庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

清川村

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中煤ヶ谷 尾崎(不動堂)
イメージ 1丸彫不動座像の大山道標
明和元年9月
竿正面「みぎ 大山道」
竿右面「天下泰平/国家安全 大乗妙典六十六部日本廻国大願成就供養塔 国々修行船河道橋宿々等/大小志施主現当二世安楽菩提也」
竿左面「紀年銘 当所大野村杉山氏産 誓運 俗名八郎重国」
竿裏面「石工 信州高遠城下大石庄蔵彫之」

台石左面「三界万霊等」
台石右面「建立村々老若大小施念/念仏庚申観音講中志」。


イメージ 2相州の街道筋には珍しくない大山道標の不動座像です。
庚申塔ではありませんが、建立に庚申講が関与しています。不動付の大山道標の建立に庚申講が関わった例は旧津久井郡や厚木市などにもあります。

この不動堂は尾崎バス停付近にありましたが、道路拡張工事で離れた畑の一角に移転されています。
大野村は字名で、杉山八郎重国がこれを背負って運んだという伝承があるそうです。

なお、高遠石工大石庄蔵(荘蔵)の作品は清川村に3基、綾瀬市に2基が確認されており、宝暦6(1756)〜明和4(1767)に出稼ぎしていていました。




中煤ヶ谷 八幡神社の庚申塔

イメージ 3笠落合掌日月捧げ持ち青面金剛
元文5年11月
「奉庚申供養」
川原村 片倉村 仲間十八人
三面に猿。

川原村と片倉村は、場所がはっきりしませんが煤ヶ谷村の小字と思われます。風土記稿に小名として川原と片倉が記載されています。
なんとなくですが、煤ヶ谷村の中央を流れる川の東側集落ではないかと想像しています。東側には庚申塔が1つも記録されていないので。











イメージ 4笠付合掌青面金剛
明和2年7月
16名
三猿。

16名は全員苗字が付いています。苗字で調べればどこの字の講中なのか判るでしょう。
















イメージ 5角柱合掌青面金剛
正徳辰天(2年)5月
「□等取行 是菩薩道
漸漸修学 悉當成仏」
三面に猿。

この風化なので、銘文は不正確です。
汝等修行の意味で「□等取行」にしていると思われます。






















イメージ 6自然板石文字塔
昭和2年6月
「庚申塔」
内藤梅吉。

八幡神社にある4基のうち、明和2年塔と昭和2年塔は資料に記載がありません。資料は昭和51年刊行なので、40年の間にどこからか持ち込まれたのでしょう。
八幡神社は煤ヶ谷の総鎮守で、参道の階段下にも多数の道祖神が集められています。














中煤ヶ谷 根岸の庚申塔

イメージ 7尖角柱文字塔
延享3年9月
「ウーン 奉造立庚申供養塔」
中里村 根岸村 同行十三人。

中里村と根岸村は字名です。
煤ヶ谷村の庚申塔には「煤ヶ谷村」の銘が付いていないようです。
他の石仏は調べていませんが、税の納め方が通常の村とは違っていて、集落単位の意識が強かったのかもしれません。

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