庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

庚申全般

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新編相模国風土記稿

足柄上郡福泉村
山王社 村持


たったこれだけの記述です。
福泉に庚申講はあったようですが、庚申塔は1つも見つけられていません。
風土記稿の記録だけでは特定不可能なものの、他史料から判断すると、
弘西寺99弘済寺にある承応2年11月銘の石祠が福泉の庚申塔になる気がします。
イメージ 1一番手前の石祠が該当。
裏面に承応二年十一月吉日と読める文字が残っています。
中尊に中央遥拝の二猿
イメージ 2これが庚申信仰によるものという証拠はありません。
例によって猿が付いているから、というだけの緩い基準ではありますが、面白い事例なので紹介します。
なお、弘西寺村にも山王は記録されていますが、これも含めて移動の経緯が明治12年作成の神社明細帳に書かれていました。

少し背景が複雑なので概要から。
慶安3年の神仏分離令で社名の変更が相次ぐ。
明治4年の上地令で除地扱いされていた土地が保てなくなり、小さな社(やしろ)の統合が行われる。
明治5年、神社の調査が命じられる。
明治6年、調査に基づいた社格が決められる。村民持ちだった小社は無格社(もしくは雑社)となる。
明治12年、神社明細帳の作成。
明治39年、一村一社の神社合祀政策。
戦後、合祀された神社が復活するケースも発生。



イメージ 3前述の明治12年版神社明細帳は、神社合祀政策の結果、大幅に書き換えられることになりましたが、新版を作るのではなく旧版の訂正で対応したようです。
南足柄市飯沢にある南足柄神社の明細もこのパターン。
貼紙のため旧版は読めませんが、最初は「飯沢神社」だったのが見せ消ちされて「南足柄神社」に変わっています。

足柄上郡は明治8年から村の統合が始まっていますが、明治22年の町村制導入によって本格的な村の統合が行われました。
南足柄神社がある飯沢村は「南足柄村」となりました。統合された他の村は雨坪村、狩野(かの)村、苅野(かりの)村(苅野岩村と苅野一色村が明治8年に統合)、弘西寺村、猿山村、関本村、中沼村、福泉村で、計10村が1つになりました。
一村一社の制度によって、これら10村の神社を全て1つにまとめる必要が生まれ、その結果、南足柄神社へ合祀することになったようです。
貼紙には21社と書いてありました。それ以前にも飯沢村にあった神社をまとめていたはずですので、数としてはもっと増えるでしょう。通常、ここまでの神社なら郷社になっているはずですが無格社のままです。
神奈川県神社庁のサイトによると、翌明治43年に村社となっており、村内(南足柄村)各社の跡地は30筆にもなっていたと書いてあります。

明治12年版の上に貼紙してある内容は明治42年に村々の神社を合祀した内容です。
「同村福泉字善能」とあるのは南足柄村の福泉の字善能ということで、江戸時代の福泉村にあった神社が南足柄神社に合祀されていることが判ります。
福泉村には全て村持ちで、一之御前社、二之御前社(村の鎮守)、稲荷社、山王社がありました。
字善能にあった山王社は明治11年に字貝沢にあった稲荷社境内に移され、それが明治42年に南足柄神社へ合祀されました。
福泉には現在、善能古墳があり、上に小さな石祠が乗っています。山王社も同じような感じだったのかもしれません。

この山王社の由緒というか説明に驚きました。
イメージ 4「由緒創立年月不詳 石祠ニシテ承応二年十一月ト彫付アリ 旧山王社ト唱ヘシヲ明治三年五月日枝社ト改称 村内字善能ニアリシヲ明治十一年十月当社ヘ移転」。
この当社とは稲荷社のことです。

ちなみに弘西寺村の山王社は次のように書かれていました。
「同村弘西寺字林下無格社山神社〜明治十一年七月村内日枝社祭神大日霊貴命〜合併」。
こちらには紀年銘などの特徴は書かれておらず、山王社がいつ改称されたのかも書いてありませんが、弘西寺村の鎮守「山神社」に明治11年に合併され、そのまま南足柄神社へ合祀されたようです。

合祀された神社の内、鎮守だったものは戦後になって元に戻される傾向があります。南足柄村も、南足柄町>南足柄市と行政単位が変更になっていますので、そのどこかのタイミングで村持ちの小社が元に戻されたのかもしれません。
神社庁のサイトによれば、30筆もあった跡地を昭和32年に処理することになり、昭和43年に完結したと書いてあります。現在の南足柄市内の神社を見ると元に戻されたものもあるようですが、ほとんどは元に戻そうにも土地が無くなったことが判ります。

これ以外の史料もあるだろうとは思いますが、紀年銘の合致から推理すると、福泉村の字善能にあった山王社は、明治11年に村内字貝沢にあった稲荷社境内へ移設。明治42年にまるごと南足柄神社へ合祀。そしてどこかのタイミングで隣村の弘西寺にある弘済寺へ移されたことになります。

なお、実際に石祠や社宮を移すのかどうかは微妙です。荷馬車などに石造物を乗せて移動するというのも物悲しい光景で、それはそれで見てみたいですが、仏教の場合はお精抜きをして残った石祠などはただの抜け殻になりますし、神道の場合は昇神をして再度降神する祭祀方法があり、こちらも残った石祠などはただの石になるようです。

弘済寺様によると、境内にある由来などは伝わっていないそうです。

https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/38722959.html


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