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昨日も、泳いだ。
ゴルフが昼前に終わり、その後同伴競技者と一緒に昼食。
戻ってかた夕方までユックリし、その後プールへ。
特に土日は、19時過ぎを目指さないと、人が多くてたまらない。
一人35,000ドンなので、気安く毎日来れるほどの金額では無い、と僕は思う。
ビート板を脚に挟み、上半身でゆっくり、ゆっくりとクロールから。
暫くして、ブレストへ。 でも、ビート板を挟んだまま、足は遣わない。
腕だけのブレストは、なかなか進まない。
それに飽きるとまた、クロール。
潜水。
25mプールの水底をみながら。
9ストローク弱で対岸へ。
続けて2度やったら、息が切れた。
でも、出来た。
ヨスイのお陰だ。 代々木スイミングスクール。
3歳から小学校5年まで通い続けたスイミングスクール。
昭和42年からだ。
東京オリンピック後に、水泳人口の裾野を広げ、かつ選手育成を目指して作られた、スイミング
スクールのはしり、だった、ヨスイ。
僕は、姉とともに、そこに通い、実はそのまま通い続けたかったのだが、小5になると、中学受験
やらを理由に、通えなくなった。
ヨスイでは、ひたすら泳いだ。 そして、結構厳しい練習だった。 冬に、平泳ぎの脚のカタチの
練習、と称して石畳のゴツゴツした外で、水着のまま、座らされたりもした。 その時は泣いたっけ。
泳ぎの中で、僕は背泳が比較的得意な事を知らされ、背泳に専念するようになった。
結構自信もつき、スイミングスクールの記録会でもある程度の成績を収めるようになった。
スクール対抗で、小金井に行った時の事。
僕は100mで、余裕の年齢別1位として、コースを往復し、到着していたのに、タイムを計る先生
が、隣のコースのコーチとお喋りをしていて、その記録と順位は幻に終わった。
当時はデジタルで正確に管理された計測体制は無く、マニュアルで、各スクールのコーチが計測を
したのだった。
その事は、少なからずショックだったのと、その後、水泳熱が若干醒めた原因でもあった。
さて、話は現代に戻り
小さい頃に覚えた水泳は、その後、小学校、中学校ではダントツの1位、中学校後半になると先に成長
し始めた連中に体力的に追いつかず、クロールでは負けたが、背泳は最後まで、渋谷区では一番だった。
そう、渋谷区では。 23区記録会には、出場する機会は、ついぞ無かったが。
また、泳ぐことへの抵抗感が無く、今でも泳ぎ始めると、何しろ、泳ぎ続けるのだ、と頭にインプット
されている様で、苦も無く泳ぎ続ける。
昨日は、結果20往復以上、1,000m以上を小学校以来、多分はじめて、泳いだ。
上半身を中心に、火照りが感じられる程、心地良い疲労感となり、そして徐々にスローダウンさせ、
家路に着いた。
不思議なもので、水泳の疲労は、肩凝りとして感じない。
全身を適度に使って、水の抵抗で全身を押されるからなのか、分からないが事実だ。
オフィスでパソコンにばかり向かって、キーボードを叩き続け、冷房に当たっていると、酷い肩凝り
になる事が有るが。
暫く、泳ぎ続けてみたい。
出張者や出張顧客が居る際は、勿論休まないとならないだろうし、酒を一緒に飲む必要も有るだろう
が、なるべく通い続け、泳ぎ続け、徐々に自然な筋力を取り戻してゆきたい。
但し、過剰な筋肉武装はしたくないので、削られて、引き締まった状態、を目標としたい。
無駄につけてしまった筋肉は、結果運動を怠ると無駄な贅肉に変化しやすいから。
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