|
寛文4年(1664)の烏八臼(うはっきゅう)付庚申塔。
292cmある大きな庚申塔。 三面に猿(正面は剥落)。 「□(烏八臼)夫鴻濛未判者心機浅然而色空無兮 暁玄以奥之后而有正有邪有善有悪出 這四利則心渕發動而彼我愈興矣 所以君臣絶道親子忘孝可謂人」 「身而不異千横所以天失時而 三災覆夭杢於是天帝悲是漏池於 玄機以滅於欲火焔即是庚申晨也 若人不這日為譱如山為其悪」 「則其悪以海故貴賤運四無量心擲 捨財寳遠立於四面率(者+見)以比因由 在世遯八難如意白在旧來渉苦 海沢登僄域者也」 「于時寛文四閼逢執徐暦折本吉辰 相陽大住郡八幡荘大神郷 比丘比丘尼優婆塞優婆夷 月舟野衲記」 なんのこっちゃ判りませんが(笑)、大雑把には三尸の虫が這い出て天帝に告げ口する逸話を具体的に説明し、それを防ぐためにこの塔を建てました、というような意味かと。 この庚申塔は願文の最初に烏八臼が付いています。 ちと見にくいですが八臼烏になっているようです。 烏八臼について語るような知識はありませんが、庚申塔に付いているのは珍しいです。 烏八臼は曹洞宗と浄土宗に多いようです。 願文の最後にある月舟は寄木神社から北へ200mほどにある曹洞宗真芳寺の十三世住職。 歴代住職墓に名が出ていました。 月舟松鶴和尚:元禄元年11月27日入寂。 ちなみに真芳寺は後北条氏一族が開基した寺で、往古は掘と土塁に囲まれた城砦寺院。寺域も広大だったようで、この庚申塔も元は寄木神社ではなく、旧寺域の端と思われる畑の隅に立っていたそうです。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
悉皆的にUPするのは面倒なので、気になった物だけ。
日本石仏協会による資料によれば 青面金剛を刻像した石塔の最古は正保4年(1647)銘の石祠内にある三面四臂(2猿)像だそうです。 その次が承応2年(1653)から明暦年間(1658)の5年間に作られ、神奈川の県央海寄り一帯に残っている一面四臂で2猿付のもの。 大曲型と呼ばれることもあるシリーズです。 文化財になっているのに露天…。 「相州大島郷為寒念仏供養奉造立為浮図一基者也」 「明暦二年丙申霜月吉日」 右上手:剣、左上手:三叉戟 右下手:宝棒、左下手:索 2猿は正面向きで膝に手を置く。 厳密に区分すると寒念仏供養塔ですが、他の大曲型に庚申銘が付いているので、こちらも庚申塔に分類されているようです。 正福寺にはもう1基特徴的なものが。 「相州大住郡大島郷」 「庚申供養奉造立石塔一基者也」 「寛文三癸卯孟冬吉日」 ぽってりとして、前屈みになり、顔が全体の半分を占める三猿が特徴的です。 茅ヶ崎市の龍前院にある明暦3年(1657)塔が現存最古のため、龍前院型とローカルで呼ばれているタイプ。 神奈川県内には20基ほどあるようです。 大曲型青面金剛と同年代から始まり、寛文期あたりまでにまとまって作られていますが、関係があるのか無いのか。 |
全1ページ
[1]




