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中曽根村(なかぞね)の「曽根」地名は自然堤防の意味があるそうです。 酒匂川沿いなので違和感はありませんが、広い沖積平野の中でなぜここだけ、この名前?という疑問も。中曽根はとりたてて目立つ微高地ではありません。 目立たないという点では、資料を漁ってもこれといったトピックがありません。 風土記稿の時代、32戸。石高は朱印362石。割付高も江戸時代を通じてほぼ同じだったようです。 鎮守は稲荷社、同所に水神。他に太神宮もあり、両方とも現存しています。 鎮守の稲荷社は五社稲荷に改称していますが、なぜ五社になったのかは地元でもよく判っていないそうです。旧谷津村(現城山町)の大稲荷神社が十五座なので、本当は十五稲荷だったのでは、などの説もあるそうです。 空撮写真だと「中曽根」のちょっと左が五社稲荷の境内。 寺院は無し。道祖神場は2ヶ所。 貞享年間の村指出帳は360石で35戸。村役人が4戸で本百姓が12戸。他は無田17戸、伯楽1戸、定使1戸の構成でした。つまり本百姓クラスは16戸です。 神社は稲荷、水神、天照太神とありますので、天保期まで200年以上変わらなかったことが判ります。 五社稲荷神社 天和3年7月or10月 正面 「キャカラバア 光明真言梵字(と思われる)」蓮華紋 右側面 「ア」紀年銘 相列□□足柄下郡 成田庄中曽根村。 左側面 「アク?」施主名? 裏面 「アン? 為奉造立石塔一□庚申供養成」 かなり風化していて時間をかけて読みましたが間違っているかもしれません。 正面の薄い梵字群、特に3行になっている部分は部分的にしか読めておらず、線刻の蓮弁の上に乗る構図になっているので光明真言だろうと見当を付けただけです。 この部分を除いても密教系の内容です。 施主名がどうもはっきりしません。 彫られていたような気もするのですが、無いかも。 造立年と近い時代の史料がある、めったにない事例なので、16名とか12名だと嬉しいのですが。 庚申講に関する記録には出会えていませんし,氏子さんは庚申を全くご存知なかったので、関係は何も無いのかもしれませんが、4月の例祭日近くに訪問した際、幟にサルボボが飾られていました。 境内には他に堅牢地神、聖観音、常夜灯など。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/38870296.html |
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