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神奈川県立公文書館で面白い史料を入手しました。
庚申塔移設願いを出した内容です。 公文書館からブログ使用許可を得られたので一部UPします。 要約すると 當村(稲田村)登戸在住の吉田安次郎ほか2名による庚申塔移設の出願です。 明治3年に安次郎の先代である金平が街路の適当な空き地に建てた庚申塔を移したいというもの。 元位置がどこかは書いていませんが「庚申塔あるを以て官地塚となしたる次第」というのが面白い。横浜市南区にある几号付庚申塔(明治に測量基準点の几号が付け足された)でも判りますが、路傍の石仏は明治初期まで基本的に不動のものだったようで、道路拡張工事があっても官地の塚として処理していたのでしょう。 登戸界隈に現存している庚申塔で明治3年は小泉橋付近にあり、往古は富士講の人々の集合場所になっていたとされるものだけです。 古文書の庚申塔が該当なのか、奉納者名を調べないと判りません(ノーチェックでした)。そのうち調べに行こうと思っていましたがTATSUZOさんのブログで奉納者部分が掲載されていて、先達が吉田□□(金平)だと判ったので確定できました。 古文書はご覧の通り筆文字で担当者によっては解読困難なページもあり、許可が出たのかまでは不明でしたが、役人の反応は「取り調べするにしても、そもそも、当初は建立許可を得ているのか?」「往時の文書を持ってこい」といった類いで、杓子定規さが満載。 今も小泉橋付近にありますし、移せた結果現在地(多少転々としていますが)なのか、もっと他に移す予定だったのかは不明。 でも、当初の場所選びの背景や、移すだけでも一苦労あったと判る面白い史料です。 |
川崎市
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