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本来であれば中井町の25と26の間に入るべきもの。
中井31(半分形、愛街) 寛文2年?5月? 「山王天」(資料による) 二鶏、中央遥拝の二猿 中尊に丸彫り合掌仏。 紀年銘については町の資料が寛文2、個人作成資料は寛文8としています。干支まで残っているものの風化で表面が凸凹しており難読。寛文は確実ながら、干支は己酉に見えますが九年にはなっていないような感じ。無理矢理読めばどうとでもなるような状態で断定できず、言われればそう見える寛文2を採用しておきます。写真はUPしても無駄なので省略。 山王天の銘は全く読み取れませんでした。風化で読めない文字がいくつかありました。 中井町の文化財指定になっている寛文11年銘双体道祖神の比較的近くですが、なぜここにあるのか、理由の見当が付かない藪の中に埋もれています。祭祀場の雰囲気は全くありませんでした。 中井町史(平成版)にも記載があり、色々と解説されていますが、地元の人も存在を忘れているのが現状で、ちょっともったいない。寛文2年が正しければ、という条件付ですが、中井町に現存する山王庚申関連の石造物として最古のものになり、道祖神と同様、文化財指定されてしかるべきものだと思います。 といっても、中井町で出会えたこのタイプの石祠は全て山中で人目に付きにくく、まだ他にもあるでしょうし、もっと古いものが隠れている可能性は充分にありますが。 http://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/37810511.html |
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魚茶様 2件の質問です。
1)屋根上の請花の様な物の 平断面は、「四角」(長方形かも)か「丸」かどちらでしょうか。薄肉彫の蓮弁の側面の形はどうなっていますか。可能でしたらご教示いただければ幸いです。
2)佐賀県の永禄2年(1559)銘 庚申塔(複式石幢六地蔵塔)がありますが、知られている資料でしょうか? 護教示いただければ幸いです。
2017/1/12(木) 午後 3:33 [ stjtomo ]
> stjtomoさん
1)分類としては宝塔型になるようです。上から見るとほぼ正方形、横から見るとやや台形でした。上部の中心部に龕というか、何か(宝珠?)がハマっていたような穴が彫り込まれていました。笠との納まり具合から一具と思われます。
蓮弁は一面に三枚ずつ四面。UPしてある写真の正面と同じパターンでした。
2)同じものかどうか不明ですが、手持ち資料ですと佐賀県鹿島市七浦飯田に永禄二天彼岸日。逆修 庚申講中 現当二世願望成就砌造立 15名の石幢六地蔵がありました。
2017/1/13(金) 午前 9:11 [ 魚茶 ]
魚茶さん、ありがとうございます。
1)は、角宝塔(軸部が断面四角)か、一重塔(塔身部に首部が見られないため)だったのかもしれませんね。蓮弁彫刻のある請花部が、九州石塔にある請花部に似ているので興味があり、お尋ねしました。
2)は、庚申塔の資料として出ていないようでしたら調査してみようかと思っていましたが、資料がすでに出ているようですのでその必要もないかと思っています。
お手数をかけて申し訳ありませんでした。有難うございます。
2017/1/14(土) 午前 11:42 [ stjtomo ]
> stjtomoさん
このタイプ(宝塔型石祠)の庚申塔は希にありますが、石塔としての細部を意識しておりませんでした。注意して見るようにしたいと思います。
当該庚申塔につきましては、stjtomo様ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/stjtomo/folder/1045136.html?m=lcでも銘文紹介されていました。
市の文化財になっているようです。
2017/1/14(土) 午後 10:17 [ 魚茶 ]
魚茶様、
いろいろとご教示有難うございます。
2017/1/15(日) 午前 0:28 [ stjtomo ]