庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

全体表示

[ リスト ]

輪矛型の庚申塔(6基)

イメージ 1



















左から
寛文8  愛川町上野原
寛文9  愛川町瀧神社
寛文10 町田市大戸観音


イメージ 2




















左から
寛文11 相模原市緑区 稲生
寛文11 相模原市緑区 谷戸
右はなんとなく似ている寛文2の日待供養塔 相模原市緑区 青山
※相模原市緑区にはもう1基あるようです
一度探しましたが見つけられず逸失かと思っていたら、「まだあるよ」とのこと。
追補:後日出会えました

寛文9年は風化しているため表情が判らないが、寛文10以降はほぼ同じ。
寛文8だけ違う感じがするのだが、最初に作ったからか。
寛文2の日待供養塔を入れると、寛文期に愛川か津久井にいた
1人の石工が作ったように見えなくもない。

※その後、さらに1基発見。
イメージ 5
イメージ 6



















旧藤野町、鎌沢の石祠内本尊。
石祠の紀年銘は延宝8。
石祠には「奉納山王権現」銘。

本尊に紀年銘、銘文は付いていませんでしたが、石祠より前に作られたとは考えにくいので、古くても延宝8年だろうと思っています。
上の5基中最古の寛文11から9年後の延宝8。場所は5基から大きく離れた山梨寄り。

持ち物(矛と輪)は同じで、輪に火焔らしきものが付いている点、膝から下が剥き出しな点など共通する部分は多いです。
しかし、小型と大型の違いなのか、石工が違うような印象です。
三猿が、5基は横向き猿が混ざっているのに、こちらは全て正面向きです。

これらを青面金剛とするかどうかは意見が分かれるかもしれません。
特に石祠内本尊のものは、石祠に「山王権現」と彫られています。
というより、山王権現の絵図があったのではないかと、今は考えています。

儀軌に近いとされている青面金剛像は以下。
神奈川県にある青面金剛像の現存最古、承応2年の四臂青面金剛。

イメージ 3これは承応2年と同タイプの四臂青面金剛。
寒川の大曲を中心に7基確認されているため、
大曲型と呼ばれることもある。
1653年から数年間、このタイプが地域限定で作られた。
ところが、これが主流になったわけではなく、
初期の庚申塔の主尊は地蔵や阿弥陀など雑多。
これについては先達の方々が論考を加えていて
いくつか系統があることが判っている。
結論だけ書くと、初期は参考になる絵や木像がなかったため、儀軌(普及度は不明)を参考にしたり、庚申信仰を伝えた修験や仏僧の宗派などで変化しているらしい。

寒川の寛文8(1668)の二臂も、同じように地域限定で特定の宗派(修験か)の指導のもとに数年間だけ作られたのだろう。
ちなみに唯一の寺院、大戸観音は臨済宗。







イメージ 45基の所在地を古い順に地図へ落したものがこちら。
神奈川の修験道場「八管」と高尾山を結んでいるように見えなくもない。
赤線は道をつけてみた結果。

修験なら主街道を逸れた山越え道も苦にならないだろうとルートを引いたが少々無理があります(笑)

※新たに見つけた輪矛型の石祠内本尊は、この地図には入っていません。
地域としては奥高尾のトレッキングルートから南下する枝尾根になります。
それでも修験者の関与を否定する材料にはなりませんが、八菅修験だけとは言えなくなるかも。

閉じる コメント(9)

顔アイコン

珍しいものを見させていただき参考になりました

2012/5/28(月) 午後 4:18 [ kt0**292n58 ]

顔アイコン

kt0**292n58 さん
似たのを見つけられた際は、ぜひお教えくださいまし。

2012/5/28(月) 午後 8:05 [ 魚茶 ]

顔アイコン

はじめまして。
庚申塔の信仰は面白いですね。興味があります。わが町長野県飯田市にも庚申塔がたくさんありますが分布としてはどうなのでしょうか?
また寄らせていただきます。

2012/6/8(金) 午後 8:03 穴掘名人

顔アイコン

穴堀名人さん
はじめまして。
長野はとても手が廻らないといいますか、なかなか行けるチャンスがないので知識もありませんが、相当な数あるのは間違いないです。
県域も広いですし、地域の違いも随分あるかと。

ご存知と思いますが、高遠藩の伊那石工は各地へ強制出稼ぎさせられていますし、このブログの輪矛型も伊那石工かもしれません。
先日、たまたま杖突街道の庚申塔情報を探したのですが、とても興味深かったのは、街道沿いにあるのは自然石(丸石系)の文字庚申塔だらけなのに、寺社には青面金剛が登場する点でした。
同じ庚申信仰の中で造塔にヒエラルキらしきものが現れている感じで、村は自然石、寺社はある程度の身分以上とかもあるのでは、などと想像が膨らみました。
内容の薄いブログですが、よろしければまたおいで下さいまし。

2012/6/8(金) 午後 11:17 [ 魚茶 ]

顔アイコン

詳しくありがとうございます。飯田と伊那は地域が別で、庚申信仰も違いがあると思います。石工が飯田まで来ていたとは思いますが、不明です。
そちらでは花崗岩のことを伊那石と言うのですね。このブログの庚申塔は風化が激しいのが不思議です。私の見る庚申塔に風化はあまりありません。津久井では茶碗をぶつける風習がありますか?伊那では道祖神に対してそういう慣わしがあるそうです。伊那の道祖神はぼろぼろなのが多いです。
飯田も庚申信仰がとても盛んだったようです。庶民の楽しみの一つだったのでしょうね。
今、旧道を南に向けて歩いています。庚申塔の地域による違いの線引きがしたいと思っています。(いつかは…ですが)
今後ともよろしくお願いします。

2012/6/9(土) 午前 1:29 穴掘名人

顔アイコン

穴堀名人さん
「伊那石の会」という民間団体が東京の多摩地方にありまして、そちらでは伊那石を砂岩と説明しています。
http://www.ab.auone-net.jp/~inaishi/
サイトを読み直してみたら、伊那石工が出稼ぎを始めたのは元禄年間だそうで、ここに挙げた5基は寛文年間ですから、違う石工になりそうです。

話が錯綜しますが、多摩地方や神奈川の津久井、丹沢界隈で産出する石は砂岩質で風化も激しいのが特徴です。
花崗岩ですと、そう簡単に風化はしませんから長持ちしますよねぇ。
津久井でも長持ちしている石造物はありますので、地元産ではない石を使っているのでしょう。

道祖神ですが、茶碗を投げつける風習の有無を知りません。
こちらでは正月にやる「どんどん(どんと)焼き」の時に道祖神を焼いたり、道祖神の前でどんどん焼きをしたりするのが多いと思います。
焼く道祖神は主尊が彫られているものばかりでなく、丸石や宝篋印塔の相輪部分のような石を焼く事もあります。割れると再築するようです。

2012/6/9(土) 午前 11:57 [ 魚茶 ]

顔アイコン

いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
また寄らせていただきます。

2012/6/11(月) 午後 8:48 穴掘名人

顔アイコン

始めまして、魚茶さんは庚申さん好きなんですね。
庚申さん、気になります。
でも庚申さんと言えば石だけのもので、石仏というのは関西ではあまり馴染みがありません。

2012/8/1(水) 午後 9:27 [ 捕鳥部万 ]

顔アイコン

捕鳥部万さん。
そうですね。関西も庚申信仰の本場のはずの大阪と京都は特に、他の地方で見られるタイプの庚申塔は少ないようです。
他の石造物は少なくないので、信仰のあり方が異なっていたのでしょう。
ご指摘の、自然石が庚申さんとして伝わっている例はいくつか把握しています。

庚申講自体は広くあったようですので、守庚申をするときは、持ち回りの家か決まった場所でやって、掛軸を拝むだけで終わっていたのかもしれません。
庚申講を決まった回数やったら塔婆を建てなさいという指示(儀軌的なもの)があったらしいのですが、塔婆は木造塔婆でも良いわけで(実際、奈良などは木の枝です)、どうして石造庚申塔を建立するのかは、不勉強にて知らないのが正直なところです。

冗談のレベルですが、修験者や仏教界と石工業界が結託した販売促進計画があったのではないか、なんていう妄想も(笑)

2012/8/3(金) 午後 2:11 [ 魚茶 ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事