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現在の住所で「岸」には今の所、7基の庚申塔が確認できています。
その内、河村城がある山塊の南側斜面中腹に集落がいくつかあり、 昔からの道沿いに庚申塔が残っています。 岸1948 地図で一番右。字越地。 文化6年11月 願主 越地講中 邪鬼 三猿 左上手:三叉戟、右上手:宝輪 右中手:宝棒、左中手:索 右下手:弓、左下手:矢、火焔光背。 古地図を見ると、ちょうど字「越地」の西谷戸入口と思われる場所に現存。 河村城への登り口でもあるので、江戸時代以前からの集落ではないかと思っています。 そこにある石仏群に庚申塔。 火焔輪の光背がついた庚申塔は山北町に2基あり、その1つ。 もう1基は大日如来座像で静岡県にも同じタイプがあります。 風化していて青面金剛の表情などははっきりしませんが、もしかするとこの庚申塔も静岡の影響があるかもしれません。 湯坂公民館 地図の中央。字湯坂。 文化4年正月 三猿。 風化で上手下手不明。 上の越地と同じ、文化年間の青面金剛。 風化していて判別しにくいですが、比較すると像容が違います。 山北町の庚申塔は、江戸中期以降になると、村毎に像容が違う傾向があります。 流れの石工が多かったからか、村ごとに宗教的な指導者が違っていたからか、など、想像はできますが答えは不明(笑) なお、湯坂公民館は廃寺になった曹洞宗寺院「休岩寺」の跡地。 寛文11年5月 正面 「バク 奉造立山王大権現為二世安楽也」 左面 「天長地久所願成就」 右面 「鐵囲砂界一等普□」 台石に三猿。 山北町には同年同月がもう1基あります。 これを含む2基が山北町現存最古の庚申塔。 江戸初期なので、作り自体はよく似たものが沢山あります。 珍しいのは「鐵囲砂界一等普□」。 須弥山の外側を鉄の山が囲っており、砂界(沙界)になっていると想像されていたようです。 堅固であり広大な世界=信仰世界の様子を表す、古くから使われている仏教熟語の1つのようですが、庚申塔に使われているのは初めて見ました。 岸3079付近 地図の右。字日向。 享保11年霜月 「祭願成就 □座□□」 三猿。 七沢石のような風化具合です。 七沢石は相模国外にも流通していたようですので、厚木から山北へ運ばれていても不思議はないものの、実は山北の青面金剛塔ではこれ1基です。 他は固い石材を使っています。 そして、山北町の紀年銘が判る青面金剛として現存最古。 他の青面金剛塔も享保年間が多いです。 この道沿いにある集落地は河川に沿った田畑から10m以上高い場所にあります。 集落自体の防御性もありますし、河村城へすぐ登れるので、根古屋的な集落=かなり古い集落だったのではないかと想像しています。 岸、浅間山山頂 安永5年8月 岸村 湯坂 世話人八郎右門 三十七人 三猿。 風土紀によると岸村は160戸あり小名が6つに分かれていました。上記5基の越地、湯坂、日向は小名です。小名の戸数は風土紀には未掲載ですが、37人となると全戸の可能性もありそうです。 不思議なのは小名湯坂の庚申塔はこれを含めて3基にもなる点。2基ある湯坂公民館は休岩寺跡地で、なぜこれだけ浅間山山頂にあるのか。 浅間山には江戸時代から浅間社があり、現在も大雑把に富士山の方向に拝む小祠が鎮座しています。今は違うでしょうけれども江戸時代は岸村の般若院が別当でした。休岩寺は曹洞宗。般若院は真言宗。 このあたりに別に置かれている理由があるような気もします。 |
山北町
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stjtomoさん
ご指摘ありがとうございます。バクです(汗
修正いたしました。
2014/6/1(日) 午前 11:07 [ 魚茶 ]