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地神といっても文字塔だけで数種類あります。
地神、堅牢地神、地神大神etc。 作神信仰に注目したのは、作神のジャンルだけで多種多様な石塔があり、それが庚申塔の多様さの参考になると思ったからです。 地神の文字塔から宗派色を見いだすのは困難なので、刻像塔を紹介します。 本当は掛軸の方がもっと多種多様なのですが、画像の入手が困難なので手持ちの石造物写真で。 地神自体は、本来、女神だそうで、それがどういうわけか男神の武神スタイルになったものが多く見られます(多いというのは刻像塔の中での比較)。 ●神礼寺系地神塔 神奈川(相模国)の藤沢、西俣野に神礼寺という当山派修験寺院がありました。 神礼寺は、同じ藤沢市内の遠藤にあった大験寺の触下(本末関係とは別の、行政単位内での上意下達や管理を受ける)で、この大験寺も地神信仰を布教していたそうです。 しかし、御影(仏像の版画)の普及具合から、神礼寺がとても熱心だったと考えられており、御影を忠実に再現している刻像塔がいくつか現存しています。 と、書いていますが、肝心の御影を探しても見つけられませんでした…orz。 左:藤沢市柄沢511柄沢神社/文政13年(1830)。 右:藤沢市藤沢2-4-7白旗神社/天保3年(1832)。 左:藤沢市藤沢92庚申堂/享和3年(1803)。 右:鎌倉市玉縄2-527谷戸根地蔵堂/天保10年(1839)。 左:横浜市港南区上大岡西3-12-38鹿嶋神社/文政2年(1805)。 右:横浜市保土ヶ谷区仏向町237杉山神社跡/「斎上地神」文化9年(1812)。 左:綾瀬市上土棚南5-5/天保7年(1824)。 右:横浜市泉区和泉町506/文政12年(1829)。 いずれも資料では神礼寺型地神塔とされているものです。 右手に矛、左手に盛花器を持つ男神:武神像ですが、像容が微妙に異なりますので、当山派修験の寺院によって御影が異なっているのかもしれません。 明治に修験禁止となり大験寺も神礼寺も廃寺になっていますが、別当をしていた神社には庚申塔があります。 |
地神塔・社日塔など
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参考になります〜何時もありがとうございます(^o^)
2014/1/27(月) 午後 3:24 [ 赤城岩魚 ]
赤城岩魚さん。
実は地神の刻像塔は神奈川以外にはほとんど無いそうです。
しかし群馬県館林市堀工の茂林寺の墓地には刻像塔があって、しかも像容は「作神の5」で出す予定のタイプに酷似しています。
しかも神奈川より100年ほど古いので、もしかしたら群馬から広まったのかもしれません。
2014/1/28(火) 午前 9:59 [ 魚茶 ]