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根府川石の丁場がある米神村(こめかみ)。
風土記稿には、弘法大師が食事をとろうとしたが、火が使えず、生米を食べたことが地名の由来とあるが、論ずるに足らず、と書いてあります。 風土記稿の時代41戸。割付高67石。 嘉永年間だと45戸で242人。 村の産物はミカンと石。農業の間に漁業もやっており漁船は8。 寺は真言宗の正寿院と日蓮宗の日迢寺(廃寺)。 このうち山王社は八幡神社境内にあります。木祠で木札が納められているだけでした。 向って左が山王社。 八幡神社境内には伊豆型道祖神が大量に集められています。 米神は既知の資料に庚申塔が無く、町内の寺社にもありませんでした。なぜ無いのか不思議だが、地勢として大雨などで土砂崩れがあった土地でもあるので、それで逸失しているのだろうと推測していました。 ところがブナの森さんによって1基発見がありました。 米神12付近 元禄7年10月 「ア 奉造立庚申供養為各二世安楽」 施主 相列 講中五十人 米神村 敬白 三猿。 元禄年間の史料に出会えていないため、当時の戸数は不明ですが、天保年間で41戸なので、元禄当時の全戸参加による庚申講だったと思われます。 石材は根府川系。 同所には安政10年の自然石称名塔、常夜灯残欠もあり、小規模ながら石垣が組まれた場所にあります。 江戸時代の熱海道から集落へ降りる道だったような感じですが、現在は薮となっていて、場所の意味を求めて近所の方に質問してみました。 しかし、存在をご存知無く、上へ登る旧道のはずだが、関東大震災で線路から上は土砂崩れのために地形が変わっているので、江戸時代にどういう場所だったのかはよく判らないとのことでした。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39095130.html |
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