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都夫良野の地蔵堂は鐘ケ塚という430mほどの山の上。
地蔵堂の前の車道は、ほとんど車も人も通りませんが、昔はこの道が街道だったようで、新編相模国風土記稿にも都夫良野の地蔵堂は紹介されています。 峠のピークに位置するので、昔は眺望も良く富士山も見えたとか。 都夫良野集落からは少し離れた場所にポツンとあるのは、景観のせいか。 あるいは葬送に使われていたからか。 昭和の一時期、近くに火葬場があったようですが、もともとそういう場所だった可能性はあります。 庚申塔は2基。 享保6年6月 「奉祈念庚申祓□修□」 右側面 「願□此功徳 普□□□□ □等□□□ □共□佛□」 三面に猿。 右側面は回向文と思われます。 「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」。 回向文には 「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」 のバージョンもありますが、こちらは浄土宗、浄土真宗なので、庚申塔に使われていることはまず無いと思われます。 享保13年7月 「キリーク・サク・サ 奉供養山王権現」 都夫良野村 講中 八人 三面に猿。 右上手:宝珠/左上手:宝輪 合掌 右下手:矢逆さ持ち/左下手:弓 山北町で宝珠持ちとはっきり判る青面金剛は2基。 いずれも享保年間です。 住所は都夫良野ですが川沿いの集落「四軒屋」。 文字通り家が四軒しかありません。 路傍に2基。 左 自然石文字塔 安永8年9月「庚申供養塔」蓮中 七人。 右 自然石文字塔 安政7年2月「庚申供養塔」施主六人。 四軒屋なのに2年続けて造塔して奉納者が6人から7人に増えています。 不思議ですが、安永の頃は四軒ではなかったのか。 あるいは隣の六軒屋と合同だったのかは不明です。 隣の六軒屋にも資料上では庚申塔となっているものがあります。 紀年銘不明 「大宝山」 これを庚申塔としていました。 地元の方に取材してみましたが、伝承庚申塔でもないようですので、資料の間違いだと判断しました。 しかし、いったい何なのかはまったく判らず。 ついでなので六軒屋の石仏を。 左は出羽三山系の百番供養塔。 右は弁財天。 この2つを結ぶ細い山道には道標や馬頭もありました。往古はこの山道がメインの道だったと思われます。 集落で石仏を尋ねると道祖神を教えてくださいましたが、他は意識にないようで、やっと思い出してくださったのが「大宝山」塔がある場所の地蔵と百番供養でした。 |
山北町
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> gak*****さん
お知らせありがとうございます。私の訪問時はすこし寂れ気味で心配でしたが、整備されたようで何よりです。
2018/4/25(水) 午前 8:17 [ 魚茶 ]