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明治3年(1870)の文字塔。
特徴は庚申塔と地神塔のダブルネームであることと、 間もなく消えてしまうかもしれない点。 右側面:「地神塔」 左側面:「明治三庚午年四月吉日」「右 大山道」 神奈川では江戸中頃から地神信仰が始まり、江戸末から明治初期にかけて大流行しました。農村部なら当たり前でもありますが、庚申を行っていた講と同じメンバーだったことが多いようです。 大流行していた当時、全体的に庚申信仰は下火となっていたこともあり、地神信仰がそれに取って代わったらしく、庚申と地神が一緒に祀られ、祭祀する日は地神の祭日(春分や秋分)となっている例が複数確認できています。 総数がいくつあるのか見当もつきませんが、数千はあるでしょう。 不動や道祖神、庚申塔などが大山道標を兼ねていることも多々あります。 ところで、これが作られた明治3年は廃仏毀釈が吹き荒れていた頃。 道標の行き先「大山」も、神官に煽動された大衆が大挙して大山寺を壊しに行った時期。 地神も神の名はついているものの、神奈川の場合はほとんどが寺院と修験の主導によるもの。 庚申も平塚市域は猿田彦塔が少ないので神道系の庚申講ではなく仏教系がほとんどと考えられるので、この庚申塔は全てが仏教がらみ。 そんな時代によく作れたものです。 この庚申塔ですが、写真の通り倒されています。 地元の方によれば、昔は辻に立っていたそうですが、駐車場になった時に倒されて、以来そのままとのこと。 土地の売却話もあるらしく、そのうち無くなってしまうかもしれないとおっしゃっていました。 明治の狂気の時代をくぐり抜けたのと同様、しぶとく残ってくれることを期待しつつ、記録として残しておきます。 |
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2013年06月10日
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