|
把握している範囲で秦野市に石祠型の庚申塔は4基。
見た目だけだとさほど面白くもありませんが並べてみます。 1645年 今泉、一色の宮 正保2年(以下不明) 石祠内石板「ウーン 奉造立山王宮 庚申一結衆 為二世安楽」 秦野市最古のようですが、紀年銘がどこにあるのか判りませんでした。 石板は中央に「ウーン 奉造立山王宮」 左側に「庚申一結衆」、右側に「為二世安楽」 石板が残っていてくれて良かったです。 石祠型庚申塔はこの後しばらく登場せず、寛文の一時期に集中して登場。 そして寛文以降はなくなります。 1669年 南矢名、龍法寺 寛文9年4月吉日 二猿 だいぶ前から破損していたようで、資料でも割れた函の左右に二猿がついた写真がありました。 現状はさらに破損が進み、やっと猿をみつけてこれが該当だと判明。 残欠を探すと「四月吉日」と「己天」の部分だけがありました。 1670年 寛文10年□月朔日 相州大住郡千村之郷 二猿 銘文らしいものはありません。 石祠の場合、こういうケースによく出会いますが、内部に木札か何かが納められていたような気がします。 庚申ではない石祠だとたまに見ることがあります。 1671年 渋沢、渋沢 寛文11年雪月(11月?) 「奉山王権現宮難前々在 風当□却間今般為庚申 供養与 十八人之 善男子□ 造□人 如此現上善□□ 来昴成結果自然者也」 二猿 いまいち意味が判りませんが、山王権現宮が以前あったが風で壊れたので、庚申供養として作り直した、とかいうことなのでしょうか。 正保2年塔でも山王宮を庚申講が作っていますが、よく言われる「山王信仰は庚申信仰に深い関係がある」というのはこういう銘文があるからでしょう。 石祠型の庚申塔は神奈川の場合、境川以西に比較的多い特徴があります。 単純に分けると相模国ということになり(三浦半島は除く)、武蔵国エリアになると、ちょっとうろ覚えですが5基以下です。 武蔵国エリアに住んでいるので、石祠型の庚申塔を見るとなぜか嬉しくなります。 |
秦野市
[ リスト ]




