前回のブログに書いた、近隣にある同類の庚申塔。
正面は「庚申」とあり、塔の左右には「萬延元庚申天 中冬上浣建為」 「山際邨原講中」
最初に文字情報だけ解読すると、
前回の「かのえさる」と同じ1860年造塔だが、中冬は旧暦の11月で、「かのえさる」の12月より1ヶ月早い。
上浣は「上旬」のこと。
「邨」は「そん」と読み、山際村と同義。
ここに「組」が無いのは、おそらく「原」が新しい場所だからだろう。
山際村は相模川流域の高台と河川敷を含むが、河川敷は川の流れで地形が変化し、新田開発で野原状態の場所が田畑として
作られた地名を表すこともあるので、その意味かもしれない。
この庚申塔は上部の笠が素晴らしい彫刻になっている。
写真をUPしてみたが受け付けてもらえないので省略。
どうもこのブログは使いづらい。
この笠は、おそらく前回のブログの「かのえさる」塔にもあったが(石塔の上部の形が笠を乗せるための形状になっている)、
失われてしまっただけで、原初はこの庚申塔と同様の笠があったのではないかと思われる。
こちらの三猿は三番叟とよばれる踊りを模しているが、それぞれの猿が踊りながらも不見、不言、不聞を
ちゃんと表している点に特徴がある。
三番叟(さんばんそう)は、猿楽、田楽能、能、歌舞伎、浄瑠璃など、古典の舞踊芸能全般に取り入れられているもので、最初は田楽能という話もあるらしい。
それぞれの芸能でこまかな違いはあるが、翁、若者の踊りが1番、2番と続き、3番目に登場するのが三番叟。
写真にあるように、烏帽子を被り、羽織袴を着、こっけいな踊りで、目出たい時に踊られるものだったらしく、
地方の民間芸能にも取り入れられるなど、メジャーなものだったことが伺える。
庚申塔にこの踊りが取り入れられたのは、猿楽能や三匹(人)の登場人物がいる点と、
目出たい踊りだからだろう。
庚申信仰は、他の信仰と習合してしまう傾向がある。
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