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プリンスエドワード島から青い風にのせて・・・

テリーの本棚から

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「手品のすきな黒うさぎ」「思い出のトランク」

「坂の上のグミ屋敷」で岡野薫子さんの作品が好きになった私は、アマゾンを通して古本を数冊手に入れました。
それから少し著者について調べてみると、1929年生まれのまだ現役の作家でおられることが分かりました。最新作品もとても興味深い随筆のようで、是非読みたいと思っていますが、まずは古い本から紹介しようと思います。

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「手品のすきな黒うさぎ」はポプラ社の「動物お話の国」シリーズ・1
岩井田治行さんのイラストがたくさん入ったまさに低学年向きの童話です。アマゾンの中古本は中身も見られず、内容もよく分からないで買ってしまうので、うわっと思うほど幼年向きが送られてきてびっくりすることも何度かありました。この「黒うさぎ」も実はその一冊で、1ページに200文字あるかないかの「巨大文字童話」でした。あっけなく読んでしまうんだろうな〜と思うとなかなか読み出せず、しばらくイラストを眺めていると、このイラストがまたとってもすばらしいのに気がつきました。
岩井田治行さんって、私は今まで知らなかったのですが、ガース・ウイリアムズを思わせるペン画がとても可愛いのです。とくに、タンポポと名付けられた黒うさぎは、いたずらっぽくって、賢そうで、黒い毛並みをなでてやりたくなるようなかわいらしさに描かれています。

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さてこのタンポポくん、手品のお手伝いが得意なうさぎでした。ペッタンコになったり、消えたり現れたり。すっかり子供たちの人気者になって、どうしてもしばらくタンポポを借りたいという小さな男の子の希望で、山のホテルに住むことになりました。生まれてからずっと広い野原を思い切り駆けてみたいと思っていたタンポポは、うまく手品を使って夜の林に消えてしまっては男の子たちを驚かせます。そして庭の金網の下を掘り始めてどんどんトンネルを作っていったタンポポは、とつぜん魔法の列車に乗って、トンネルを駆け抜けて行ってしまうのです。
「おばあちゃんち」に行くとだけ言い残して。

とても短いストーリーなのに、その展開の早さに仰天させられました。そして正直なところ、最後は一体どうなったのか、煙に巻かれてしまったようで、唖然としているうちに終ってしまったのです。タンポポは突然魔法が使えるようになった?突然手品のすきなおばあちゃんに会いに行くことになったのは、どうして?魔法使いの修行に行くのかな。
なんだ、なんだ〜?って感じで頭がついていかなくなりました。
これでおしまいはないでしょう。気になって仕方がありません。
そこでまたアマゾンを覗いてみたら、どうやら「黒うさぎタンポポ」は3部からなっているようで、続きがありそう!あんなにいきなりいなくなったら、小さな男の子だけじゃなく読者も心配ですからね!

でもそこで思ったのは、子供ならこんな唐突なストーリーの展開も別に深く考えずに「あ、タンポポ行っちゃったんだ」とか、「すごい!魔法だ」っていうかんじで、あっさりと受け入れて、私みたいにくどくど「どうして、どうして??」なんて頭を悩ませないのかもしれません。カチカチ頭の大人は、童話の読み方も分かってないぞと叱られそうです。

でも今度、いつ続きが読めるかは今のところ不明ですが、その時を楽しみにしています。
また驚いてぶっ飛ばないように、受け入れ態勢を作っておこうと思います。

「思い出のトランク」はポプラ社 愛と心のシリーズ
小学中級以上向

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これは1987年版、著者のサインが入っています。1987年なんてついこの間のような気がするのに、この本の変色やシミの具合、イラストの感じからまるで50年前ほどの本に思えてきます。というのも、内容が著者の子供時代の回想記で、ちょうど戦前、戦中の話が中心になっているため、背景として一昔前の日本がイラストにも表れているせいです。
イラストは、版画タッチの白黒ですが、これも著者の手によるもので、とても丹精に描かれています。

父親を肺結核で亡くしたのが小学3年の時で、それ以来母親との二人暮し。その若い未亡人となった母との暮らしが当時の東京の様子をまじえて、子供の見解からつづられています。
読むにつれて、母親の「厳しさ」というより、偏見のようなガンコさがやや気になってきて、薫子さんが気の毒にも感じました。

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でも子供時代を何十年も経ってからしみじみと思い返して、一冊の回想記が書けるのは、その様々な思い出を捨て去りたくないからだろうし、母ひとり子ひとりの生活の中で、心が痛んだり、ぽっとあたたかかくなったりした出来事をずっと大事にしてこられたんだなと思います。

この本は、ほとんどが子供時代の話で、最後に少しだけ後年の著者と母親の様子が描かれています。もう一冊の「記憶のなかの家」という回想記は子供向けの読み物ではありませんが、
それまで移り住んだ家を中心にした回想記で、「思い出のトランク」に重なる部分があり、戦争のあとの時代にもずっと話は及んでいます。私は続きのような状態で、「思い出のトランク」のあとすぐ「記憶のなかの家」を読み始めて、頭の中でもこの2冊が重なってしまっています。(実はまだ読み終えてはいないのですが)そこで重なりついでに話も波及させることにします。

「記憶のなかの家」の方はうんと話がリアルで、特に戦中、戦後の事情は知るにつれて今さら恐怖が増してきます。
岡野薫子さんは、ちょうど私の親の年齢です。
戦争を経験してきたその年代の人たちに、私ははかり知れない「忍耐」というものをずっと感じてきました、自分の両親から戦争の話を聞くことはほとんどありません。尋ねたら、時々話してはくれますが、訊くときには忘れたいことを思い出させるような、罪の意識を感じてしまい、詳しい話は聞いたことがないのです。でも岡野さんの本を読んでいると、きっと私の両親も同じ想い、経験をしてきたに違いないと分かってきます。
それぞれの家庭の事情は違っても、通り抜けてきた苦境はその経験者しか分からないものでしょうね。
そんな時代を生きてきた自分の親の年代の人たちの秘められた「強さ」を再確認した気がしています。

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「坂の上のグミ屋敷」by 岡野薫子

前回日本に行ったときに、図書館で見つけた1冊です。
岡野薫子さんという作家を今まで全然知りませんでした。子供頃にはあまり日本の作品を読まなかったし、中ドモになると子供の本を読まなかったから、出会いはひどく少なくて当然なのですが・・・。

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最近のように本と言えばほとんどが「子供の本」になるほど児童書が好きだったとは自分でも知らなかったみたいです。
この「坂の上のグミ屋敷」は、まさしくタイトルに引かれて読んでみたくなった作品でした。
英語でも日本語でも「家」に関するタイトルがついているとどうしても気になるのです。
大体が登場する子供より、家や周りの環境や動物の方が私の読書のメインパートのような気がします。

この「坂の上のグミ屋敷」はお屋敷自体の描写はあまりないのですが、ケヤキ坂と呼ばれる急な坂道の上にある木々に囲まれたグミ屋敷に住む老夫婦と、坂下に住む子供たちがふとしたことで友達になり、子供たちは東京の町中とは思えない森の中で、鳥や昆虫や沢山の木や花と出会って、夏休みを過ごします。
ところが次の年には、グミ屋敷は取り壊されて、8階建てのマンションになってしまうのです。
木は全部伐採され、子供たちは大ショックを受けながらも、マンションの建設を興味深く見守っていきます。

この当時、1960年代でしょうか、まだ大きなマンションは珍しい時代だったのか、子供たちだけでなく、坂の下の大人にとっても、一軒のお屋敷が200世帯ものマンションになると言うのが、驚きだったようです。
おそばやさん新聞配達はいっぺんにお客さんが増えて大忙し。
グミ屋敷に住んでいたおじいさんは(おばあさんは亡くなってしまうのですが)出来立ての8階の807号室に引っ越してきます。

807号室に遊びに行った子供たちは、そこが元グミ屋敷だったことが不思議に感じたり、寂しく思ったりしながらも、ベランダからの眺めに驚嘆します。
うんと遠くまで見晴らせるし、坂道も東横線もおもちゃのように小さく見えます。

坂の向こう側にはまだケヤキ林が残っていて、ほっとするのですが、しばらくするとその林も伐採され始めたのでした。
話は、また林が切り倒されたのを、子供たちが呆然と見つめる場面で終っています。

あとがきには著者の現代社会の自然破壊への怒りが強く感じられました。
舗装道路、高速道路、高層住宅、庭のない生活・・・
でもそれは1972年に書かれたあとがき。今21世紀の時代に高層住宅はあたりまえだし、木があるほうが珍しいような住宅地も沢山ありますよね。
慣れてしまうとなんでもなくなって、無感になってしまいます。
それが、怖いなぁと思います。

私の子供時代もちょうどそんな感じで、高層マンションの建設はまだ珍しかったと言う記憶があります。でももともと自然のない都会暮らしをしていたら、その慣れもずいぶん早いものです。
グミ屋敷で一夏でも過ごせた子供たちは、一生の思い出をもらったことになるのではないでしょうか。

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PEIに帰ってきてからもなんとなくこの本が気になっていて、先日古本を入手しました。
イラストがとてもリアルできれいです。

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あれからまた古本屋さんでPilcherの小説を手に入れました。
“The Day of the Storm”“The End of Summer”の2冊です。
どちらもとても似ていて、最初からあまりに話の筋が分かるので真剣な読み方が出来なかった気がします。でも軽い小説として面白かったです。

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Pilcherのヒロインは「親なし娘」がずいぶん多いですね。その雰囲気がモンゴメリを思わせるのかも知れませんが、特に短い小説になると、なんともナイーブな、やや軽薄なイメージを与える主人公がほとんどです。
この2冊とも、主人公が受け継ぐと思われる財産を目的に結婚しようとする従兄弟が登場し、
心を揺るがせながらも、主人公は結局別の結婚相手に出会うことになります。
なんとなく昔風の小説のパターンなのかなと思ってしまうほど、前に読んだ2冊も今回の2冊もそっくりで、私が子供の頃あった少女漫画の決まりきったストーリーのような感じが思い出されておかしくなってしまいます。
読まなくても先が分かっているのに、やっぱり読まなきゃ気がすまなくて、読んだら「ふふ、やっぱりね!」と納得してニヤリ。

何冊か読んでいるうちに、舞台のCornwall に興味が惹かれてきました。
ヤシの木が育つ南国風情のあるイギリスの南。むかしコーンウォールといえば、デュ・モーリエの『レベッカ』しか思い出せませんでした。寒々と暗く、荒海と強い風、雨といったイメージが強烈で、ヤシの木なんて想像も出来なかったものです。

児童書の“Over Sea,Under Stone”もコーンウォールが舞台ですが、南国の雰囲気は感じられません。ストーリーが何百年も前の歴史を引きずっているせいかもしれませんが。

だからPilcherの描写を読むと、コーンウォールの全く違ったいくつかの面が見えてきて、さすがにイギリス、底が深い国だなと感心してしまいます。

“Coming Home”や“September”のような大河ドラマ的感動はありませんが、Pilcherの短い作品、どれもおなじだぁ、などと言いつつエンジョイしています。あと2冊、古本屋さんで買ったのが待機しています。

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しばらく大人の本を続けて読んでいました。
Sue Harrison という人の太古の物語を読んで、なんだか血みどろになった気分で、悪夢を見そうでした。殺戮や虐待のような内容は、後味がなかなか消えてくれなくて、いつまでもうなされそうなので、めったに読まないタイプです。でも、古本のセールで何気なく買ったペーパーバックが3部作で、2巻目と3巻目しか持っていなかったことに気がついて、まず第1巻目を読んでみようと、図書館から借りてきたのでした。2巻以降を読みたいかどうか、今の所不明です。

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それで、がらりと気分転換することに決めて、とっておきの童話を手に取りました。
茂市久美子さんのシリーズです。
クリスマスプレゼントに友達が日本から送ってくれた本の1冊、(実は私がリクエストしたのですが)「ゆうすげ村の小さな旅館」を大事に大事に取っておいたのです。
童話はすぐに読んでしまうのがとてももったいなくて、すご〜くケチになります。
今回は、12話の物語で1冊になっているので、毎晩1話だけ読むことにしました。そしたら12日間楽しめますものね。

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茂市久美子さんを知ったのは、いつだったか思い出せません。
初めて読んだのが、「つるばら村のパン屋さん」だったと思います。
童話が大好きで、パンもべーキングも大好きな私には買わずにはいられない本でした。
イラストもとても繊細ですばらしく、可愛い動物のお話は読んでいると、心がほんわかと暖かくなってきました。こういう感じって大好きです。
ずいぶんと奇妙なパンも登場して、「カツオブシを練りこんで、煮干しを飾ったあんパン」なんて想像すると、うわぁ、私、作りたくない!思わず声に出してしまいましたが。
でもネコさんの注文だから仕方ないですよね。

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「ゆめをにるなべ」はうんと低年齢の読者が対象の童話ですが、これも新鮮で、可愛くてちょっと不思議、なんともいえない嬉しい読後感です。

茂市さんのお話には野生の動物や、妖精のような人物(?)がたくさん出てきます。それぞれに面白くて、大体が人間のふりをしている場合が多いのですが、いたずらをしない立派な働き者がほとんどです。
何かの目的を持って、小さな動物たちが一生懸命働いている様子が、まるでほんとうのことのように思えるほど、茂市さんの物語は生き生きしています。

「ゆうすげ村の小さな旅館」では、タヌキのこどもがとても好きでした。
タヌキって本物は見たことがないのですが、なんとなく、ここにいるアライグマを思い浮かべて、タヌキチ君かわいいなぁ、と口元がほころんでしまいました。
そうそう、このタヌキのお話は「おだんごのすきなお客さま」というタイトルなのですが、これを読んで寝た夜、私はしっかりとおだんごの夢を見たのでした!

「つるばら村」も「ゆうすげ村」もシリーズで出ているんですね。
前回日本に行ったときに、何度か図書館まで通って、堂々と子供のコーナーの椅子に腰掛けて数冊読んだのを思い出します。
でも、本当は全部手元に持っていたいと思います。
ああ、疲れたなと思ったときに読めば、きっとリラックスできる優しい魔法がつまっているみたいですもの。

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しばらく前からミッキ−さんとピルチャ−の作品の話を何度かしていました。
ピルチャ−はきっと日本でもかなり人気の高い作家なのでしょうね?
私はうんと以前に短編を読んだことがあるだけで、長編小説に出会ったのはごく2〜3年前です。
いつも子供の本を漁るように読んでいると、時々、退屈なものに出会って全然別の本を読みたくなったりします。
話題の中心になっているものや、その年に何かの賞を取った有名な作家はどうも私の選択には入らなくて、ベストセラーというものも全然読まないか、何年も後になってから忘れられた頃に読み始めたりするのが私の読書のパターンなのです。
Pilcherもどちらかというと、そんな感じでした。
今は亡きお客様の一人からもらった本がきっかけで、別の友人とPilcherの話をしたときに、Winter Solstice、Shell Seekersは絶対に読むべきだと薦められました。ところが手に入らなかったのでComing Homeから読み出したら、なんと止まらなくなってしまったのでした。
かなりの長編で、ややロマンスの傾向が強いタイプの本に夢中になるとは我ながらびっくりしました。
他の作家の作品ではあまりに記憶にないストーリ−の展開が意外で(たとえば、両親と離れて暮らす主人公は、信じられないくらい親切ないい人たちに恵まれてどんどん幸運を掴んでいきます。そこまでラッキーでいいものなの・・?心配になってしまうほど)、途中でお伽噺のめでたしめでたし!のような錯覚に陥りそうになります。もちろんそんなに単純にめでたしには終わらないのは当然のこと。だからますます次を読まなければ気がすまなくなって、最後までぶっ飛ばしてしまうのです。

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“Coming Home”は読後感がとてもすっきりして、戦争や恋愛や喪失などのすべてが後味の悪さをのこさなかったのがとても嬉しい作品だと思いました。

その後見つけた“Winter Solstice” も気に入ったし、絶大なる人気の“Shell Seekers”も充分エンジョイしました。ただ、腹立たしい登場人物にはずっといらいらさせられましたが。

そして一番最近古本屋さんでみつけたのが “September”、なんとあの自分本位なNoelがここにも登場しているではありませんか!

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“September”は、ロンドンと、スコットランドの澄み切った空気や湖を背景に、やや複雑な人物構成でかつ複雑な人間の心模様を描く、これは全然先の見えない始まり方をしていました。最初の頃はNoel の出現と彼の目論見が気になって仕方がなかったのですが、章が進むにつれてどんどんミステリアスになり、精神障害者の出没に冷や汗が出る思いでした。
最後の2章ぐらいになって、誰かの死の気配が感じられるようになり、ものすごいスピードで読み終わってしまいました。

やっぱり・・・不思議な存在のPandoraは 逝ってしまった・・・・・・

一つずつ絡み合ったような感情がほぐれていき、一族に安心と笑顔が戻ろうとしていた時でした。
Pilcherのストーリーの中では、死ななければならない運命の人がいる。
“Coming Home”を読んでそんな印象を持ったのですが、このPandoraの死はショックではあっても、彼女でなければならなかったのだと、納得させられてしまうものでした。

彼女が遺書に書き残した『あるお葬式で聞いた忘れられない一節』は、今までに経験したことがないほど印象的でした。読むと、Pandoraの死も誰の死も、清冽な雪解け水が流れるようにように優しく胸に染み込んできました。

日本語訳がどんなものか全然知らないので、どこか違っているかもしれませんが、大体がこんな意味でした。(女性のPandoraが自分のお葬式に読んでほしいと言い残したものでも、私には男性の語り口で聞くのが自然に思われました)

『死は何も特別なことではない。私はただ隣の部屋へ静かに移っただけなんだよ。何も変わりはしない、私は私のままだし、おまえはおまえのままで、共に過ごしたよき日々はそのまま変わらずに残る。私たちがどんなつながりであったとしても、今でもそのままだ。懐かしい呼びなれた名前で私を呼んでおくれ。威厳を込めたり、悲しみで包まれず私のことをいつもと同じ調子で話してくれればいい。いつもおかしな冗談を共に笑ったように、今も笑っておくれ。遊び、微笑み、私のことを想い、祈っておくれ。私の名をこれまでそうであったように、あたり前のまま、死の影も苦痛もなく口にしてほしい。命はこれまで意味してきたそのままのものだ。ずっと変わらない。絶対的な存続なのだ。この『死』というものなど、取るに足りないできごとではないか。姿が見えなくなったというだけで、心までなくなりはしない。
姿は見えはしない、しかし私はおまえたちを待っているよ。この合い間の時間、どこかとても近いところで、すぐそこで、待っている。All is Well.』

去っていく人がそう言い残すことは、勇気があればできるのかもしれないと思います。でも、残された人が、そう信じることができるのは・・・そう信じられればと、願う気持ちが強くても、とても難しいでしょうね。
でも、まるで今、古い年が新しい年に音もなく滑り込んだように、死というものも静かに隣の場所へ移るだけ、という考えが分かるような気がして、この最後の一節に出会っただけでも“September”を読んでよかったと、穏やかな気持ちを抱くことが出来ました。

その感動の覚めやらないうちに読んだのが、次の2冊“Snow in April” と“Sleeping Tiger”でした。

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“September”とは比較にならない軽いロマンス、2冊ともよく似ていました。
(ミッキ−さん、こちらのPilcherの本は、みんなそっくりの装丁でしょう?日本のは表紙のデザインが素敵だとおっしゃっていたと思うのですが、どんな感じなのでしょう?)
長編のあと、まるで長旅の疲れをほぐすように、続けて読むにはぴったりの作品でした。
ただ正直にいうと、短かったし、物足りなさは感じました。でも、内容としてどこかモンゴメリの雰囲気を漂わせていたことが、意外でもあり、思わず口元が緩んでしまいました。

Pilcherはまだ読んでいない作品も何冊かありそうなので、そのうち探してまたどっぷりと浸ってしまうかもしれません。
皆さんのお勧めがあれば教えてくださいね!

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