そんなふうに、私のベーキング歴はトロントに来てからうんと緻密なものになってきました。好きなだけベーキングをしても、電気代に脅かされることがないとなると、だんだんカナダ人のように、気軽な思いつきでお菓子を作るようになりました。
働いていたレストランに持っていったり、友達を呼んだり、その内お菓子を買うということはなくなって、作るのが当たり前になりました。

そんなある時、友達のネリーが私に仕事をくれたのです。
「ねえ、デザート作ってくれないかな」
「どんな?」
「私、今ケイタリング・ビジネス始めたの。それで、今回映画撮影でトロントに来るスタッフたちの食事の契約取ったのよね。でもデザート作る人がいなくって、テリーに頼みたいんだ」
なに、映画スターたちのデザートを作れというの?
びっくりしました。
映画スターたちのためだったかどうか、とにかく彼女の仕事はある決まった期間、その映画スタッフのためにランチを作ることでした。
当時、お寿司はずいぶん北米で人気が出てきた時代で、ちゃんと寿司シェフまでいるという豪華な面々の中に私も含めてもらえたのです。
緊張しましたが、引き受けることにしました。
別に私は映画スターの目前でケーキを焼くわけではなく、家で作っておけば、ネリーが毎日取りに来てくれるだけの話、ほんとは緊張する必要などなかったのですが。

デザート用の冷蔵庫がないから、冷やさないとだめなものはよくない、と言われていました。でも毎日バターケーキやクッキーではつまらないし、作る方も飽きてきます。それで、旬のいちごを見つけた時、思わず買って、ストロベリー・カスタードタルトを作ってしまいました。
カスタード溶けてしまうかもしれない・・・。
「ネリー、これ作ったけど、やめた方がいいかな?」
「おおー、よだれがでそうだわ!持っていく、持っていくよ、ぜったい!」
喜び勇んで、ネリーは運んでいきました。
あの子、自分で食べちゃうんじゃないかと密かに心配しましたが。

次の日。
「テリー、いいニュースがあるよ」
ネリーから電話がありました。
「なになに?どうだった昨日のデザート?」
ネリーはへらへら笑っています。
「あんたと結婚したいって言う人みつけたよ」
「えー、なんだって?何の話?」
がはがは笑いながらネリーはいいました。
「きのうのあのストロベリー、すっごい人気でさ、みんな取り合いしてたの。それで、ボブがこんなにうまいタルトを作る人と結婚したい、って言ったのよ!」
ボブというのがディレクターだったのか照明係さんだったのかは覚えていませんが、
こんな褒め言葉をもらったのは、まさに初めてでした。冗談半分を割引しても、そんなに気に入ってもらえたなんて!!!

「じゃあ、タルト大丈夫だったんだ。よかったぁ」
溶けなかったんだなと、ほっと胸をなで下ろして私はいいました。
するとネリー、
「ああ、みんなスプーンですくって食べてたわ、ディーッリッシャス!って」
うっ、なあんだ。
結局みんな、溶けたカスタードタルトをおいしいって食べてくれたのでした。

それにしてもこんな経験はめったにないことで、私はいっそうベーキングを楽しむようになり自信もついてきました。
何と言っても、このカナダの状況が私のベーキング熱を盛り上げてくれたことは確かです。
アパートを引き払って、やっと我が家を持った時には初めての大きな借金ができ、かなり貧乏生活になってしまったのですが、それでも気にすることなくベーキングをしていたのですから、やっぱりカナダはいい国だったんですね。

短期間のプロとしての経験でしたが、トロントでのデザート作りで、私も真剣にお菓子作りを仕事にしたいと考え始めていました。
何よりも作ることが面白く好きだったのです。食べることより、もしかしたらお菓子に関しては作ることの方が、ほんの、ほんの少しだけ好きなのかもしれません。

つづく
この冬はふだんにも増してベーキングに励んだ冬でした。
突然のbrainstormで始めた「冬期限定Sweets Sale」のために、せっせといろんな種類のレシピを試し、お菓子を焼き続けました。
おかげでSweets Saleの常連さんもできたし、新しい友達も増えて、楽しみながら忙しく過ごすことができました。皆様に心から感謝です。

考えたらもう20年も私たちはティールームを続けています。私のベーキングだけ思い返せば、カナダに移住して以来25年、何かしらずっとお菓子作りをしてきました。
そのベーキングの発端を探れば、日本に住んでいたうんと若い頃に行き着きます。

子どもの頃、食べることにほとんど関心がありませんでした。お料理にも興味がなかったし、「食」は私の子ども時代に全く重要な位置を占めていなかったのです。

「お菓子作り」が私の人生に入りこんで来たのは十代の頃。
都会育ちの私は、自分の周りにさまざまなお店があって、お金さえあれば何でも手にいれられる状態に慣れていました。「買う」ということがあたりまえの生活でした。

ところが「赤毛のアン」に出会い、どっぷりアンの世界に浸かってしまったあと、手作りの生活の存在を教えられたのです。
生活のほとんどすべての必需品が手作りだった時代に、贅沢品とも言えそうなパイやケーキまでが農家の台所で作られていたとは・・・少なからず衝撃でした。
家でケーキが作れる?!
それは信じ難いことのように思えました。ケーキなんて、テレビでコマーシャルをしている不O家で買うものだと思い込んでいたのですから。

和菓子はあんこの甘さが苦手であまり食べることもありませんでしたが、洋菓子となるとアンの世界につながるものがあるという短絡思考で、「憧れ好き」になっていたのでした。
ケーキやパイやクッキーを、自分で作れるのなら、ぜひ作ってみたい!
そう思い始めたのが、アン・シリーズの大半を読み終えた中学生の頃でした。
でも、作りたい!と思っても私の場合、すぐにお菓子作りに挑戦できたわけではありませんでした。
家にはオーブンがなかったのです。
それからしばらくの間、「オーブンが欲しい」「お菓子を焼いてみたい」と思い続けて、お菓子作りの本を読んではため息をつき、いつか絶対オーブンを買おうと、こっそり決心していました。
不思議なことに、その頃将来ケーキ屋さんになろうとか、お菓子作りの学校に通おうとか、一度も考えたことがありませんでした。
何よりも、家で、自分の手でお菓子を焼いてみたい、という想いだけが強かったのです。

それから何年かあと、初めてオーブントースターというものが我が家に登場しました。
簡単なクッキーぐらいならこれでも焼けるらしい。
それを知ると私は思わずにやり・・。
「よし、ケーキを焼いてみよう」と大きく企んだのです。

材料を買って、混ぜ合わせるボウルもなかったので、近くのお店でステンレスのピカピカのボウルを買ったのを覚えています。
20センチぐらいの小さなボウルでしたが、その時の私には一財産のように思えたものです。なかなかしっかりした厚めのステンレスで、実は今でも我が家で活躍しています。
しかもカナダで買ったセットのボウルよりうんと上質で、いまだに傷やへこみがないというのは立派なもんだなあ、感心してしまいます。
きっと980円ぐらいだったのでしょうけど・・・。

私は張りきってケーキの材料を混ぜ合わせ、チョコレートケーキの焼き上がりを想像しました。ケーキ型などなかったはずなのに、パウンド型にいれて焼いた記憶があります。
焼いてさましてから、溶かしチョコレートを線状にかけてデコレーションする・・・・
うう〜む、おいしそう!
オーブントースターのタイマーを15分ずつぐらい何度もセットして、まだかなぁと覗きつつ、焼きあがるのを待ちました。
ところが何度竹串を刺してもべたりとチョコレート色の生地がついてきて、いっこうに焼き上がらないのです。
2時間ほども焼いたでしょうか。
母に「まだ焼いてるの?!」と驚かれ、私も不安に襲われました。

何か間違えたかな?

それでもせっかくここまでやったのだから、最後まで仕上げようと待ちました。
何とか焼けたと判断して、チョコレートのデコレーションもほどこし、次の日までねかせておくことにしました。
見かけはとてもおいしそうでした。チョコレートのいい香りがするし。

ようやくおやつにケーキを切る時になり、どきどきしながらナイフを入れました。
すると、ナイフにはやっぱりべとっと生地がついてきたのです。
焼き上がっていなかった・・・
あんなに何時間も焼いたのに・・・

悲しくてボロっと泣き出しそうでした。
大失敗。
あんなに作りたかったお菓子なのに、できなかったということがショックでした。

それからどういう経緯で立ち直ったのか、まるで覚えていないのですが、このあとの出来事はもっと打撃でした。
電気代の請求書が来て、母がびっくり仰天!
一体どうして今月に限ってこんなに電気代が高いのか!?と。

あ、オーブントースター。
そうだ、私が何時間もケーキを焼いたから・・
母もそれに気づき、もちろん私はしっかり叱られました。

失敗だけでなく、大きな無駄遣いをしてしまった。
電気代やガス代、あの頃の日本ではとても高かったようです。私はそんな事を考えもせず、ケーキを作ることばかり夢見ていて、現実の世知辛さに直面しておちこんでしまいました。

お金持ちでないとベーキングはできないのかなぁ。
それとも我が家がしみったれているだけなのか。
とにかく、オーブントースターでケーキを焼くのはやめにしました。
結局、失敗の原因は、オーブントースターの許容範囲を越えたものを作ろうとしたところにあったわけで、小さなオーブントースターにパウンド型を突っ込んだのでは熱伝導も悪くなり、うまく全体が焼けなかったのです。

作れないとなるとますます作りたい気持ちがつのります。あきらめるどころか、絶対にいつかちゃんとしたオーブンを買って、ケーキを作るんだ、と夢を新たにふくらませたものです。
その間に、「手作りお菓子」関係の本を読んでは、作りたいお菓子のリストが増えていきました。パウンドケーキ、バナナケーキ、シュークリーム、チーズケーキ、アイスボックスクッキー、クロワッサン!(なんと身のほど知らずの野望でしょう!)

ようやくガスオーブンを購入したのは、結婚した時。
嫁入り道具はろくな家具もなく、白いペンキを塗った安物の箪笥や鏡台でしたが、それよりもオーブンの方が大事だったのです。
私たちは何度も引越しをしました。
そのたびにテーブルを人にあげたり、食器棚を変えたり、いろいろと家財道具は変化しましたが、最初のおんぼろアパートから日本を発つまで、このガスオーブンはどこでも一緒に移動してくれたものです。

ガス代も決して安くはありませんでした。
当時いとこ夫婦も結婚したばかりで、所帯くさい話をした時にいとこが言ったのを今でも覚えています。
「一度、オーブンで焼きイモを焼いて、ガス代にびっくりした。あれからもうオーブンは使わなくなったよ」
焼きイモも、時間かかりますよねぇ〜。
オーブントースターでケーキを焼いた若き日の自分がまざまざと甦りました。

でも日本にいる間、土日の休みしか時間はありませんでしたが、ガス代にもめげず、私は作りたかったケーキに挑戦していきました。
まともなオーブンを使うとちゃんと焼けるようになったのです。シュークリームのシュー皮もうまくふくらんでくれました。バナナケーキにチョコレートチップを入れて、オリジナルのケーキを作った時は、友達のお姉さんにものすごく褒められて、とても嬉しかったものです。
その頃になって、「いつか手作りのケーキを出す喫茶店をやってみたい」と思うようになりました。
雇われ会社員として何年も働いているのにくたびれてきて、当時我々の年代の人が始めた「脱サラ」に私たちも夢を描きました。

自分たちのお店が持てたらいいだろうなぁ。
好きなものだけを作って出す小さな喫茶店。
他にはふたつとないような個性的なお店。
信州あたりに引越して、やってみたいね。などと好き勝手な想像を巡らせもしました。

つづく

ティールームを始めて2―3年後に、カレーをメニューに加えました。
きっかけは雑誌で見つけたインドカレーのレシピが気に入ったからなのですが、以前から私たちはインド料理が好きでした。とは言っても、ありきたりのタンドーリチキンやサモサぐらいしか知らず、インド料理のレストランもバンクーバーとオタワぐらいしか行ったことがありませんでした。
でも一旦、ごりごりと手で挽いたスパイスをミックスしてカレーを作り始めると、いっぺんにホームメイドが病み付きになってしまったのです。
もちろん、メニューに入れてからは、電動のコーヒーミルでスパイスを挽かなければ間に合わなくなりましたが。
挽き立てのスパイスの香り・・・頭の中で湯気の立ったカレーの画像がちらつき、思わずごくんとつばを飲み込んでしまうほど、刺激的で鮮烈です。

それ以来、うちのカレーは「自分で挽いたスパイスをミックスしてルーを作り、ビーフを柔らかくなるまで煮込んで、最低1日はねかせる」辛いカレーとなりました。

辛いカレー、ってどのくらい辛いの?とよく聞かれます。
でも温度計のような辛さ計(?)もないし、口で説明するのはたいへんです。
「すごく辛いけど、やけどをするほどではない」「辛いものが好きな人は平気です」
そんなふうにしか表現できずこまってしまうのですが、日本人のお客様は大体が辛いカレーが大好き。長い間、ビーフカレーは日本人しかオーダーしないメニューとして続いていたのです。

でも日本からのお客様の数がだんだん減ってきました。日本の経済不審の影響でPEIの観光産業にも大きく影を投じ始めた頃です。
我ティールームはギフトショップから、自宅へと移動しメニューにも少し変化を加えた頃から、白人のお客様がカレーに挑戦するようになったのです。
日本人が来なくなったら、辛いカレーは食べる人がいなくなりそう。それでも自分たちのためにも、毎年来てくださる一握りのカレーファンのためにも作るのはやめられない。
それは決めていました。
ところがおかしなもので、日本人が減ったと同時に、ガイドブックか雑誌で「ブルーウインズのおすすめはスープ&サンドイッチやキッシュ」と紹介されたらしく、日本人が来てもカレーをオーダーする人は少なくなってしまいました。
逆に、「スパイシーなカレー大好き!」という北米人が増えて、「今まで食べたカレーでいちばんおいしかった!」とコメントをもらうようになったのです。

80歳のご夫婦もヒーヒー言いながら、とても気に入ったと言って下さり、お皿をきれいにからっぽにしたのを見た時は感動すら覚えました。
他のものも食べたいけど、来る度にどうしてもカレーになってしまうという、病み付き第1号のポーリーン。

地元の常連さんで、一通り何でも挑戦するジペットおじちゃんはカレーが気になってしょうがないのです。
「Hot & spicy Beef Curry!今日はこれだ」時々そうオーダーします。
「辛すぎて食べられないかもしれませんよ。オナカがびっくりして変になるかもしれないよ」
私が警告しなければなりません。せっかく頼んでも食べられないと残念だし、気の毒ですから、安全路線に引き戻してあげるのです。

「テリーはわしにカレーを食べさせてくれない。いつか食べたいと思ってるのに」
機会があるごとにジペットおじちゃんは人に話していました。

ある日、家族の食事会の予約が入りました。ジペットおじちゃん一家が息子夫婦や孫たちと一緒に12人での予約、貸し切りです。
この日もおじちゃんは「カレー」と言って私に「No」と断わられてがっかり。
ところが義理の娘さんが平気でオーダーしました。
「じゃあ、私カレー。辛いのだ〜い好き!」
そこでジペットおじちゃん、チャンス到来!辛いカレーを、一口賞味できる時が来たのです。娘のカレーを味見させてもらうことにしたのでした。


忙しく給仕していたので、いつおじちゃんがトライしたのかは見ていませんでした。でもしばらくしてお水を持っていくとおじちゃんが言いました。
「テリーは正しかったよ。わしがあれを頼んでいたら、悲惨なことになっていた」
そうでしょう!
でもやっと挑戦できたおじちゃんは満足そうでした。
それからもおじちゃんは機会あるごとに人に言います。
「テリーはわしが食べられるものをちゃんと分かっているんだよ。」

男の人は「辛すぎて食べられないかもしれませんよ」なんて言われるのがいやなのかもしれません。あるいはそう言われるとよけいに挑戦心を掻き立てられるのか、マーフィーさんも「ビーフが好きだから食べてみたい」と言って、私に何度か「辛いですよ」と却下されたあと、「どんな方法でもいいからちょっと辛さをおさえられないかな?」とリクエストしました。
う〜〜ん、しょうがないなぁ。
そこで生クリームとシェリー酒で何とか味を丸め込み、カレー風味のシチューの様なものにして出しました。それでも辛かったそうですが、マーフィーさんはとても満足、にっこりでした。もっとも一度きり、その後は辛くない食事に戻り、私も安心したのでした。

去年は今まででいちばんおかしい「男の挑戦」があった年です。
ジョニーとセラはとてもいいお客さんです。
「ここの食べ物は何でもおいしくて好きだ」と言ってくれます。
ある日ジョニーはメニューを見ながら何かを捜していました。
「あ、あれだ。ビーフカレー。辛いやつ」
例によって私は警告を発します。
「辛いからむりよ」
「無理だって?食べるさ」
「スパイスに弱いオナカには無理だと思うけど」
「そんなことない」
「知らないよ、食べられなくったって」
「食べるさ!」
奥さんのセラはにたっとしながら黙っています。
頑固さに負けて今度は私が折れました。
そしてあつあつのカレーのお皿を前に
「うーーーーん!」
ジョニーは深く匂いを吸い込んでぱくっと一口。
とたんに目が大きくなり、テーブルを見回してお水のグラスを引っ掴みました。
一気にグラスがからっぽです。
次いで付け合わせのすいかをぱくり!
「ほら、辛いでしょう?」私はにやにやしながら言いました。
「うーーん、うまい!」はぁーっと息を吐きながらジョニーは負け惜しみを言っています。
汗をかき、注ぎ足してあげたお水をがぶ飲みしてそれがなくなるとセラのグラスのお水も飲み干してしまい、それでも「うまい、うまい」と言い続けています。
またお水がなくなって、もう一度スイカを手に取りました。
でもすでにそれは赤いところがすっかりなくなっています。ジョニーはじっとスイカの皮を見たあと、もう一度ぱくりと白い部分を全部かじりました。傍で見ていて私はおかしくて気の毒でなりません。
ジョニーはへらへらの緑の皮しか残っていないスイカを手に持って、汗をかいています。
するとセラが自分の皮だけになったスイカを差し出して「これ、ほしい?」
その皮も食べたジョニーを見て、セラは「ついでに外の皮も食べればいいのに」なんて冷たく夫を見ているのでした。

あんまり気の毒になったので、私はまたスイカを一切れ持っていってあげました。
「あー、うまかった。最高のカレーだっだぞ」
見ると、カレーはまだお皿に残っています。
「ギブアップね?」

「デザートの場所、取ってあるんだよ」
最後まで「うまかった」を繰り返し、また食べるんだといいながら、ハーハーと息をしながら帰っていきました。

まったく、見栄っ張りなんだから。
でも思い出すたび、白いところしかないスイカの皮をじっと見つめてたジョニーがおかしくて、私は何度もくすくす笑っていました。

それからしばらくして、ジョニーたちの知り合いの夫婦が食事に来ました。
「ジョニーが、ここのカレーが最高だったって言うので食べに来た」
ですって。
あのジョニー、辛くてお水をがぶ飲みしたことや、スイカの皮まで食べそうだったことなど無視して、“my favourite”だと言ったのだそうです。
私はやっぱり辛いですよ、と注意しました。
でも今度のアーチー、ものともしません。
「あいつに食べられるものなら、わしに食べられないはずがない」
そこでア−ギュメントなしでカレーを出しました。
「お水持ってきますね」
私が申し出るとアーチーは手をあげて「No.いらんよ」

彼は最後までお水なしで食べきったのです!!!!
驚いたのは私でした。
本当にカレーが好きだったのか、あるいは意地だったのかはわかりません。
ジョニーに挑戦した限り、あくまで勝つぞ!といった意気込みだったのです。

二度目にアーチーが来て、またカレーを食べた時には「本気で気に入ったのかな?」
というところまで私も譲歩(?)し始めましたが、一体彼らは食事を楽しんでいるのか、挑戦を楽しんでいるのか、まだ判然としないでいるのです。

ジョニーはその後も「あのカレーは最高だった。また食べるんだ。」いつもそう言っています。今ではそれが大きなジョークとしてまかり通るようになりました。
アーチーの方はもう一度来たら、彼の真相が分かるでしょうか?!
うちのカレーは挑戦心を起こさせてしまい、意地っ張りにさせるスパイスが入っているのかもしれません。

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