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千度小路町は海沿いの漁師町であり水運の拠点でした。
江戸時代には魚を扱う市場があり、昭和43年に早川の小田原漁港ができるまで、この地に魚市場があったようです。 現在の様子からは想像もできませんが、後北条氏の時代は軍港でもあったようで、浜も多少は港に適した地形だったのかもしれません。 小田原市教育委員会による「歩く・見る おだわらの城下町・宿場町」地図によると、千度小路の西端にある市場横町の先に魚市場があったそうです。 風土記稿の時代107戸。 風土記稿には「漁民多く船52艘、廻船6艘(300石から600石まで)。諸品を都下(と書いてあるが江戸)に運ぶ」と書いてあります。 船は嘉永年間だと68で廻船が7、橋船が61ともあります(橋船は廻船などへ荷物を運ぶ小舟)。 これだけ廻船があれば問屋も多かったはずで、諸史料には千度小路の問屋が見受けられ、桶屋頭、鍛冶屋、塩屋などが出てきます。 面積はさほど広くないのに107戸は驚きますが、漁師町は軒を連ねるどころか壁を接して家が建っていることが珍しくありません。 寺社は龍神社のみ。 宗福寺 寛文13年9月(裏面) 「奉鄙?庚申数年信仰収?石塔一基納之者志 所願成就 願主敬白」 右側面「願依此善利現世安穏後生善處所」 左側面 相州西郡小田原千度小路町 6名 三猿。 宗福寺にある1基。 これといって漁師町や水運を伺わせる内容ではありませんが、江戸初期らしさを感じる銘文。 いわゆる百姓がいない町の運営は問屋や魚座、人足などのまとめ役がやっていたはずで、願主は千度小路のそういった人々ではないかと思いますが、御子孫が現在も千度小路におられるのかどうかは不明です。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39033914.html |
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