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青面金剛/享保15。三猿。 竿64cm。 「ウン 奉造庚申供養為二世安楽」 右上手:法輪、左上手:矛。 合掌。 右下手:矢、左下手:弓。 笠付です。西日を背にしていますので見にくくなっています。 文字塔/明治2。 108cm。 「庚申塔」 個人建立でした。 相模川沿いの集落です。 明治の個人建立の物があるので、江戸時代の講中建立塔がどこかにあるような気がしてなりません。 他の集落の例だと裏山に古道がついていて、そちらに隠れているパターンが多いですが、この辺りは圏央道工事で山がざっくり切られてしまいました。 文字三猿塔/明治7。富士山、三猿。 60cmほど。 藤木とこちらは相模川沿いの集落です。 この庚申塔も個人建立ですが、建立者は転出してしまったそうです。 なぜ富士山を入れているのか、富士講と関係があったのかなどを訊きたかったのですが、今となっては想像するしかありません。 青面金剛/宝永7。三猿。 60cm。 右上手:欠損、左上手:宝玉。 右下手:索、左下手:蛇。 紀年銘は一部剥落しており「七年 寅四月吉日」から推測。 1年がかり4回訪問してやっと見つけた1基でボロボロですが感動ものでした。 しかし、資料にあるのは延宝5年霜月。 それは見つけられず、別のものを見つけてしまったようです。 詳細は省きますが、昔は集落中央にあったお堂の敷地にあったもので、お堂を移転する際に庚申塔は別の場所に移されたそうです。これが何かを集落の古老もご存知なかったので、随分前に庚申講は終わっているようです。 |
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阿弥陀?/元禄年間。三猿。 88cm。 「造立庚申供養現安穏後善所」 紀年銘部分が剥落しているので資料による。 金剛山への登山口にあたる場所の覆屋にあり、雨はしのげているはずですが、砂岩独特の剥落が随所にでています。 日連は「ひづれ」と読みます。 日蓮宗とは関係なく、寺院も無いようです。 日連は牧野街道が通っており、甲州街道と並ぶ往還の一種だったようです。 青面金剛/紀年銘不明(宝暦12?)。 邪鬼、二鶏、三猿。 78cm。 風化と苔で細部を判別できないため、持ち物が何か正確にわかりません。 三猿は旧津久井では珍しく横向きかも。 紀年銘は20年以上前に調査した方の記録によります。 阿弥陀?/紀年銘不明(延宝3?)。三猿。 83cm。 こちらも痛みがひどく、三猿は痕跡程度です。 紀年銘も上と同様、古い調査記録によります。 当時は合掌阿弥陀に見えたようです。 五種字塔/正徳2。三猿。 竿52cm。 「バン、カ、ユ、タラク、ア」。 五種字については自信がありません。 上記の古い調査記録では「バン、ウーン、タラーク、ア、キリーク」=金剛界五仏としていましたが、どうも違うようです。 上がバンで正解だとすれば、胎蔵界や金剛界と同様の大日と四方の仏のような気もしますが、そんな五仏があるのかどうか…。 判る方がおられましたらご教示ください。 峯下の3基は石垣の上に設置されてあり、地震などで落下したようです。 聖観音/紀年銘不明。三猿。 70cm。 旧津久井郡では唯一(?)の聖観音主尊です。 光背の縁がくっきり浮かんでいますが、銘文部分がまるごと剥落しているような印象でした。 門前の石仏群にありますが、種類が雑然としており、まとめの石仏と思われます。 主尊不明残欠/紀年銘不明。三面に猿。 40cm。 主尊は足元だけ残っています。地蔵か阿弥陀あたりだろうと思いますが不明です。 周囲に上部が無いか探しましたが見当たらず。 藤野町資料では青蓮寺に2基あり、角柱文字塔があるとしていましたが、それは見当たらず、記録に無いこれがありました。 なお、青蓮寺は代官所があった場所で、代官所移設後は代官の守屋氏菩提寺になったそうです。 境内には高遠石工の作と思われる石仏が多数現存おり、見応えがあります。 庚申塔とは随分違う出来で、勧進なのか守屋氏一族の経済力なのか判りませんが、庶民の講との経済力の差が判って面白いです。 |
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