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寄1781福昌院
松田町庚申塔12/15 角柱 享和三年癸亥 八月吉日 正面:「庚申塔」。 右側面:「馬頭観世音」。 左側面:「堅牢地神塔」。 裏面:紀年銘。「現福昌十七世活山人造立」。 福昌寺は曹洞宗。17世活山は中興の祖であり、石造物の建立に熱心だった人で、銘入の石塔がいくつか現存しているそうです。 なぜ3つを一石に刻名したのか記録は無いものの、その当時に人気のあったものを採用したと思われます。 享和3年(1803)の寄(やどりき)集落では、まだ庚申が正面に来るだけの人気があったのでしょう。 弥勒寺村(今の寄の一部で福昌寺も入る)の鎮守「弥勒堂」には天保5年当時、境内に庚申塔があると古文書に書かれていますので、おそらくこれが該当でしょう。弥勒堂は明治の神仏分離以降、弥勒寺村を含む近郷の小社を合併して寄神社となりましたので、その際に寺へ移されたと思われます。 ちなみに、寄集落には、松田町で今の所3基しか確認できていない青面金剛塔のうち2基があります。 文化圏としては足柄平野ではなく秦野盆地に属し、方言なども秦野のものだとか。 寄3259 松田町庚申塔13/15 笠付角柱 紀年銘不明(無し?) 合掌六臂/三猿 足の部分が凹んでいる面白い造形です。 三猿は素朴ですが台石は凝っていて、 青面金剛も含めた全体は秦野市でも見ない ユニークなもの。 なお、寄集落は自前の石切り場があり、 火に強い材質から炭焼き窯や調理用の釜などに 使われたそうで、田代石と呼ばれ流通していそうです。石塔にも使われているようですが、これがそうかもしれません。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/33849571.html |
松田町
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