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早川村南部。
庚申塔があるあたりは西組になるようです。 西組には戦前まで庚申講が続いていたようです。 地蔵堂(紀伊神社手前)裏 外観では判りませんが、庚申塔があるのは地蔵堂の敷地内になるようです。 各種資料には紀伊神社参道、もしくは紀伊神社手前と書かれています。 この地蔵堂は紀伊神社の隣にある正蔵寺の境外堂宇です。 享保15年10月25日(庚申日)。 「奉祥庚申供養」 施主同行□七人 単体。 □七人の□部分は「念」「全」「含」などに見えます。「念」なら27人と読むべきかもしれませんが、人数が多過ぎます。 庚申塔の残り方から推測すると、西組には複数の講があったと思われます。 寛延3年11月21日(庚申日) 「アーンク 奉造立庚申塔」 台石に三猿。 この三猿はもしかすると青面金剛塔の台石だったのかもしれません。 安永5年10月22日(庚申日) 「アーンク 奉待庚申供養塔」 三猿。 地蔵堂にある3基はいずれも庚申日を選んでいますが、隣接する正蔵寺境内の3基はその限りではありません。 西組の中に2つ以上の講があり、1つは地蔵堂、1つは境内と分けて移設?した可能性はありますが、まったく違う理由かもしれません。 正蔵寺 正蔵寺は真言宗。早川観音の真福寺の末寺になります。墓地内に常夜灯があり、大型石祠の後ろに石仏群。 正蔵寺訪問時は無住と言われた記憶があるのですが、住職はおられるそうです。 墓地内なので訪問時は一言断りを入れるべきでしょう。 宝永3年11月6日(庚申日) 「ア 庚申供養塔」 4名 三猿。 庚申塔がある場所は、本堂が昔あった場所、という話しを現地で得ていますが、本寺の真福寺様も檀家衆も石祠が何かなどはご存知ありませんでした。 享保10年9月4日 「ア 為庚申供養菩提也」 施主六人 三猿。 意味の判らない造立年月日です。4日は阿閦如来の縁日ですが、正蔵寺本尊(不動)や庚申とは関係ありません。 宝暦8年10月 「 三猿。 正蔵寺の3基は各種資料には漏れています。 地蔵堂が正蔵寺の境外堂だと判っていたので、念のため訪問したところ、墓地内に気になる石祠が見えたので出会えました。 今年の6月頃、小田原市立歴史資料館主催の石仏調査で見つけられています。 これを見つけるくらいなので、今後の調査に期待しています。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39093535.html |
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> stjtomoさん
ご指摘ありがとうございます。
最後の宝暦8年塔もアーンクだったとは(とほほ
2018/9/2(日) 午後 4:36 [ 魚茶 ]