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早川村の南隣になる石橋村。
風土記稿には「熱海道南北に貫けり。路幅1間或は2間。この辺より以南は皆山腹を通ず。路嶮隘なり」とあり、産物はミカンと青芋(里芋)と書いてあります。 風土記稿の時代、37戸。割付高69石。漁船5。 他の時代も戸数は大差なく、嘉永年間は37戸で750人。橋船が3艘ありました。明治年間になると漁船は14になっています。 風土記稿の宮は子神社(鎮守)の他、山神社と道祖神社、稲荷社。 寺は宝寿寺(真言宗)。 堂は地蔵堂で本尊は石仏。 他史料では明治年間だと子ノ神社が鎮守とあり、それしか記載がありません。道祖神は別の場所にありますが、山神と稲荷は合祀されたと思われます。 石橋村のトピックは、なんといっても頼朝が挙兵して速攻で敗れた石橋山の合戦場があることでしょう。 挙兵というと平地でエイエイオー的なイメージがありましたが、こんな斜面の見通しの悪い場所だったのかと意外な印象だったのを覚えています。 石橋山の中腹にあたる現地には佐奈田霊社や文三塚が残っています。熱海古道だったようです。 集落は早川村に近い谷筋に展開。 崖下を通る熱海道沿いの北端、早川側に庚申塔 石橋バス停付近 紀年銘不明 「庚申塔」 三猿 台石にも三猿。 土留めの金網の後ろにあるので見つけにくい。 現存する駒形塔はおそらく再築です。 台石が古くからあった庚申塔の名残でしょう。 崖下にあるため旧塔は土砂に流されたのかもしれません。 台石も完全に埋まっています。 明治21年12月 「庚申塔」 三猿。 これも再築ではないか、という気がします。 余談ながら石橋の道祖神祠は熱海道の南端にあります。 主要街道の出入り口を庚申と道祖神が護っていたことになるのかも。 ※宝寿寺や子神社にも信仰がらみの石造物はあります。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39093622.html |
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